新宿西教会2025年5月4日復活節第三主日礼拝説教「内住のキリスト・栄光の望み」コロサイ1:27 深谷春男牧師                                                                                                                                                                               

《新宿西教会説教》     「内住のキリスト・栄光の望み」    2025、05、04       

コロサイ1:24-27                             深谷春男

今日は、皆さんと共に、コロサイ書1:27節を中心に、御言葉を頂きたいと考えております。これは特に、横山義孝師が召されたことを思い出しつつ示されました。

これは先週の週報のコラム参照。

4月16日(水)午前7時。老衰のため敬愛する横山義孝先生が98歳6か月で苦しむことなく眠るように主のもとに凱旋されました。葬儀はご子息、横山基生師の牧会される志木教会で、23日に行われました。告別式には横山義孝先生の幅広い伝道団体の先生方6名が感話をされました。司式者が「故人の思いもあまり湿っぽくなく、主にある恵みの思い出をお語り下さい」と語られたからか、ホーリネスの群委員長の原田彰久師はじめ、大友英樹師、私深谷、島隆三師、佐々木千沙子師、川田愉氏の6名が、故人との親しい交わり、情熱的な献身生涯を語られ信仰と愛のあふれる聖会のような告別式でした。◇先生の証しは「わたしのアルダスゲート」という文章が、複数の方によって紹介された。それは1960年3月13日の礼拝の中で聖霊の豊かな油注ぎを受けた体験。説教の直前にぐっと迫られるものを感じ、斜め上を見上げると十字架の主イエスがあらわれ、説教は語れなくなった。ここから霊的な自由が注がれた。◇横山先生は1926年(大正15年)に生を受け、1943年海軍対潜学校に入学。1945年敗戦、海軍籍罷免。神戸神学院の沢村五郎師の集会で献身。1950年、神戸神学院卒業後、川口にて開拓伝道。こころの友伝道、アシュラム、日本キリスト伝道会で大活躍。愛唱句はコロサイ1:27「内住のキリスト・栄光の望み」。横山先生!天国でまたお会いしましょう!

26 その言の奥義は代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである、27神は彼らに、異邦人の受くべき、この奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。(26~27節)

【メッセージのポイント】

1)、26 その言の奥義は代々にわたってこの世から隠されていたが、今や神の聖徒たちに明らかにされたのである、(26~27節)
    ⇒ 神の奥義としてのキリスト

奥義とは「秘められた真理」のことです。それは人間の知識や経験、あるいは能力や修養などでは、到底理解したり、把握したりすることができないものです。
①その第一は、「受肉降誕」です。「受肉降誕」とは「神が人として降誕された」という   

意味です。「受肉降誕」は処女マリヤに対する「受胎告知」から始まりました。
②その第二は、「十字架と復活と昇天」です。主イエスは、十字架にかけられ、死を

体験された。しかし、3日目に復活し、40日目に昇天されました。
③その第三は、「聖霊の降臨」です。復活されたキリストは、昇天され、10日目に  

「キリストの霊」としての聖霊が降臨されたのです。それ以来、神の御業はすべて聖霊が関与されることになりました。

新約聖書に「奥義」(ギリシャ語では「ムステーリオン」、ヘブル語では「ソード」סוֹד)という言葉が28回使われていますが、そのうち共観福音書において、主イエス様が語った「天の御国の奥義」(神の国の奥義)として使われているのが、それぞれ各1回で計3回、ヨハネの黙示録の1回。それを除くと24回のすべてがパウロの書簡で使われています。その内訳は、ロマ(3)、Ⅰコリント(6)、エペソ(8)、コロサイ(5)、Ⅰテモテ(2)となっています。パウロは旧約聖書に隠されてきた真理を「奥義」(ムステーリオン)として深く啓示された人物でした。

2)、27神は彼らに、異邦人の受くべき、この奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、

⇒ 内住のキリスト
①ぶどうの木と枝(有機的な関係)の関係です。イエス様は「わたしにとどまりなさい。わ 

たしもあなたがたの中にとどまります。」(ヨハネ15:4)と言われました。
②イエス・キリストの贖いの(生命的な)関係)です。イエス様は「わたしの肉はまこ 

との食べ物、わたしの血はまことの飲み物。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしもその人のうちにとどまります。」(ヨハネ6:55~56)と言われました。

③「全き愛(本質的な関係)の関係です。「愛(アガペー)」は神の本質です。

・「私たちが互いに愛し合うなら、神は私たちのうちにとどまり、神の愛が私たちのうちに全うされるのです。」(Ⅰヨハ4:12)

