去る7月29,30日の「第56回日本伝道の幻を語る会」は豊かな祝福を得ました。特別講師として立てられた大嶋重徳先生、須郷裕介先生、守部喜雅兄、川村秀夫兄、それに松浦剛・みち子先生、司会の実行委員の先生方、分科会のリーダたち。隠れたところでの奉仕者、愛の交わり、背後の祈り、感謝、感激の集会でした。「若者も年配者も共に居場所となる教会」の説教のように、大きな励ましを受けました。「聖霊に満たされる時、若者は幻を見、老人は夢を見る!」。いつも主の「夢と幻」を心に映し出しましょう。
【聖書箇所の解説と区分】
さて、この聖書箇所ヨハネ福音書10章は、たいへん有名で、イメージの強い箇所ですね。詩編23編の「主はわたしの羊飼い。わたしは乏しいことがない」との告白が、見事に、主イエスこそ「良き羊飼い」であると語られています。主イエスが良き羊飼いであり、ユダヤのリーダーや、異邦人のにせキリストが、「こっちだ、こっちだ」というが「盗人、強盗」(1,8,10節)のようなもの。気をつけよ!との警告もなされています。概略は以下のようです。
1~ 6節 「羊の囲い」のたとえ。
7~ 10節 主イエスは羊の門である。
11~ 15節 主イエスは良い羊飼い。羊は羊飼いを知っている。
16節 この囲いの中にいない羊も一つの群れとなる。
17~ 18節 主イエスは自分から命を捨てる。命がけの愛!
19~ 42節 これを聞いたユダヤ人は主イエスを憎み殺そうとする。
【メッセージ・ポイント】
1)主イエスの言葉、「わたしは良い羊飼いである。」(11節)
⇒ 主イエスは良い羊飼い。
ここにも、きっぱりとした主の宣言文があります。「わたしは良き羊飼いである」という宣言です。主イエスこそ、わたしどもを導き、救う、神からの良き羊飼いだからです。
ここ数週間は、ヨハネ福音書にある「わたしは・・・である」と言う宣言が7回なされていることを学んでいます。イエスキリストこそが終末的な神から遣わされた救い主であることを示している表現と学びました。その7つ、皆さんと共に、声に出してお読みしてみましょうか。ここに聖書語る、神様の救いと愛の宣言がある。
「わたしは命のパンである」(6:48)、
「わたしは世の光である」(8:12)、
「わたしは門である」(10:9)、
「わたしはよい羊飼いである」(10:11)、
「わたしは甦りであり、命である」(11:25)、
「わたしは道であり、真理であり、命である」(14:6)、
「わたしはまことのぶどうの木である」(15:1)。
これらの言葉は暗唱しましょう!
霊的な飢えや渇きを覚えたら・・・・⇒ キリストこそ命のパン!
人生の試練にあって、真っ暗な時・・・⇒ キリストこそ世の光!
人生の荒野で地に迷った時・・・・・⇒ キリストこそ人生の門!
誰の声を聞いたらいいのか分からない時・⇒キリストこそが牧者!
人生で親しい人の死に出会ったら・・・⇒キリストこそ復活の命!
道に迷い、真理、命の不明の時・・⇒キリストこそ道、真理、命!
