本日は新宿西教会のオープンチャーチ第2週です。オープンキャンパスというのがありますね、大学を多くの人に開いて、構内を自由に見ていただいたり、様々な展示物で内容を紹介したりしますね。あるいは、体操を披露したりします。それで、大学を志願している学生は、自分が学びたいこと、したいことがここで得られるか、など知ることができるわけです。
オープンチャーチは、教会でお伝えしているメッセージを一人でも多くの人に聞いていただき「ここに自分が必要としていた命があった」と見つけていただきたくて開いています。是非心を開いてお聞きください。
エペソ人への手紙は、使徒パウロが書きました。
ユダヤ人で、中でも神様に仕えるために、一番厳格に律法を守っていた、パリサイ人で、最初はクリスチャンの迫害者だった人でした。が、十字架で死んだ人間と思っていたイエス様が、直接語り掛けられて、目が見えなくなりました。ダマスコに入って、アナニヤが送られ、イエス様の赦しを伝えられ、信じバプテスマを受け生まれ変わりました。それからは、イエス様による罪の赦しを述べ伝え、信じた人々の教会ができていきました。生みの親であるパウロがもう一度、自分たちが得た命がどのようなものかを送ったのがこの手紙です。
教会の建物も見学して頂いてもいいですが、是非ともこの教会のメッセージをお聞きいただいて、この命を頂いてください。
今日の聖書箇所の内容
1‐5節 あなた方は、かつては死んでいたがキリスによって新しく生かされた。
10節 このキリストの命は善い行いのをするために造られたのです。
11-16節 教会はユダ人も異邦人も一人の新しい人に造られたところ。
1)死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かされた
1 さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、
2 かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。
3 また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。
4 しかるに、あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである 1-5節
オープンチャーチですから、教会の命の入り口をまずお知らせいたします。パウロは教会のメンバーに先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であった。また、わたしたちもみな、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。といっています。パウロは教会の全ての人が死んでいたものだと言います。
ごく最近、この地域で、ひどい自傷行為をしている女の子のことや、異常に睡眠薬を服用している子のことを知らされました。ニュースでも「もう人生終わらせたかった」と全く見ず知らずの方を殺害した人を知らされました。彼らは見えるところで、死んでいると思えますね。でも、人間何の問題もないという方があるでしょうか?そして決定的なことは、全ての人に死が訪れるということです。
でも大丈夫です。あわれみに富む神は、わたしたちを愛して下さったその大きな愛をもって、5 罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かしてくださるのです。私もよく生きようとして生きられない自分を知ったとき、だからイエス様が十字架でこの私の罪を贖うために死んでくださったことを悟りました。イエス様を信じ洗礼を受けました。
救いがこの世界に与えられた次第をお話しします。見えない神様が、この世界に人間となってお生まれ下さいました。処女マリアに宿り、人々からのけ者にされていた羊飼いに先ずその到来が告げられました。成人して福音の到来を告げるようになってからは、取税人や遊女に開放を告げ、病気を癒し、5千人の給食、弟子のペテロは海の上を歩かせていただきました。全能の神の証しでした。
果ては、祭司長達の妬みによって、十字架にかけられました。しかしそれは全き愛の神様の人類の救済の計画でした。罪によって入ってきた死を罪のないイエス様の死によって死を打ち破り復活し、「私のもとに来なさい休ませてあげよう」と救いを完成してくださったのでした。イエス様は、多くの人の見ている前で昇天し、全ての権能を与えられたので、聖霊様をお送りくださいました。今やキリストイエスを信じ、バプテスマを受けたものは、罪に定められることはありません。新しい命に生まれ変わるのです。これが入口です。
2)良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。
10 わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。 10節
