新宿西教会主日礼拝説教「詩とさんびと霊の歌によりて生きる」コロサイ書3:12~17西川穂伝道師 2025年8月17日

コロサイ人への手紙3章15、16、17節は三回、感謝という言葉がでてきます。15節  いつも感謝していなさい

16節  キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、

感謝して心から神をほめたたえなさい

17節  そして、あなたのすることはすべて、言葉によると わざによるとを問わず、

いっさい主イエスの名によってなし、彼によって父なる神に感謝しなさい

何もない所に、ありがとうという言葉は、私たちは言えません。私たちは、神様に、たくさんして頂いたから、神様の恵みに感謝していくことができるのです。信仰とは、感謝です。感謝がキリスト者を生むのです。感謝をもって教会がたつのです。 

「キリストの御言葉」に感謝するということを中心に、3章15、16、17節から、私たちが神様の恵みに感謝する、三つの理由について、分かち合いたいと思います。

【聖書箇所の概説と内容区分】

12~14節    父なる神様に愛されている者であるから、愛することができる。

15節       「主イエス・キリストの御言葉」が宿る時、平和が来る。

16~17節   「主イエス・キリストの御言葉」に基づいて感謝と賛美が生まれる。

1. 神様の御言葉に 喜んで生きることができるのを感謝します。

3章16節、「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい」。

この御言葉は、一人一人に言われているという事もあるのですが、それ以上に、このコロサイ教会の交わりの中に向かって言われています。このようにして、主がこの教会へと私たちを召してくださった結果、教会の兄弟姉妹と、時と場所を共にするようになり、福音の使命を共有することになりました。同時に、私たちには、主に贖われたキリストにある、人々の交わりが教会内外を通しても与えられています。そうして、私たちの信仰の旅路で、神様は所属教会を超えた信仰の仲間を私たちに備えられているのです。それは、「キリストの御言葉に生きる」ように知恵を尽くしてお互に励まし合う為です。キリストの御言葉に立つように、そこから落ちないように、励まし合う為、信仰の仲間を備えられたのです。落ち込んでいるならば、誰かが側に行って助けるのです。そして単なる慰めではなく、私たちを「キリストの御言葉」へと向かわせていく為に、励まし合うのです。

2. 詩とさんびと霊の歌とによって生きることができるのを感謝します。

コロサイ3章16節、「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに宿らせなさい。

そして、知恵をつくして互に教えまた訓戒し、詩とさんびと霊の歌とによって、

感謝して心から神をほめたたえなさい」。

ここは、お互いに教え、また訓戒するのは、「賛美」によってであるという解釈が可能なのです。言い換えるならば、「詩とさんびと霊の歌を歌うことによって」、知恵をつくして互に教え、また訓戒しなさい、と読めるのです。

コロサイの教会に深く関係している、エペソ人への手紙の中でも、同じ書き方を見ることができます。この手紙はエペソ人への手紙と比較すると判りやすい所があります。エペソ5章19節では、「詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。」とあります。詩と賛美と霊の歌とをもって互いに歌うのではなく、「語り合う」ということについてですが、古代ローマ帝国の総督で小プリニウスという人が書いた文書(112年)にある記録が残っています。小プリニウスは、次のように、初代キリスト教会の様子を描いています。「キリスト者たちは、夜明けに、『神であるキリスト』に向かって、交唱の形で讃美している」、と。交唱というのは集会をリードする人が先に歌って、次に会衆が歌うというものです。

礼拝のはじめに「交読文」を読んでいる様な形式で交互に歌い交わすのです。

今日の教会でも、御言葉に基づいて詩と讃美と霊の歌とをもって、お互いに励まし合っているのです。

例えば、感謝できない時でも、私たちが神様を賛美している時、その態度が相手に励ましとなり、メッセージを発信しているという事があるかと思います。

『わが涙よわが歌となれ』という本があります。それは原崎百子先生というクリスチャンの病床日記です。その本に、牧師である夫から肺癌であるとの告知を受け、亡くなるまでの四十四日間の記録が綴られています。ガンの進行が具体的になり、体力が衰弱した時、「わが礼拝」という詩を書きます。「わがうめきよ わが讃美の歌となれ わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ わが涙よ わが歌となれ 主をほめまつるわが歌となれ わが病む肉体から発する すべての吐息よ 呼吸困難よ 咳よ 主を賛美せよ わが熱よ 汗よ わが息よ 最後まで 主をほめたたえてあれ」。臨終の際、お姉さんに、「お姉さま!信仰を持たなければ駄目ですよ!信仰は力ですよ!」と叫びます。夜になって、讃美歌を歌い、突然、「キリスト!」と叫んで、あとは指で「ニヨルカイホウ(解放)」と書いてから亡くなられたそうです。

