新宿西教会2025年3月16日レント第二主日礼拝説教「パウロは聖霊に満たされ」使徒13:4~12 深谷美歌子牧師                                                                                                                                                                               

    使徒行伝の13章に入りました。前回はバルナバとサウロとマルコが、アンテオケに帰って、教会に仕え、一緒に礼拝し、断食していると、聖霊が、バルナバとサウロを授けておいた仕事、(全世界に出て行って全ての国民を弟子とせよ。)に当たらせるよう告げたのでした。アンテオケ教会は、それを受け止め、断食と祈りをもって出発させたのでした。

 本日は、宣教活動が、具体的に始められた時の出来事が記されているところです。地方総督が信仰を持ちました。

【聖書箇所の概説】

4-5節 聖霊に送り出され、クプロに渡り、ユダヤ人の会堂で神の言葉をの

べはじめた。

6-8節 地方総督が神の言葉を聞こうとしたが、魔術師が邪魔をした。

9-12節 パウロは聖霊に満たされ「盲目になる」と宣言。そうなって、総督が主の教えを信じた。

【メッセージのポイント】

1)ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。

4 ふたりは聖霊に送り出されて、セルキヤにくだり、そこから舟でクプロに渡った。5 そしてサラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言を宣べはじめた。彼らはヨハネを助け手として連れていた。       4-5節

 バルナバとパウロは聖霊に送り出されて、まずセルキヤに行きました。セルキヤはアンテオケの町のそばを流れるオロンテス川に沿って20キロほど下った港町でした。前回も考察しましたが、この時代、盗賊や、海の難、川の難が心配される旅でしたから、多くの教会員が送りに来ていただろうと思われます。が、ここには、聖霊だけが送り出したように書かれています。バルナバ達を派遣したのが、聖霊様の導きである事を現していることばですね。これは、3節で聖霊が命じた時の後の事で、この時も聖霊様が新たに導いたのでした。使徒行伝は聖霊行伝とも言われますね。きのうの聖霊ではだめです。と言っている先生がいます。クリスチャンは毎日常に聖霊様の導きに従うのだ、と言うことをここでも教えられます。

そして、行ったのはバルナバの故郷、クプロ島でした。まずサラミスに着くとユダヤ人の会堂で神のことばを述べました。このパターンは、今後も続けられて行きます。ユダヤ人は、真の神様を信じ、メシヤ、救い主を待ち望んでいたので、イエス様こそ待ち望まれたメシヤであると伝えたのでしょう。

バルナバはクプロ生まれでしたし、クプロ人クリスチャンが生まれていたことはすでに知らされていますから、(11:20)この福音の言葉を聞いた人々の中からも信じた人々が起こされたかもしれません。でも島全体に目覚ましい業が起こされたとかの報告は書いてありません。

現代もリバイバルを求めて伝道していますが、目覚ましい結果が現れる働きばかりではありません。パウロたちも、目覚ましい、サマリヤのリバイバルに次ぐような業を期待していたかと思いますが。

ヨハネを助手に連れていたというのは、エルサレムから一緒に来たマルコのことですが、この後エルサレムに帰ってしまいます。つらい旅で、労多くして地味な働きであったのかもしれません。

2)魔術師エルマがしきりにふたりの邪魔をした

6 島全体を巡回して、パポスまで行ったところ、そこでユダヤ人の魔術師、バルイエスというにせ預言者に出会った。

7 彼は地方総督セルギオ・パウロのところに出入りをしていた。この総督は賢明な人であって、バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとした。

8 ところが魔術師エルマ(彼の名は「魔術師」との意)は、総督を信仰からそらそうとして、しきりにふたりの邪魔をした。   6-8節

 これまではクプロ伝道の特別な記事が報告されていませんでしたが、最後に行ったパポスでのできごとは細かく記されています。

ユダヤ人のにせ預言者に出会いました。魔術師エルマとは同一人物のことです。この人は地方総督セルギオ・パウロのところに出入りをしていました。この総督は賢明な人であってとありますから、真実な生き方を求めていた人でした。これまで、バルイエスが、にせ預言者であっても、その魔術に驚かされて、彼の言うことに耳を傾けていたのでしょう。真実を求めていた方でしたから、バルナバとサウロとを招いて、神の言を聞こうとしたのでした。

聖霊に送り出されて働くと、必ずそこで悪魔に会います。とここを説明されている方がいます。この時は、せっかく地方総督から出入りを赦され、大事にされていた魔術師エルマにとって、退けられるかもしれない危機でした。邪魔した内容は解りませんが、あからさまに反対行動をしたことが解ります。

確かに、救い主イエス様がこの世界に来られた時も、悪魔は事あるごとに攻撃しました。荒れ野の断食の祈りのすぐ後から、誘惑し、人の救いの道を

完成させまいとしてあの手この手で攻撃しました。最後は十字架につけて、「勝ったぞ」と思ったかもしれませんが、真の主権者の神様はその事さえ、人間の救いの道を備えるために組み入れて、救いを完成してくださったのでした。その後も、教会の歴史は、福音とこの世の権力者との戦いでした。

