新宿西教会2025年6月8日ペンテコステ礼拝説教「ついに聖霊が到来された!」使徒行伝2:1~4深谷春男牧師                                                                                                                                                                               

 クリスチャン人生は「聖霊の器」となる大きな目標があります。

教会の暦で大きな祭りは3つあります。クリスマス、イースター、そしてペンテコステです。ペンテコステはギリシャ語で「50」という意味です。これはユダヤの大きな祭り、『過越し祭』(教会の暦では受難週から復活祭)から数えて50日目の祭です。ですから日本語では「50日祭」とか「五旬祭」とか訳されます。この日は本来、ユダヤでは小麦の収穫祭として祝われていました。また出エジプトから50日目にシナイ山で十戒を授かった記念の日としても祝われておりました。そのような意味では、この日、小麦の収穫ならぬ、やがて全世界規模で起こる「リバイバルの初穂」が刈り取られる日となりました。また、シナイ山での律法、石に書いた戒めを越えた、わたしどもの心に記される「新しい律法」が与えられた記念の日ということになります。

【メッセージのポイント】

1)1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。(1-2節)

⇒ 天が開く!              

 それは120名の弟子達が心を一つにし、10日にわたる祈り会をした時から始まりました。10日目に『聖霊なる神様』が弟子達に臨み弟子達はまったく変えられてしまいました。「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こって」(2節) とあります。「天から」という言葉は象徴的です。聖霊なる神様が臨まれる時、人は天の世界が開けるのを経験するのです。この世がすべてであるかのように思い、あくせくとして、悩んだり、妬んだり、憎んだりの人生が、一変して、主イエスと共に歩む「天国の生涯」が始まるのです。それは別の表現をするなら、「霊的な、天が開かれる経験」と言ってよいかと思われます。

聖霊なる神様というと、なんとなく漠然としてしまう、よく、わからないという人がいます。聖霊の働きの第1はわたしどもの霊的な部分に「天の世界が開けること」です。それは聖書の世界、神の創造と歴史支配についての霊の目が開かれるということでもあります。その中でも、聖書の中心的なメッセージである、主イエスの十字架の意味が、はっきりとわかるということであり、それは神秘体験でもなんでもない、自分の罪について良く理解でき、神の贖いの愛についてよくわかることです。神の救いの業は、人間の理解を超えているのです。それは「誰でも、聖霊によらなければ、イエスは主なりと言う事はできない」(Ⅰコリント12:3)のであり、「そのお方(=聖霊)が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする」(ヨハネ16:8)のです。

2)3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。(3節)

⇒ 火が通る!

 「炎のような舌が分かれ分かれにあらわれ」(3節) とあります。弟子達はこの日、自分の魂に「火が通る体験」をしたのでした。古い自我が聖霊の熱で溶けてしまうという体験です。クリスチャンは、「水でバプテスマを受けると共に、聖霊の火による洗礼」を受けるとあります。

 日本キリスト伝道会のエバンジェリスト、広島の植竹利侑牧師が「日本伝道幻を語る会」で説教をしてくださいました。それは実に鮮烈で、今も心に焼き付いています。

先生は、埼玉県の深谷市のお生まれで、16才の時に、教会に導かれ、人間には罪があるということを教えられ、教会生活をしている中で、「自分は罪びとだ!」と示され、十字架の主イエスの罪の贖いを信じて洗礼を受けて、救いの体験をしました。いわゆる、「信仰義認」とか「新生」という霊的な経験でした。そして、自分の生涯をどのように生きるかを祈っている時、人々にこの神さまの愛と命を伝えるために生涯を捧げよう!と決意して、献身を表明して19歳の時に神学校に入学し、神学生となられました。しかし、神学校の生活を通して、自分の内に妬みを経験し、自分の内側には、醜い罪がまだ残っている!ということを発見したというのです。まじめな青年でありました植竹神学生でしたが、何とも惨めな罪に染んだ自分を発見したのです。それは礼拝の席上で起こりました。説教の中で主任牧師が、ある神学生のことを誉めたのだそうです。「T神学生は文学書や神学書をよく読むし、奉仕も素晴らしい・・云々…」と。それを聞いていた植竹神学生は、ねたみの思いに捕らわれてしまいました。「彼よりわたしの方がもっと文学書や神学書を読んでいるし、奉仕にしても、T神学生は牧師の前だけうまく立ち回って、うわべだけの奉仕をしている。わたしのほうが心からの献身生活をしている。誉めるならわたしの方が誉められるべきだ!云々」。彼は、自分の内側からねたみの黒雲がもくもくと起って来るのを感じました。真実な植竹青年は、クリスチャンになった自分の内側にこのような罪の性質が残っているのに驚き、羞じました。そして、自分の内側を再び観察すると、なんと、救われる前と同じ、憎しみや妬みの感情、更に高ぶりや人並みの欲望等が生々しく感じられました。彼は内心のきよめを求めて、深い祈りに日々を費やすようになりました。断食や夜遅くまでの祈り。戦後の食糧事情もあって彼はやがて体調を崩し、結核初期の肺浸潤になりました。神学校の寮にいられなくなり、故郷の深谷市に帰ることとなりました。帰郷のその日、舎監の星野栄一先生に按手して祈って頂きました。『今より後、汝の内にありて、我は主なり!』(イザヤ書)の御言葉によって祈られた時、頭のてっぺんから足の先まで電流が通るような体験をされました。その恵みはジワーッとやってきました。電車で東京駅から出発し、上野から尾久、赤羽を通過する頃、聖霊なる神の圧倒的な臨在と恩寵の波が押し寄せて、電車の中で、涙が流れて流れて止まらなくなった。前にいた小さな子供が不思議に思って「お兄ちゃんどうしたの?」と聞く。「大丈夫だよ、お兄ちゃんはうれしくて、うれしくて泣いてるんだから・・」と言って、電車のデッキに出て、汚れた学生服の袖で、流れ来る涙を拭いながら「う、う、う、……・・」と泣き続けたというのです。この神の電流のような聖霊のバプテスマを通して以来、植竹師は「自我に死ぬ」という深い霊的な体験を与えられました。「それ以後、妬みも、憎しみも、イライラも、不機嫌さえも、わたしの生涯から消えてしまった」と証しされました。