・「神が私たちに御霊を与えてくださったことによって、私たちが神のうちにとどまり、神も私たちのうちにとどまっておられることが分かります。」(Ⅰヨハ4:13)

・「神は愛です。愛のうちにとどまる人は神のうちにとどまり、神もその人のうちにとどまっておられます。」(Ⅰヨハ4:16)

3)、栄光の望みである。

⇒ 栄光の望み
①キリストは、天の御国への希望です。なんと幸いなことに、キリスト者には栄光に  

輝く天国への希望があります。

②栄化への希望です。聖書は「私たちの卑しいからだを、ご自分の栄光に輝くからだと同じ姿に変えてくださいます。」(ピリピ3:21)と記しています。

③主と共なる御国への凱旋のことです。「内住のキリスト」は私たちから出入りされる方ではありません。「内住のキリスト」と共に御国へと凱旋することができるのです。「信任、信頼、信用、信仰」、「入り込んで、もたれかかって、空身になって、あてにする」これこそ聖潔(きよめ)られた、聖霊に満たされた、「内住のキリスト」信仰に立つキリスト者の姿です。

最後に、BFバックストン先生の御生涯を見てみましょう。(飯塚敏夫先生の講演)

1890年11月24日、英国から主イエスの恵みの福音を携えてきた32歳の青年宣教師、B.F.バックストン。彼は神戸港に着いたときに、深い感動を受け、熱き日本のための祈りをささげられました。1メートル96センチぐらいの長身だった彼が、「聖霊を受けよ!」と迫るさまは聖なる畏れ(ヌミノーゼ)を感じるほどのものであったと渡辺善太はその思い出を語りました。その働きは島根県の松江を中心になされ、「松江バンド」と呼ばれます。ご存知のように日本にプロテスタント教会の宣教は明治6年キリスト教の禁止命令の高札が撤去されて以来、熱心になされてきました。ヘボンらを中心とする横浜バンド、ブラウンなどを中心とする熊本バンド、クラーク等の働きを中心とする札幌バンド。植村正久、井深梶之助、尾崎弘道、海老名弾正、金森通倫、内村鑑三、新渡戸稲造など明治の青年たちが福音に触れて改心を経験して日本のプロテスタント教会の基礎を築きました。それは新しい日本の夜明けのように輝いた歴史です。その働きに遅れること約20年、BFバックストンの働きは松江や神戸を中心に広がってゆきました。

以前、飯塚俊夫牧師が、バックストンの信仰に関する以下のようなまとめをしてくださいました。

「バックストン先生の信仰は、主イエスの十字架による罪のあがないと聖霊によるきよめの信仰です。人間の罪を罪と明確に認識し、主の十字架の血潮であがないを受けて人は救われるのです。

しかし、救われた後、自力できよめに向かおうとしたら、必ず行き詰まります。自己嫌悪に陥ります。その時は、もう一度、十字架を仰ぎ、キリストの死に与かるバプテスマの奥義に基づいて、古き人をキリストの十字架の事実に信仰によって磔殺して、その決算の答えとして、自分は「罪に対して死んだ者であり、キリストイエスにあって神に生きている者である」こと結論づけて、恵みの下に入る生活を始めます。これがきよめです。バックストンはこのきよめの転機を強調しました。

バックストンの信仰姿勢には少なくとも3つのポイントがあります。

第1は主への絶対信頼。すべてにおいて我が意は十字架につけられ、主のみ旨のみが最優先。

第2は「聖霊を憂えしめざる臨在の中に生きる姿」。主との交わりにおいて聖霊を憂いさせない細やかな心づかいを持って生きる。

第3は常に毅然として生きる。悲痛な試練の中にも一貫して「 I am so happy」と告白された。祈り深く神の栄光のみを目指した。実際、バックストンは多くの試練を経験された。4人の息子達は当時の世界大戦で3人まで戦死。残った息子ゴッドフレーも負傷し、杖なしでは歩けなかった。晩年は奥様も脳軟化を病んだ。しかし、彼は毅然として勝利の信仰を生きた。それは十字架による罪の贖いと、聖霊による聖化の信仰でいた。」

【祈祷】 全能の主よ!5月に入りました。イースターを通してわたしどもは、魂に霊的な復活の恵みに与かり、6月8日のペンテコステに向けて、霊的勝利の日々を歩むことができますように導き助けてください。御名によって祈ります!アーメン