新宿西教会主日礼拝説教「わたしはまことのぶどうの木である」ヨハネ福音書15:1~11 深谷春男牧師 2025年9月7日

 岡山聖心教会という教会は、礼拝の時の聖書朗読は毎週、この聖書箇所だったとお聞きしたことがありました。この聖書箇所は、そのような不思議な力を持っている箇所とも言うことができるのだと思います。

「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。」からはじまるこの聖書箇所は、とても優しくわたしたちの信仰生涯を教えています。

「4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。5 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」

わたしどもは毎週、礼拝のたびに、主にしっかりと結びつき、神様から豊かな信仰と愛の滋養分を頂き、豊かな実を結ぶ枝となるように教えています。

しばらく前に、早天祈祷会でこの聖書の箇所をお読みしましたら、同じ言葉がたくさん続くので数えてみたら、9回づつ用いられている言葉が、3つありました。それは、「つながっていなさい」、「愛(アガペー)」「実を結ぶ」の三つでした。

【聖書箇所の概説】

今日の聖書箇所は、「主イエスはぶどうの木、わたしたちはその枝」という有名な主イエスのたとえの箇所です。この箇所は、以下のように、1-4節と、5-8節がほとんど同じ主題を繰り返しています。

  1. 主がぶどうの木、実を結ばないものは剪定される、幹につながれ。
    1. 主がぶどうの木、実を結ぶ枝と結ばない枝。幹につながれ。
    1. 愛(父→イエス→弟子) 

服従(弟子→イエス→父)

喜び(イエス=弟子)

【メッセージのポイント】

1)、「わたしはまことのぶどうの木、

わたしの父は農夫である。」     (1節)

 ⇒ 主イエスこそ、まことのぶどうの木。

 まず、今朝、わたしどもに語られるメッセージは、「主イエスこそ、まことのぶどうの木」という内容です。神の豊かな滋養分と命の象徴であるぶどう。神の愛と命の源が、主イエスご自身なのである、と今日の聖書はわたしどもに語りかけています。

ヨハネ福音書には、「わたしは・・・である」と言う宣言が7回なされています。これは「エゴー・エイミ・・・」という形式で、イエスキリストこそが終末的な神から遣わされた救い主であることを示しています。その中での最後の、第7番目の主張がなされています。

「わたしは命のパンである」(6章)、

「わたしは世の光である」(8章)、

「わたしは羊の門である」(10章)

「わたしはよい羊飼いである」(10章)

「わたしは甦りであり、命である」(11章)、

「わたしは道であり、真理であり、命である」(14章)

「わたしはまことのぶどうの木である」(15章)の二つ表象の中には、「良い」と「まことの」という言葉が加えられ、「排他的かつ挑戦的な主張がなされている」(シュルツ)と言われています。

つまり、今朝、語られる「わたしはまことのぶどうの木」と言う言葉は、多くの「まことならざるぶどうの木」があったことを予想させるのです。  ユダヤ人は自分たちが、神の植えたぶどうの木だと信じておりました。パレスチナはぶどうの産地であり、人々に親しみを持たれた植物でした。ですから旧約聖書にはイスラエルの民がぶどうの木であることを語る描写がたくさん出てきます(詩編80:8-15、イザヤ5:1-7、27:2-6、エレミヤ2:21、エゼキエル15:1-6、17:1-6,19:10-14、ホセア10:1など)。マカベヤ王朝の貨幣紋章はぶどうの木であり、神殿の栄光の一つは聖所の前面にある大きな黄金のぶどうの木であったと言われます。ぶどうの木はユダヤ民族の象徴だったのです。旧約の詩人は「 あなたはぶどうの木をエジプトから移し/多くの民を追い出して、これを植えられました。」(詩編80:9)と歌っています。しかし、ご存知のように、イスラエルは神に反抗し、悪い実を結ぶ「野ぶどう」となって行ったのでした。イスラエルは自分たちが神の選びの民であると言いつつ「偽りのぶどうの木」となっていったのです。

現在、「まことのぶどうの木」、すなわち神の約束を真実に受け継ぐ者は、主イエスご自身であると聖書は、宣言しているのです。

2)、2 わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。・・・・・・・・・・・6 わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。             (2-6節)

⇒ わたしにつながっていなさい!        

