新宿西教会2025年5月18日復活節第五主日礼拝説教「わたしのアルダスゲート」ローマ人への手紙10:9~11深谷春男牧師                                                                                                                                                                               

「人生の転機!」

 わたしが赤羽教会で牧師をしていたころのことです。当時、神学生だった飯村兄が、日曜日の朝に教会の玄関のところで大きな声で挨拶してくれました。「深谷先生!おはようございます。今日は5月24日ですね。アルダスゲートの記念の日おめでとうございます!」 わたしはびっくりして、「え?何の日?」。と思わず聞いてしまいました。皆さん、このように挨拶されたら、どうお答えになります?

1738年5月24日(水)、ロンドン郊外のアルダスゲート街のある教会での祈祷会の集会中、午後8時45分の頃に、ある方がルターの書いた「ロマ書の序文」を読んでおりました。それを聞いていた35歳の牧師、ジョン・ウェスレーが、神様に導かれて深い霊的な経験をし、そこから18世紀の英国を造りかえる信仰復興(リバイバル)が起こりました。そのことから、神様に導かれ、聖書の教えている魂の救いについて霊の目が開かれ、キリストの十字架の贖いと聖霊なる神様の臨在のもとに魂の奥底からの救いの確信が与えられる経験のことを「アルダスゲートの体験」と表現されています。

ジョン・ウェスレーは毎日、克明に日記をつけました。その日の日記には、長い文章が載っております。

彼は、1735年10月に、アメリカのジョージア州にまで出かけサヴァンナというところで、弟のチャールズなどと共に熱心な伝道活動に当たりました。でも、ウェスレーなどの熱心すぎるような伝道牧会は、米国の人々には敬遠されて、思うように行かずに、失敗のような形で、1737年12月には、サバンナを去り帰国し、1738年には、その時の傷が癒えていないような時だったようです。

日記そのものを記してみましょう。

「夕刻、私はひどく気が進まなかったけれども、アルダスゲイト街でのソサエティーの集会に行ったところ、そこである人がルターの『ローマ人への手紙』の序文を読んでいた。9時15分前ごろであった。彼がキリストを信じる信仰を通して神が心の内に働いてくださる変化について説明していたとき、私は自分の心が不思議に熱くなるのを覚えた。私は、救われるためにキリストに、ただキリストのみに信頼した、と感じた。神がこの私の罪を、このわたしの罪さえも取り去ってくださり、罪と死の律法から救ってくださったという確証が、私に与えられた。」(藤本満訳)

彼はようやくこの時、キリストに、キリストのみに信頼し、わたしの罪を、このわたしの罪さえ取り去りたもうと信じることができたと記しています。「救いの確証」を得たのです。集会が終ると彼は弟チャールズのもとに飛んで行った。チャールズの日記には「10時に近く、兄は私達の友人に連れられて、輝いた顔をして入って来て、『わたしは信じる』と叫んだ。そこでみんなで一緒に賛美を歌い、祈って別れた」とあります。

これが有名な、アルダスゲートの体験でした。真剣に神の聖さを求め、救いの内的確証を求めたウェスレーは、ここでようやく、明確な信仰義認に立った。それはやがて神の像の回復という聖化の教理の土台が据えられ、大きなリバイバルの原点となりました。今日、神の御前に深く祈り、救いの確証を得た伝道者、牧師が必要とされています。

【今日の聖書箇所の概略と区分】

 さて、今日、開かれました聖書箇所は、ロマ10:9,10です。

パウロ先生が書いた「ローマ人への手紙」は、キリスト教についての一番基本的な内容をまとめたパンフレットのようなものです。

  • 1~8章「個人の魂の救い」。人間の罪と死を克服する方法。
  • 9~11章「全人類の救い」。神の不思議な摂理による歴史支配。
  • 12~15章「キリスト者の倫理」。救いを受けた者の道徳。

この、ロマ書は、聖書の中でも、最も大切な「救いについて」全容を記したパウロの手紙です。

今日の聖書箇所は、この中の②の部分の一部です。

【メッセージのポイント】

1)1 兄弟たちよ。わたしの心の願い、彼らのために神にささげる祈は、彼らが救われることである。2 わたしは、彼らが神に対して熱心であることはあかしするが、その熱心は深い知識によるものではない。3 なぜなら、彼らは神の義を知らないで、自分の義を立てようと努め、神の義に従わなかったからである。       (1,2節)

