《新宿西教会礼拝》 「エマオ途上のキリスト」 2025、04、20
ルカ24:13ー35 ー 復活の人生を主イエスと歩む ー 深谷春男牧師
ハッピー・イースター! 主はよみがえられた。人間を苦しめ続けた「罪と死」は、主イエスの十字架と復活によって打ち破られ、いまや、神の恵みと永遠の命の世界が始まりました!主イエスを信じて、祝福の命を頂きましょう!
このイースターの朝がわたしどもにとって人生の転換点であります。それは、すべての人々に開かれた恵みなのです。主イエスの十字架と復活が世界の歴史を変え、わたしどもの人生を変えるのです。今日初めて教会においでになった方もおられるかもしれません。でも、どうぞ、覚えてください。人間の一番深い問題は、罪と死。そして、主イエスの十字架と復活はこの人生最大の問題、罪と死に対する神の解答なのです。「神は愛なり」という有名な言葉は、わたしたちの人生を、最も深いところから変える、神様の愛のメッセージなのです。
【今日の聖書の概説】 さて、ルカ24章は復活した主イエスの「不朽の名篇」(W.バークレー)と呼ばれるにふさわしい箇所です。
1ー12節 主イエスの復活 朝・週の初めの日、天使が婦人たちに告知。
13-35節 エマオの途上 午後・復活の主イエスが弟子の二人に現われる。
36-49節 弟子たちへの顕現 夜・主イエスは焼いた魚を食べてみせた。
ここには、復活の日の、朝、午後、夜と、描写されます。医者であり、画家であり、詩人でもあったといわれる福音書記者のルカは、生き生きとこの復活の日の出来事を描いています。ここに、聖書で最も美しい記事のひとつ『エマオ途上でのキリスト顕現』を記しています。
今日は、主イエスが復活したイ-スタ-の午後、クレオパという弟子ともう一人の弟子がエマオ(温泉の意)という村に帰った時のできごとです。二人が主のイエスの死を悲しみながら帰って行きました。その途中、いつの間にか復活の主イエスが近寄って彼らと共に歩いて行かれました。そして主イエスご自身が聖書を解き明かしてくださいました。この時にはまだ、旧約聖書しかありませんでしたが、「旧約聖書の示す内容は、来るべき『救い主』は十字架にかかって人々の罪を負い、必ず復活する」ということなのですよ、と教えられたというのです。これもまた驚きですね。夕焼けに染まるエルサレム近郊のいなか道を、創世記からマラキ書に至るまで聖書の救いの御業を説き起しつつ、共に歩まれた、主イエスと2人の弟子の姿。これはもう一幅の美しい絵画です。
しばらく前に「エマオの道で」というデニス・キンロー師(元アズベリー大学学長)の365日の霊想集が出版されました。「エマオの道で」。実にこの本の題名に記されるように、ここに、わたしどもクリスチャンの典型的な人生があります。どのような歩みがここでは語られるでしょうか?
【メッセージのポイント】
1)15 語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。(15節)
⇒ 主ご自身が、そっと近づかれた!
ここには、復活の主イエスご自身の方から、弟子たちに、そっと近づいて来られたことが書いてあります。そして、一緒に歩き始められたのです。「エマオの道行き」は、わたしどもの復活の人生の縮図なのです。エマオは現在のカロニエ(エルサレムの西約6km) という町が有力だと見られています。日没に向かって歩む弟子たちに、主イエスが近づかれました。弟子たちは日没に向って歩むことになります。その弟子たちに、永遠の夜明けを告げるお方として、ご自分の方から、そっと近づかれたのでした。ルカ24章には『一緒』という言葉が3回記されます。
「一緒に歩いて行かれた」(15節)、
「一緒にお泊り下さい」(29節)、
「一緒に食卓につかれた」(30節)。
主イエスはわたしたちと共にこの人生を歩んで下さるのです。日常の行動、食卓、寝室でも、喜びの時も、悲しみの時にも、そっと近寄ってくださるのです。真実な、慰め深い人生の同伴者なのですね。ハレルヤ
わたしの場合は中学一年生のときにクリスチャンの先生に出会って人生はまったく変わってしまいました。その前に小学校5年生のときにシュバイツァー博士の話に感動して、図書室で聖書物語などを読んでおりました。皆様はいかがですか?主イエス様はそっと、静かにわたしどもの人生に入ってきてくださるのです。ある方はキリスト教の幼稚園に入ったかもしれません。あるいは中学校や大学がキリスト教主義だったかもしれません。ある人はそれこそ、お腹にいるときから神様の恵みの中にいらしたかもしれません。主御自身がそっと近づかれることを、ルカはまず記しています。
2)17 イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。(17節 )
⇒ 暗い顔から輝きの顔へ!