 このような植竹師の体験は、ウェスレーのアルダスゲートの体験を出すまでもなく、教会の歴史の中では、大切なものとしてきました。深い祈りの中で、聖霊なる神様に取り扱われるという体験です。それは火を通るような出来事、電流が通って、生(なま)の電線が、高圧の電流を通す新しい存在になるような体験であります。罪と死が、自己中心性が、御霊の炎で焼かれてしまう出来事です。

3)4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。(4節)

  ⇒ 聖霊に満たされ!

「聖霊の器になること」。ある牧師のゼミナールの席上で、ある先生が、わたしどもクリスチャンの最終目標を語られました。それは「聖霊に満たされ、聖霊の器となること」だというのです。クリスチャンとは何よりも聖霊に満たされることを求めるべきだ。心は主の十字架の血潮で洗われ、雪よりも白くされ、その中にいつも輝く命、聖霊なる神様を宿す。これこそ聖書の示すクリスチャン像です。清さも、愛も、力も、喜びも、信仰も、命も、輝きも我等の肉の性質ではなく、われらの内に住む聖霊の働きによるというのです。信仰生涯とは、充ち満つる聖霊によって、神の命を生きることです。神の愛と喜びに生きること。「御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制です」。

  「キリスト教信仰は、十字架と聖霊です」。BFバックストン師の説教集2の冒頭に、同師の挨拶の文章があります。「聖霊の器」という言葉と共に心に思い浮かぶ人格はバックストン師ですね。宣教師嫌いの内村鑑三が「彼のようなすばらしい宣教師なら、ぜひ日本に来てほしい。彼は聖霊の器、人類の花だ」とまで絶賛したと言われます。BFバックストンは1860年英国の貴族の家に生まれました。オックスフォード大学時代に、シカゴの伝道者ムーディ師の伝道集会で、献身を決意しました。日本宣教に召されて、明治23年、神戸に到着。それから山陰の松江に行かれました。赤山で若者達に多大の影響を与えて、松江バンドを形成されました。終始、笑顔が絶えず、温厚で、接する人々に、大きな霊的感化を与えました。現在の塩屋の神学校、関西聖書神学校を創設して、そこで教鞭をとられ、多くの伝道者を育成されました。「聖霊を受けよ。聖霊の満たしはクリスチャンの人生の戴冠式」と語られたことは有名です。彼の教え子の中に、御牧碩太朗、小島伊助、森山諭、本田弘慈、等の伝道者が輩出しました。横山義孝先生もその流れのひとりです。

「十字架と聖霊の満たし」。「罪の赦しと聖化の恵み」。これぞ、キリスト教の根幹をなすメッセージです。今日はペンテコステ。人の救いは主イエスの十字架の贖いにあります。そして、罪の中にとどまり続けるのではなく、「聖霊に満たされて」、恵みの中に、古き人へと引き戻すサタンの力に勝利して歩むのです。ハレルヤ

【祈り】 主よ、ペンテコステのこの朝、あなたの前に素晴らしい礼拝の時を感謝します。この朝、わたしどもは御言葉の様に、こころに聖霊様をお迎えし、天が開け、火が通るような、御霊に満たされる体験をお願いします。わたしどもに聖き神の霊を満たして、クリスチャン人生の戴冠式をなして下さい。主イエスの御名によって祈ります。アーメン