ローマ帝国の迫害、日本も秀吉時代から、明治初期まで、キリシタンになると処刑でした。中国など今でも厳しい状況ですね。

個人の信仰生活でも、家族にクリスチャンが起こると、迫害が起こることはよくありますね。

深谷もクリスチャンになって、田舎に帰り、伝道しましたが、「この中気の爺様も連れていけ!」と言われ、普段はしたことの無い仏壇に手を合わせて深谷が信仰から離れるように手を合わせて祈っていたそうです。

森山諭先生は、信仰を持ち、牧師になると言ったら、父親が刀を持って来て切ると言ったそうです。仕方がないと覚悟したそうですが、お母さんがとどめて、長男に農業を継がせるという約束で家を出たと聞きました。

福音が語られるところでは、悪の霊も働くことを、心に止めて、日々聖霊様に寄り頼み、目を覚ましていましょう!

3)総督は主の教にすっかり驚き、そして信じた。

9 サウロ、またの名はパウロ、は聖霊に満たされ、彼をにらみつけて

10 言った、「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。

11 見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲目になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」。たちまち、かすみとやみとが彼にかかったため、彼は手さぐりしながら、手を引いてくれる人を捜しまわった。

12 総督はこの出来事を見て、主の教にすっかり驚き、そして信じた。

                      9-12節

この魔術師エルマの攻撃に対し、サウロ、またの名はパウロは聖霊に満たされて「ああ、あらゆる偽りと邪悪とでかたまっている悪魔の子よ、すべて正しいものの敵よ。主のまっすぐな道を曲げることを止めないのか。11 見よ、主のみ手がおまえの上に及んでいる。おまえは盲目になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」と語りました。自分の怒りに任せて言ったのではありません。ここでもやはり「聖霊に満たされて」語ったのでした。目が見えなくなる!この様なことは人間には言えませんね。聖霊による言葉でした。

そして、ここから、語る人に、パウロがなっています。サウロからパウロと名前がなっています。当時は、へブル名とギリシャ名を持っていたので、ここから異邦人社会に伝道していくので、ギリシャ名を使ったと考えられます。聖霊がパウロに語るように導いたので、パウロが用いられたのでしょう。バルナバは背後で祈っていたに違いありません。

さてパウロが語った通りになった時、総督セルギオ・パウロはイエス様を信じました。ポンテオピラトはイエス様が十字架につく時の、ユダヤの総督でしたが、ユダヤ人指導者や、民衆の声に押されて、自分の身が危うくなることを恐れ、自分では、死に当たる罪をイエス様に認めなかったにも拘わらず、十字架につけることを許可しました。

セルギオ・パウロは、この教えが本物であると認めた時、自分の地位が危うくなるかもしれないにも関わらず、イエス様を信じ、それを公けにしました。クプロ伝道の大きな実でした。聖霊様の働きでした。

そして、今回ここを学びながら、魔術師エルマへの言葉に注意を向けられました。おまえは盲目になって、当分、日の光が見えなくなるのだ」です。 

なぜ当分の間なのでしょうか?推測ですが、パウロも教会の迫害者でしたが、赦されました。彼は生涯一コリ 15:9実際わたしは、神の教会を迫害したのであるから、使徒たちの中でいちばん小さい者であって、使徒と呼ばれる値うちのない者である。と自覚していました。が、ロマ書 7:24 わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか25 わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな。と、罪からの解放命を頂きました。イエス様に出会ったときは、一時的に目が見えなくなり、手を引かれて、ダマスコに入り、祈っていただいた時、目が開け、イエス様の命に入れられたのでした。

ですから、このエルマも、もしかしたら、イエス様を受け入れれば、霊の目と共に、肉の眼も開かれることを願っていたのかもしれません。

 最初クリスチャンを迫害したローマの皇帝も、コンスタンティヌスから信仰者になって、ヨーロッパの国々が福音化されていきました。

個人の家庭でも、迫害者から、信仰による救いを受ける人々が起こされてきました。深谷のお母さんも、レックス・ハンバードのテレビ説教など聞いてくれるようになり、1998年深谷が渡米する直前に洗礼を受けました。結婚し、祈り始めて20年目でした。深谷が、車で帰りながらパーキングエリアに入り、泣きながらその事を報告してくれました。

 杉本和美先生も、いじめに回っていた友達が、先生が信仰によって変えられて、明るくなり、クラスでも人気者になったとき。「もうあんたのこといじめるのやめる!」となったそうです。悪魔の手先になって、利用されている人々もあきらめないで、祈りましょう!アンテオケ教会でも一生懸命祈っていたことでしょう!祈り 神様、宣教の為に立ち上がったバルナバとパウロでした。しかし、本当に働いて下さったのは聖霊様でした。見えるところで次々救われる人が起こされるか解りませんが、聖霊様に常に満たされて、導かれたことをして御業を拝させて下さい。教会で心を合わせて祈らせてください。御名によって祈ります。アーメン。