さて、主イエスに出会ったとき、弟子たちはどんな状況にあったのでしょうか。ルカは、弟子たちの姿を17節で「暗い顔をして立ち止まった」(新共同訳)と描写しています。この時、弟子たちは主イエスに向けた顔が逆光で暗く見えたのかもしれないとある方は書いています。絵画の魅力的な一シーンかもしれません。しかし、その弟子たちの顔の暗さは単に沈み行く太陽の光の加減だけではなかったと思います。彼らは愛する先生であった主イエスの死、しかも十字架の上に磔(はりつけ)られるというショッキングなできごとに出会って、深い挫折感を味わっていました。また彼らは現実の悲しみに心が奪われて、「物分かりが悪く心が鈍く」(25節)、不信仰になっていました。ですから、これは弟子たちの内面を表現する言葉でもあったのでしょう。主イエスはわたしたちの「暗さ」のただ中に来たり給うのです。この世のさまざまな問題、健康のことで、家族のことで、仕事のことで、さまざまに思い煩い、心が重くなれば、それは暗い顔で歩む旅路となってしまいます。しかし、聖書は言います。1ペテロ1:8に「 あなたがたは、イエス・キリストを見たことはないが、彼を愛している。現在、見てはいないけれども、信じて、言葉に尽くせない、輝きにみちた喜びにあふれている」。「それは、信仰の結果なる魂の救いを得ているからである」(9節)と続きます。わたしたちは暗い顔で歩んでいた者ですが、聖書の信仰、神様がこの世界を創造され、主イエス様の十字架の贖い、そして復活されたという信仰を持つことによって喜びの顔に変えられたのです。
3)23 イエスのからだが見当らないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。(23節)
⇒ 「主イエスは生きておられる」との確認の日々!
「イエスは生きておられる!」との天使の宣言。ここには永遠のテーマ「罪と死に対する決定的な勝利!」が記されます。聖書の福音は十字架と復活による罪と死に対する勝利なのです。「エマオ途上」の物語では、構成上この宣言が、中心の句となっています。キアスムスというこの方法では、「イエスは生きておられる」との宣言を中心に全体が構成され、次のようになっています。
A エルサレム→エマオ(日没へ向かって)
B 主イエスの近づき・弟子不悟
C 暗い顔の弟子たち
D 情況の描写(仲間から)
X イエスは生きおられる (23節)
D 情況の解説(聖書から)
C 心燃えた弟子たち
B 主イエスの消滅・弟子得悟
A エマオ→エルサレム(日の出に向かって)
イースターの音信は、罪と死に捕らえられ、暗い顔をしているわたしどもへ の輝けるメッセージです。「主イエスは生きておられる!」ハレルヤ!
4)32 彼らは互に言った、「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お互の心が内に燃えたではないか」。(32節)。
⇒ 主の臨在と御言葉に、心燃やされて生きる日々!
弟子達は語り合いました。「主御自身によって聖書が解き明かされた時、お互いの心がうちに燃えたではないか」と。この「エマオ途上の物語」という美しいメッセージの内容は、主イエスが臨在され、聖書を解き明かすと言うところにその中心的な内容を持っています。復活信仰は、いつも聖書の言葉によって、熱い信仰の炎が、愛の炎が燃え続ける生涯なのです。
《横山義孝師が召された》
先週の4月16日(水)午前7時。老衰のため、敬愛する横山義孝先生が98歳で、天に召されました。葬儀はご子息の牧会される志木教会で、4月23日(水)18:00です。(夕刻から告別式をはじめ飾花まで行い、翌日9:00に出棺式)。先生の証しは2015年の「日本をキリストへ」誌に載っています。「わたしのアルダスゲート」という文章に載っております。
先生は1926年(大正15年)に生を受け、1943年海軍対潜学校に入学。1945年敗戦、海軍籍罷免。神戸神学院の沢村五郎師の集会で献身。1950年、神戸神学院卒業後、川口にて開拓伝道。こころの友伝道、アシュラム、日本キリスト伝道会で活躍。先生の霊的体験、1960年愛唱句は、コロサイ1:27「内住のキリスト・栄光の望み」。素晴らしい主の栄光を表した献身の生涯でした。横山先生!天国で、またお会いしましょう!
【祈り】 よみがえりの主よ。このイースター礼拝を感謝します。今、わたしども前には、ウクライナ戦争があり、イスラエルとハマスの紛争。様々な課題で満ちております。確かに、「人を見れば失望、自分を見れば絶望、キリストを見上げれば永遠の希望!」アーメン。あなたと共にエマオの途上を歩んだ弟子たちの様に、わたしどもの霊の目を開いて、神の恵みの世界を見せてください。そして、罪と死の暗い顔を、恵みと勝利のメッセージの中で輝やかしてください。また、あなたの臨在と御言葉を通して、復活の命、信仰の炎、愛の炎を燃え続けさせてください。永遠の日の出に向かって歩み行く生涯へとわたしどもを導いてください。人間の根本問題、罪と死を、十字架において解決し、復活において勝利された、この世界の唯一の救い主、主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