⇒「律法の行い」によっては救われない。救いは「キリストへの信仰」による。

使徒パウロの熱い願いは、同胞のユダヤ人が救われる事です。パウロは熱心にその事を求めていました。ユダヤ人は想像を絶する熱心さを持って命がけで神様に従ってきました。しかし、それは聖書の教えている生き方ではないと指摘しています。

パウロは、特にユダヤ人は律法を守る「自分の義」を立てることに終始し、「神の義」について理解していないと語ります。旧約聖書は「神の義」について記しています。それなのにユダヤ人は「自分の義を立てようとして間違ってしまった。」この間違いは、自分の努力によって、自分の熱心な行いの功績によって、得ようとしたからだとパウロは言います。救いは、律法を行うことではなくキリストイエスを信じる信仰からくるのです。ロマ3:21~26 参照。

 それは特に、イザヤ書53章の内容を中心に、明確に書いてある。やがてやってくる「苦難の僕の受けた苦しみ」が、わたしたちの身代わりの「代理贖罪」なのだ。

人間は自分で自分の罪を負うことはできない。それは6000億円の借金にたとえられるような、莫大な大きさだからだとマタイ18章の方では語る。イエスキリストの十字架の血潮の価値は、その6000億の借金をすべてまかなう以上の価値あるものなのだと聖書は語ります。この主イエスの十字架により神の救いの業はなされた!

2)9 すなわち、自分の口で、イエスは主であると告白し、自分の心で、神が死人の中からイエスをよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われる。10 なぜなら、人は心に信じて義とされ、口で告白して救われるからである。

⇒ 心からキリストを受け入れ、口で告白せよ。救いは来る!

この9.10節が、箇所の中心ですね。ロマ書や聖書の教えの中心的な内容ですね。ハレルヤ「自分の口でイエスは主であると告白するとき、人は救われる。特に主イエスの十字架と復活を信じるときに人は救われる!」 10節「人は心に信じて義とされ、口で告白して救われる」。これは暗唱すべき救いの言葉ですね。

この聖句には思い出があります。

今まで聞きました「わたしのアルダスゲート」という説教や証しは思い出すだけでも、横山義孝先生、西海満希子先生、島隆三先生など、素晴らしい方々の体験があります。

◇山田彰師:献身の証し。映画俳優となり、加山雄三主演の「若大将シリーズ」に出て、有名となる。お金が入ってお酒におぼれる日々・・。ついに飲酒状態で映画の収録へ出て、職を失い、競輪競馬でも大失敗。絶望!淀橋教会を尋ねる。伝道師が彼と語り、「あなたが救われる道がある。」という。このロマ10:9,10を読み。「信じて救われる!」。その後、洗礼を受け、やがて献身、伝道者となる。御子息も牧師となる!あの主を受け入れた日。

横山義孝師:旧制中学を出て、海軍対潜学校へ。昭和20年の終戦。その年のクリスマス。沢村五郎師の特伝で献身を決意。関西聖書学校に入学。川口市での開拓伝道。自分に聖霊の圧倒的、聖霊の満たしを求めて、ついに1930年、3月講壇に立つと、ぐっと押される感覚、十字架の主イエスが幻で現れ、何も語れなくなった。しかし、これ以後、聖霊の自由を体験。これが、わたしのアルダスゲート。

西海満希子師:奈良女子大で宣教師の聖書の話を聞き、深く感動。母国を離れ主の業に励む方を見ながら、自分はいったい何をなすべきかと迫られ、福音がはっきりと示され、特に、神を愛する者は、全ての人を愛するのだ!に示され、自分の心に愛がないのを示されて悔い改め、そして献身を決意。あの時はわたしのアルダスゲート。

島隆三師:札幌でクリスチャンの両親から生まれる。島先生の「ジョンウェスレー」の論説の最後に「わたしのアルダスゲート」という一文があります。信仰から離れてしまったお兄様に彼は何日もかけて手紙を書きました。涙の中で書きました。その書いている時が、島先生自身が信仰の確信を得、「アルダスゲートの体験」だったと告白されました。

【祈り】全能なる神様!感謝します。わたしどもは、今日の御言葉のように「イエスは主である」心で信じ、「主イエスは死者の中からよみがえられた!」と口で告白して、ここから出発します。山田先生、西海先生、島先生、J・ウェスレー先生のように、明瞭な救いの確証を与えてください。御名によって祈ります。アーメン