新宿西教会2025年5月25日復活節第六主日礼拝説教「約束に従って救い主が送られた」使徒行伝13:13~25深谷美歌子牧師                                                                                                                                                                               

今日は祈って、待ち望んできた、チャペルシアターの日ですね。鈴木梨紗ちゃんが2年越しで、チラシを作ってくれました。柿島八重子先生の優しさと、梨紗ちゃんの優しさが重なった優しいチラシですね。

 賛美と証しが祝福されますように。

さて、本日の聖書箇所は、アンテオケ教会から遣わされた宣教活動が進んで行こうとする時に起こった出来事と、パウロの説教が語られている所です。パウロ先生の説教が直接語られている所はここだけだそうです。パウロ先生からお話を聞くつもりで、どうぞお聞ききください。

【聖書箇所の概説】

13節 パポスからベルゲにきて、ヨハネはエルサレムに帰ってしまった。

14-23節 説教を依頼され、イスラエル人に神様が働いてくださった歴史を語り、ダビデの子孫からメシヤが送られたと語った。

24-25節 イエス様の前に送られたヨハネは、メシヤではなく、メシヤが来る前の備えをした器でしたと語る。

【メッセージのポイント】

  • ヨハネはエルサレムに帰ってしまった

パウロとその一行は、パポスから船出して、パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネは一行から身を引いて、エルサレムに帰ってしまった。13節

 バルナバとパウロは聖霊に導かれ、アンテオケの教会の祈りに送り出されて、宣教に出かけたのでした。この時バルナバの従弟のヨハネも一緒でした。彼らはヨハネを助け手として連れていた。5節とあります。ところがクプロ伝道を終えて、ベルガに渡った時、ヨハネはエルサレムに帰ってしまった、と言うことが起こりました。

この前の個所を学んだ時、バルナバはクプロ生まれでしたし、クプロで福音の言葉を聞いた人々の中から信じた人々が起こされたかもしれませんが、島全体に目覚ましい業が起こされたとかの報告は書いてない。バルナバもパウロもヨハネも、サマリヤのリバイバルに次ぐような業を期待していたかもしれないけれど、そんなすごいリバイバルが起ったとは書いてないと見てきました。最後に地方総督セルギオパウロが救われたのは特筆されていますが。

バルナバもパウロも、ヨハネを助け手として連れて行った時、若い後継者と期待していたかもしれません。けれどもここでリタイアしてしまったのでした。つらい旅で、労多くして地味な働きであったのかもしれません。

あるいは13節から、それまではバルナバがリーダーだったのに、2節、4節に、パウロとその一行と、リーダーが変っています。バルナバの従弟であったヨハネ(ユダヤ名マルコです。今後マルコと記します)は従って行けないと思ったのかもしれません。この後15:36で、幾日かの後、パウロはバルナバに言った、「さあ、前に主の言葉を伝えたすべての町々にいる兄弟たちを、また訪問して、みんながどうしているかを見てこようではないか37 そこで、バルナバはマルコというヨハネも一緒に連れて行くつもりでいた。38 しかし、パウロは、前にパンフリヤで一行から離れて、働きを共にしなかったような者は、連れて行かないがよいと考えた。39 こうして激論が起り、その結果ふたりは互に別れ別れになり、バルナバはマルコを連れてクプロに渡って行き、40 パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した。とあります。

もう一度出かけようとなった時、パウロはマルコを連れていくことに、激しく反対しました。ベルゲで勝手に帰ってしまったことで激論になったのでした。そしてこの時は別行動をしたのでした。が、コロサイ4:10では、 わたしと一緒に捕われの身となっているアリスタルコと、バルナバのいとこマルコとが、あなたがたによろしくと言っている。このマルコについては、もし彼があなたがたのもとに行くなら、迎えてやるようにとのさしずを、あなたがたはすでに受けているはずである。と共に捕らわれの身となっているマルコを推薦しています。マルコは立ち直ってパウロにも信任され、伝道者の働きに復帰しています。一時はリタイアしたかに見えたマルコでしたが、バルナバの愛の導きも用いられたと思いますが、このように用いられる器になったのでした。献身者が全うされるよう祈り支えましょう!