 ぶどうの木を栽培する時に、特に注意すべきことは剪定であり、念入りな整備であると言われます。ぶどうの剪定は結実時の終わりごろになされ、冬は幹とごく少数の枝のみになってしまうそうです。また、ぶどうの若木は植えられてから三年間は実を結ぶことが許されず、徹底的に刈り込まれることによって命を蓄え、よき実を結ぶように準備されるのだそうです。

しかし、これらの言葉には厳しい響きがあります。「わたしはまことのぶどうの木」と語られた後に、このような厳しい警告があるのは、イスカリオテのユダの堕罪と運命を暗示していると言う主張もあります。せっかく主イエスに結びつき新しい命と祝福の中を歩み始めたのに、自ら主を裏切り、命から堕ちてゆく存在を主は嘆かれたのでありましょう。

榊原康夫師の解説でも、ヨハネの福音書が書かれた歴史的状況についての説明がなされています。ヨハネ福音書は一世紀の末ごろに書かれた一番遅い福音書です。この頃には、教会は50年、あるいは60年の歴史があり、教会の中にも堕落した信徒が多く出てきたというのです。そして、神の民としての実質を保つためには厳しい警告を必要としたのだと言います。それから、榊原師は神学生時代のご自分の体験を書いておられます。母教会の長老宅に呼ばれ、ご馳走してくれるのかと思っていたら、「榊原さん、今のままではあなたは聖餐停止となりそうだ」と言われ、身を正したという証しです。彼は、この御自分の体験を通しつつ、「出来損ないのクリスチャンであってはいけない」と勧めています。

 主の剪定は時には厳しいこともありますが、豊かに実を結ぶためと心得て、主の僕として、へりくだって、整えの時とさせていただきましょう。

3)父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。                (4,5,9節)

⇒ わたしの愛に留まりなさい。              

 ここでは、「わたしにつながっていなさい」と言う言葉が、繰り返し出てきます。この「つながって」と言う言葉は「メンノウ」というギリシャ語で「わたしの愛にとどまりなさい」の「とどまる」も同じ言葉です。主イエスにつながっていなさいと言われます。幹につながって、樹液を受け、その命と養分に与ることがないといつの間にか、枝は枯れてしまうのです。わたしどもはぶどうの枝といわれています。枝が幹から離れてしまえば、養分も行き渡りません。乾ききってついに枯れてしまうのです。もしもつながっていなければ自分で実を結ぶことができなくなってしまうのです。

 昔、アメリカのマサチューセッツ州ボストン郊外のメンタルケア病院の地下室に、アニーと呼ばれる少女が入れられていました。当時、メンタルな障害者は決して直らない、人目にさらしてはならない、と考えられていました。少女はこの小さな部屋で一生を過ごす運命にあったのです。しかし、その病院で働く一人の掃除婦がその少女を可哀想に想い、食事を運ぶ度に゛I Love you″と声をかけ続けたのです。すると、その結果その少女は心を開き、病も徐々に回復し、やがて学校を卒業し教師の資格を取りました。そして、ある家庭に家庭教師として遣わされました。その家庭には見えない、聞けない、話せないという三重苦の少女がいました。そうです、これがヘレン・ケラーとアン・サリバン先生との出会いです。一人の名もない掃除婦の励ましがなかったらアニーは教師になれなかったでしょう。そして、ヘレン・ケラーのその後の大きな働きもなかったはずです。私たちも、神の励ましを聞くべきです。「わたしの目に、あなたは高価で尊い。あなたを愛している。」と。

最後に「実を結べ」とのみ言葉に注目し、締めくくりましょう。            ガラテヤ5:22-23は有名。「御霊の実」は、「愛、喜び、平和、寛容、慈愛、       善意、忠実、柔和、自制」と知らされています。                  ロマ6:22には「きよきに至る実」が記されます。その終局は「永遠の命」。                             ピリピ1:11には、イエス・キリストによる「義の実」。神の救いの恵み。へブル13:15には「讃美のいけにえ」「くちびるの実」というのがあります。                          ローマ1:13には、「救霊の実」が記されます。それは救われる魂のこと。

この週の初めの聖日に、「主がまことのぶどうの木であること」を学びました。は「わたしにつながっていなさい」「わが愛のうちにいなさい」「豊かな信仰の実、御霊の実を結びなさい」とお語り下さり感謝します。愛と喜びと平安の、恵み豊かな一週間を共に歩みましょう!ハレルヤ!

【祈り】 天の父よ。今朝は、「まことのぶどうの木」という題のもと、主にある恵みの生涯を学ばせていただきました。感謝します。わたしどもが「主イエス様、あなたこそまことのぶどうの木」であることを深く知るものとならせてください。偽りのぶどうの木、偶像の世界へ落っこちたり、恐ろしい不信仰に陥ることなく、深い信仰と祈りの中でまことのぶどうの幹であるあなたご自身の中に歩み、あなたの豊かな滋養分に与かる霊的な生活をしつつ、御霊の実、きよめの実、義の実に満たされ、こころは讃美に満たされ、救われた魂の実が、たわわに実る新宿西教会としてください。わたしたちのまことのぶどうの木である、主イエスの御名によって祈ります。アーメン!