救われたのは、神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。と書かれています。イエス様は使1:8 ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」。と言い残されて天にお帰りになりました。同じパウロの手紙の言葉です。ガラ 5:19 肉の働きは明白である。すなわち、不品行、汚れ、好色、20 偶像礼拝、まじない、敵意、争い、そねみ、怒り、党派心、分裂、分派、21 ねたみ、泥酔、宴楽、および、そのたぐいである。わたしは以前も言ったように、今も前もって言っておく。このようなことを行う者は、神の国をつぐことがない。 22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。24 キリスト・イエスに属する者は、自分の肉を、その情と欲と共に十字架につけてしまったのである。とあります。神の国に入れられたら神の国の法則に生きるはずですね。御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、23 柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。この天国の前味にです。ですが私たちはこの命ばかりに生きていないと思うのではないでしょうか?ここを調べて、それは信仰の問題だと言われている先生がいます。神様は神の子として私たちを生まれさせて下さった、それは欠陥ある神の子をおつくりになったのではない。神様に全服の信仰を向けるなら神様がしてくださるのですと。ベースは聖霊様への全幅の信仰ですね。「はい、そこにおらせてください」と祈ったら後は神様が実を結ばせて下さるでしょう。天国の前味を味わえますように
3)ひとりの新しい人に
11 だから、記憶しておきなさい。あなたがたは以前には、肉によれば異邦人であって、手で行った肉の割礼ある者と称せられる人々からは、無割礼の者と呼ばれており、12 またその当時は、キリストを知らず、イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者であった。13 ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。
14 キリストはわたしたちの平和であって、二つのものを一つにし、敵意という隔ての中垣を取り除き、ご自分の肉によって、15 数々の規定から成っている戒めの律法を廃棄したのである。それは、彼にあって、二つのものをひとりの新しい人に造りかえて平和をきたらせ、16 十字架によって、二つのものを一つのからだとして神と和解させ、敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのである。 11-16節
次に述べているのは、教会の構成員についてです。教会には、ユダヤ人からクリスチャンになった人々と、異邦人からクリスチャンになった人々がいました。 元々ユダヤ人は、自分たちは、神様から特別に選ばれた民で、聖別の割礼を受けている。と自覚していました。けれどもパウロがそうであったように、本当の救いは、イエス様がご自分の血をもって贖ってくださった命によってのみ与えられました。異邦人からのクリスチャンも、真の神様を信じ、イエス様の贖いを信じて、バプテスマを受け、罪の赦しを受け新しく生まれた者でした。
エルサレム神殿には隔ての壁がありました。ここからは異邦人が入ってはいけない決まりでした。入ったら死刑とまで書いてあったようです。敵意を十字架にかけて滅ぼしてしまったのであるとは、この差別が滅ぼされたという意味です。
教会は神様に罪赦され、死から命に移された新しい命に生き初めた人々の集まりです。2週間前に主の祈りを学びました。教会は天国の橋頭保ですね。神の国の法則は、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、23 柔和、自制の国です。聖霊様によってその命に生かされますように!
そして、「一人の新しい人になった」とも言われます。一人一人は不可分の大事な部分なのですね。イエス様が熱心に求め続けなさいと言われたのは、神の国と教えられました。熱心に求めましょう。イエス様の体なる教会になるために。
ワイヤット桂子さんの証。
5人姉妹の次女として育ちましたがよくケンカをしたそうです。お父さんからお前は頑固すぎるとよく言われたそうです。成人して色々な人や問題と出会う中で「内面から良い人間になりたい」と願い、自分の努力ではどうにもならない現実に気づき、お寺を訪ね親鸞に傾注していったそうです。そんなある日、友人が「マタ6:25 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。34 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」のお言葉を送ってくれたそうです。そこから聖書に興味を持ち、米国でクリスチャンの家庭に導かれ、家族の愛と一致が心に深く残り「この人たちが信じている神様っていったいどんな方なのだろう」と興味を持ちました。教会に通うようになり、」ロマ書3:23,24すなわち、すべての人は罪を犯したため、神の栄光を受けられなくなっており、24 彼らは、価なしに、神の恵みにより、キリスト・イエスによるあがないによって義とされるのである。このみ言葉により、自分の罪に対して目が開かれ、神のみ前に心から悔い改めキリストを信じて洗礼を受けました。心に深い平安が訪れ、自分の罪がゆるされたという確信、死んだのちは天国に行けるという希望が与えられたのです。一番うれしかったのはもう自分の力で「良い人にならねば」と、がん張り続ける必要がないことでした。イエス様が一歩一歩導いて下さる」という喜びがこころにうまれたことでした。
祈り 全ての人がイエス様の命をいただき、新しい命がいただけますように。
聖霊様に心のイニシアチブを委ね、御霊の実が結ばれますように。お互いの弱さの為に、信仰の祈りをし合えますように。健康な一人の新しい人として成長させてください。 主の御名によって。アーメン