2)イスラエルの神は真実に導かれた

15 律法と預言書の朗読があったのち、・・・と言わせた。16 そこでパウロが立ちあがり、手を振りながら言った。「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。17 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。18 そして約四十年にわたって、荒野で彼らをはぐくみ、19 カナンの地では七つの異民族を打ち滅ぼし、その地を彼らに譲り与えられた。 20 それらのことが約四百五十年の年月にわたった。その後、神はさばき人たちをおつかわしになり、預言者サムエルの時に及んだ。21 その時、人々が王を要求したので、神はベニヤミン族の人、キスの子サウロを四十年間、彼らにおつかわしになった。22 それから神はサウロを退け、ダビデを立てて王とされたが、彼についてあかしをして、『わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。23 神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたが、     15-23節

 マルコという助け手が帰ってしまって、心が沈んだのでは?と思いますが、残された二人は何事もなかったかのように、ピシデアのアンテオケに進んで行きました。そしていつものようにユダヤ人の会堂に入って席に座りました。 

当時は会堂にラビなどが入ってくると、その会堂の責任者が奨励を依頼することがありました。パウロはガマリエルの門下生で、立派な説教者でした。そのパウロに説教の依頼がありました。彼はおもむろに立ち上がると、手を振って話し始めました。集まっていた人々は、何を話されるかと注目したでしょうね。「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。17 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。と語り始めました。これは出エジプトのところからですね。その後は荒れ野での40年間、約束の地の攻略の時代、士師の時代、サムエルに王を要求した時代、と語ってゆきました。この歴史を表現するのに、先に殉教した、ステパノと違っているのは、ステパノが、先祖がいつも神様の導きに逆らってきた、と糾弾したのと違って、神様が、イスラエルの民の求めをいつも受け入れてこられた、と言っていることです。

 そしてダビデの時代に至ります。わたしはエッサイの子ダビデを見つけた。彼はわたしの心にかなった人で、わたしの思うところを、ことごとく実行してくれるであろう』と言われた。23 神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られたと、ダビデに約束した救い主がイエス様であったと語りました。ロマ1:2、3 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、3 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れと、パウロは一貫してダビデの末に約束された救い主がイエス様でしたと語っています。マタイもルカもイエス様の系図を挙げていますが、ダビデの子孫として生まれたと記しています。

 今日のメッセージ題は「約束に従って救い主が来られた」です。このあとどのように救いを完成して下さったか、パウロは語っていきますが、今日しっかり心に留め受け取っていただきたいのは、イエス様は急に、ある時この世界に生まれて、いろいろ教えたり、愛を表したり、奇跡をおこなって救い主だぞ。と宣言したのではなかったということです。ヨハネによる福音書は、イエス様は世界が創られる前から存在しておられたと初めていますが、ヨハ 1:11 彼は自分のところにきたのに、自分の民は彼を受けいれなかった。と書いています。イスラエルの民は、イエス様が来られるより前から、真の神様を知ってきた民でした。やがてまことの救い主を送ると約束されていました。そしてイエス様が送られたのです。

 ただユダヤ人の望んでいたのは、ダビデの時代がそうであったように。イスラエルの国が周りの国々を平定して君臨する王を求めていたのでした。

 しかし、この世界の創り主なる神様の思いは、全人類の救済でした。その為に誰にも理解されないまま、黙って十字架に附いてくださったのでした。 

3)ヨハネは、わたしのあとから来るかたがいると言った

24 そのこられる前に、ヨハネがイスラエルのすべての民に悔改めのバプテスマを、あらかじめ宣べ伝えていた。25 ヨハネはその一生の行程を終ろうとするに当って言った、『わたしは、あなたがたが考えているような者ではない。しかし、わたしのあとから来るかたがいる。わたしはそのくつを脱がせてあげる値うちもない』。        24-25節

パウロは約束の救い主がイエス様でしたと語った後、バプテスマのヨハネのことに言及しています。これは、ヨハネによる福音書もバプテスマのヨハネはメシヤではないと語りますが、バプテスマのヨハネが、清廉潔白、イエス様でさえルカ7:28あなたがたに言っておく。女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい。と語られたほどの人物でしたから、当時バプテスマのヨハネを信奉している人々がいたので、ちゃんと位置づけをしたのでした。理想的な生き方を導いてくれる人がいても、人間の罪を贖い、救うことができるのは、イエス様だけです。→貴村かたる先生の証。

 最近、深谷牧師のすぐ上のお兄さんが洗礼を受けました。若い頃は別の宗教に入っていて、論客でした。でもある時、福島からの帰りの列車の中で、イエス様の十字架と復活、召天、聖霊降臨が歴史に起こった出来事と語った時、「ほんとにあったことなのか?」とびっくりされました。47年月報等はずっと送り続け祈っていたのですが、「お兄さんもイエス様を信じて永遠の命を頂いて下さい」と言うと「解った」と信仰告白をし洗礼を受けました。

私たちの救いは、神の民の歴史に働き、救い主を送ると語られ続け来られたイエス様が、人間の思い及ばなかった救いを与えてくださったことを知らされ、信じて現実に与えられる罪の赦しと永遠のいのちです。

祈り 神様、宣教の為に立ち上がったパウロとバルナバでした。が、意気消沈するようなことも起こりました。聖霊様の導きの中で、前進できたに違いありません。昨日はウエスレーのアルダスゲイトで、聖霊様に触れられて、罪赦され命の確信を得た記念の日でした。神様の計画はすべての時代、国を超えて与えられる命でした。これに気付き頂く方が起こされますように。御名によって祈ります。アーメン