次のように、夫の原崎清先生は、語っております。「妻が、ガンと知りつつ、何ゆえにあのようにも明るく希望に満ちて生き得たかということの秘訣は、一にかかって、『伝道者としての召命の自覚』に拠っていたものであることは 彼女の死を考える場合、最大のキーポイントだと思う。つまり、気負いとか痩せ我慢とかいうことでは全くなしに、自分をかくも豊かに生かし給う主キリストの恵みと、実際自分でも思いもかけなかった今ある平安とを、少しでも他人に証し得たならば、という喜びが彼女を満たし支えていたということである」、と。原崎百子先生は、自分が幸せになるというこだわりではなく、主イエス様を賛美して生きるという使命において解放されていたのです。原崎百子先生は、主の愛により、「詩とさんびと霊の歌とによって、感謝して心から神をほめたたえ」たのです。

3. 「聖霊なる神様の恵み」に生きることができるのを感謝します。

3章17節、「すべてを主イエスの名によって行い、イエス様によって、父である神に感謝しなさい」、とあります。イエス・キリストを信じる者が、祈る時に、祈りが、はじきとばされないのは、イエス様の御名が私たちに与えられているからです

3章17節で、全ての事を主イエス様の名前に基づいて行うようにと、コロサイの教会の人々に命じています。

3章23節、24節でも、「あなたがたが知っているとおり、あなたがたは御国をつぐことを、報いとして主から受けるであろう。あなたがたは、主キリストに仕えているのである。」とあります。私たちは、皆、恵みの中に招かれていて、クリスチャンとしての特別な立場と特別な待遇に置かれていて、そして、主イエス様にお仕えするという特権が与えられているのです。これは、イエス様を受け入れ、新しく生まれ変わったクリスチャンに向けていわれたことです。「キリストの言葉が豊かに住んでくださった」、その結果、私たちにイエス・キリストの心と、聖霊なる神様が与えられているのです。現実に、聖霊なる神様が私たちの中に住んでいてくださるのです。

3章16節、「御言葉を宿らせなさい」の「御言葉」は、ギリシア語で「ロゴス」です。「ロゴス」とは神様の「命の御言葉」という意味に捉えることができます。

即ち、「イエス様」です。イエス様の霊が、「聖霊なる神様」です。

冒頭で三つの感謝があるといいました。16節の「感謝して」は、聖書協会共同訳注では、「感謝して」ではなく、「恵みの内に」と書いてあります。

私たちは、自分の力でここまで生きてきたのではなく、本当は、父なる神様から、私たちは立ち直る為に、生き抜いていく為に、必要なことは、主が全てしてくださったのです。このように、全ては、「神様の恵み」です。

「恵みの内に」心から神様をほめたたえなさい、とありました。「恵み」とは辞書では「無償のイエス様の贈りもの、恩恵」という意味があります。

ヨハネ福音書1章14節、「そして言は肉体となり、わたしたちのうちに宿った。…めぐみとまこととに満ちていた」。イエス様は、この罪に満てる世界に足を踏み入れて、私たち一人一人に目を留めて、心の中に宿ってくださったのです。

そうして、失われていた私たちをイエス様の御救いの中に導かれたのです。

父なる神様が私たちを超えた神様で、御子なるイエス様が私たちと共にいる神様であるとすれば、聖霊なる神様は、私たちの内に働かれる神様です。

ある神学者が次のように語っています。「聖霊なる神様がキリストの全ての恵みを携えて、貧しい私の心の家に来てくださいました。聖霊なる神様は、何か特別な人だけに与えられるのではありません。神様を幼子のように慕い求める人々すべてに、天の父がくださる愛のプレゼントです。ルカ福音書11章13節、「自分の子どもには、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか。」とあります。真の神である聖霊なる神様が与えられるとは、天国が私の元に与えられるのに等しいことです。私が天国に上るのではなく、天国が私の内に来てくださるのです。地上にいながら、いまだ罪人でありながら、神の国が私の中に、訪れてくださるのです!」。聖霊なる神様は、天へとあげられた主イエス様に代わり、「永遠に私たちと共にいてくださる」お方です。聖霊なる神様が私たちの内に住まわれることにより、私たちの内に再び生きる力と希望が与えられたのです(ローマ15:13)。

このようにして、父なる神様は、私たちを憐れんで愛してくださり、聖霊なる神様の恵みをもって、私たちのために、感謝して生きる人間へと呼び起してくださるのです。 そこに、神様の力は発揮されて、神様の命の御言葉が輝き渡るのです。  

どうにもならない人間を見捨てる神様ではなく、どうにもならない不可能な人間だからこそ、この人の為にイエス・キリストを送るという決意をして、その道を選んでくださり、愛し抜いてくださったのです。そして、この地上の生涯において、聖霊なる神様が私たちを最善のご計画へと導いてくださるのです。誰よりも神様へ大きく、深く感謝をする人というのは、誰よりも自分の罪深さを本当に知っている人です。

そのように、父なる神様は、まっすぐに感謝をできる人を御言葉により立ち上がらせ、神様である主を愛して、隣人を愛して仕えるように祝福をもって、今も、「恵みの内に」送り出してくださるのです。祈り)イエス様が私たちに恵みの上に更に恵みを与え、最善のご計画へとお導きください。キリストの言葉が豊かに宿りますように、イエス様のお名前によりアーメン