自分の所属、平安、成長、霊的命の源泉・⇒キリストこそ葡萄の幹
ハレルヤですね。
ご存じのとおり、聖書には羊と羊飼いの話がよく出てきます。創世記12章の聖書の信仰者の出発は、アブラハム。彼は職業は羊飼いでした。その子イサクも、イサクの子ヤコブもまた羊飼い。モーセはミデアンの地で羊飼いをしている時に神の召命を受け、ダビデも若い時は羊飼。羊はユダヤ人にとってなじみの深い動物でした。
また聖書では指導者が羊飼い、民が羊として描かれることも多くあります。更に旧約聖書で重要なことは、羊は人間の罪を代わりに担う贖罪の羊として、犠牲として捧げられました。キリストが十字架で死なれた時、人々は自分たちの代わりにキリストが血を流されたと理解し、彼を「贖罪の子羊」と呼んだのでした。
2.いろいろな羊飼いがいる
主イエスははっきりと「わたしは良い羊飼いである。」と言われました(ヨハネ10:11)。主イエスが活動された時代は、ローマがユダヤを支配しており、ユダヤの人々は、ローマの植民地支配に対して複雑な思いを持っていました。パリサイ派は、いわば、民族派・国粋派で、異邦人であるローマの支配を快く思わず、いつの日か、メシヤが現れてローマを追放すると期待していました。熱心党などは、メシヤを待たずに自分たちの武力でローマを倒そうと考えていたようです。体制派のサドカイ派は積極的にギリシャ・ローマの文化を取り入れ、ローマとの円滑な関係を築こうとしていたようです。また、エッセネ派と呼ばれる人々は、現実の世界から離れ、荒野に逃れ、隠遁生活を行っていました。これらの多くの考えが一つの方向に流れ出し、反ローマで一致し、ユダヤはローマに反乱を起こし紀元66-70年「ユダヤ戦争」が起こり、ユダヤの国は、ローマによって完全に滅ぼされてしまいました。この時代、あまりに多くの指導者がいて、いろいろなことを言うので、右往左往していた時代でもあったようです。
ヨハネ10章の羊と羊飼いはこのような文脈の中で語られています。羊は群衆、羊飼いは指導者です。
ある方はここに、三種類の羊飼いが出てくると言います。
第一の「羊飼い」は、「盗人」であり「強盗」と言われる人々です。これらの指導者は、民のことよりも利益を図るために人々をむさぼっていたパリサイ人やサドカイ人を指しています。いつの時代でも世の指導者はこのようなものですね。この間の参議院選挙などは、日本においても、様々な意見の対立で、選挙は、大変でした。
第二の「羊飼い」は「雇い人」の羊飼いです。雇い人は報酬のために働くのです。彼の関心は報酬であり、羊ではありません。だから狼が来るような、困難な情況になると逃げてしまうのです。
3.良い羊飼い
第三は、「良い羊飼い」ですね。良い羊飼いは自分の羊のことをよく知り、羊もまた羊飼いを慕う(10:15)。
わたしたちはこの良い羊飼いの姿にイエス・キリストを見る。
- 主イエスは良い羊飼い。羊と共に生き、そばにいて守られる。
主イエスはベツレヘムの馬小屋に生まれ、ナザレの貧しいうちに育ち、弟子たちと共に生き、多くの群衆に語り、病んでいる人を癒し、神の国の福音を語り、共に歩んでくださいました。
- 主イエスは良い羊飼い、羊のために命を捨てる。
この所では「良い羊飼い」は「羊のために命を捨てる」と4回(11,15,17,17節)も言われて強調されています。これはイザヤ53章の「苦難の僕」、ロマ書3;21~26の「キリストの十字架の贖い」、「救いの御業」が語られます。救いはキリストの十字架にあり!アーメン
- 主イエスは良い羊飼い、永遠の命を与える。
主イエスが来られたのは、羊に命を与え、豊かに与えるためです(10節)。この言葉はキャンパス・クルセードの「4つの法則」に引用されており、わたしの若い時からの暗唱聖句です。更に29節で「わたしは彼らに永遠の命を与える。だから彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪いさる者はないい。」と語られました。ヨハネ3:16,14:2,3。参照
- 主イエスは良い羊飼い。この囲いにいない羊も導かれる。
「この囲いにいない羊も導かれる。」主イエスは、ユダヤ人々だけでなく、異邦人と言われる全世界の人々をも救いに導かれる。韓国でも、中国でも、インドでも、ナイジェリアでも、日本でも、すべての人が、罪と死の呪いの世界から救いを得るのです。この間インドの「毎週30万人が礼拝に集う教会」のYouTubeを見ました。
今日、はっきりと告白しましょう。「主イエスはわたしは良い羊飼いです!」と。
【祈祷】主よ、今日も、素晴らしい御言葉を感謝します。「わたしは良い羊飼いである」との御言葉を感謝します。主イエスの十字架の救いの正門から入って、救いの道をまっすぐに歩ませてください。特にこの8月3日は、礼拝においてネパールの留学生、マノズ兄が洗礼の恵みに与ります。彼の人生を導いてください。恩寵充満の日々を歩ませてください。命をも捨てたもうほどに、われらを愛して下さる主イエスの御名によって祈ります。アーメン
