新宿西教会オープン・チャーチ第三主日礼拝説教「弱いわたしを助けてください」ロマ7:24,25 ジャーナリスト守部喜雅氏  2025年10月19日(日)

 今朝は、聖書の話の前に、みなさんが興味を持っておられる話題から話を始めたいと思います。今、NHKで朝の連続テレビ小説「ばけばけ」が放映されていますが、ごらんになっている方はおられますか。私も、録画をして暇なときに、観ています。今は、まだ、後にご主人となる小泉八雲との出会いの前の話が続いていますが、主人公のトキさんが、晩年になって、この新宿西教会の前身の大久保教会の礼拝に出席していたという驚くようなお話があるのです。

 小泉八雲(英名・ラフカディオ・ハーン)という名は、歴史の時間に、習った方もいると思いますが、アメリカで、新聞記者をしていた時代、日本についての記事を書くようにと頼まれ、1890年に来日、島根県の松江で英語の先生をしながら、古来からある日本文化に魅かれ、お化けの研究を始めます。 元々、厳格なカトリックの家に生まれたハーンでしたが、その律法的な教えに反発、キリスト教ぎらいになり、日本の鷹揚とした文化に心惹かれ、その探求に生涯を捧げました。テレビドラマに出てくる、トキさんは、独り暮らしのハーンのお手伝いとして一緒に暮らしていましたが、後に、二人は結婚します。ハーンは、後に、日本国籍を取り、小泉八雲と名乗り、ドラマの中ではトキという名で出ていますが、本名は、小泉節といいます。

 小泉八雲は、松江には1年余り滞在、のちに、転住して熊本に三年、神戸に二年、英語教師として働き、1896(明治26)年に上京、最初は、市谷に居を構え、東大の英文学講師として働き、1902年に新宿の西大久保にやって来たのです。しかし、病弱だった八雲は、二年後の、1904年に亡くなりました。54歳と言う短い生涯でした。その時、節さんは36歳で、三男一女の子供と共に、西大久保の森に囲まれた家で生活することとなりました。

その場所は、シャロームビルと職安道路を隔てた場所にあり、今は、その跡地に小泉八雲終焉の地という石碑が建っています。

 さて、今、ここに新宿西教会創立50周年記念誌という本があります。その中の、柳田研一さんというこの記念誌をまとめられた方のこんな文章があります。

「おそらく、この時代、今と違って、この辺も作家が落ち着いて執筆するのに適した閑静な場所だったろう。教会の右向かい、大久保小学校に向かう小道を行くと、今度は“小泉八雲終焉の地”と記されたところがある。この八雲亡き後の家族と私の祖父文吾の家族との間には、少なからず親しい交わりがあったらしく、当時、小学生だった父が晩年になって記した回顧録によると、節子夫人と四人の子供らの住む家は大きな竹藪のなかの人影少ない静かな所にあり、子供たちの中の一人は、大久保教会に通う熱心な信者で、讃美歌をテナーで歌う美声の持ち主だったという」。

生前、柳田研一さんから、「父から聞いたのだが、おじいちゃんの柳田文吾牧師の時代、小泉八雲の奥さんが子供をつれて、大久保教会にかよっていたらしい」という話を聞いたことがありました。その時は、ふんふんと聞いていたのですが、今「ばけばけ」が放映されているのを観て、松江のあの若いトキさんが、晩年になり、小泉八雲の死後、西大久保にあった大久保教会に子供たちとかよっていた、しかも、柳田文吾牧師の家庭と親しい関係にあったと知り、深い感動に包まれております。

柳田研一さんによると、文吾牧師は、心の広い方で、他の宗教を非難することはせず、キリストの福音を語ったということですが、キリスト教嫌いの小泉八雲の残された家族と親しい関係にあったということもその寛容な心が影響をしているのかも知れません。

 なお、大久保教会の会堂についてですが、柳田文吾牧師の時代に、今、このシャロームビルがある敷地に1923年(大正12)年に新会堂を建設、小泉節さんが訪れた会堂は、まさに、この地に建っていた会堂だったのです。その後、関東大震災が起こりますが、この会堂は無事で、婦人会が中心となって避難民の救助に当たったそうです。しかし、1945年5月の東京大空襲で全焼、戦後は、空き地になったままで、1955年に、岡田実牧師が開拓伝道の地としてこの場所が与えられ、新宿西教会の最初の会堂と西大久保幼稚園園舎が建てられ、45年が経った1980年にシャロームビルが建ち現在に至っています。

 

 おそらく、「ばけばけ」では、小泉節さんと子供たちが大久保教会と深い関係にあったことは描かれることはないでしょうが、これから、ドラマがどういう展開になるかはわかりませんが、歴史を支配される神が、そのような信仰のドラマを創ってくださったことを思い出していただきたいと思います

  さて、ここからは、本題の聖書のお話に入ります。

 今から、50年ほど前の話になりますが、当時は、今では考えられない程、若者たちが荒れていた時代でした。大学では、ベトナム戦争反対などの、学園紛争が、東京の大学を中心に起り、生きる意味を失った若者たちは、新宿駅東口場にたむろし、あちこちで、シンナーを吸っては、現実逃避をしていたのです。当時、新宿西教会では、日曜の夜に、アガぺ・インという伝道集会を開き、東口にたむろするフーテンの人々を、集会に誘う働きをしていました。

ある夜、姉妹二人が、シンナーを吸っている若者に、声をかけていました。その一人の青年に、「イエス様はあなたの人生を変えることができます!」と声をかけ、集会に連れて来たのです。

 その夜の集会では、人間の罪についてメッセージが語られました。人は、罪を犯すから罪人ではなく、生まれながらの罪人だから罪を犯すのだ、という話です。そして、その罪から救われるためには、すべての人の罪を自らが負われ十字架にかかられたイエス・キリストを救い主として信じてください、と語られたのです。

 その話を聞いた、連れて来られたその青年は、カチンと来たのです。自分が罪を犯していることをズバリ糾弾されたのです。彼は、怒りを憶え、集会途中で、教会を出て行きました。そして、むしゃくしゃしながら、新宿の街を、あてどなく歩いていたのです。「あなたが、人生をやり直したいと思うなら、私がお手伝いをしますよ」

突然、そう声をかけられました。見ると、そこに一人の外人が微笑みをたたえ立っていました。

 その外人は、下落合にあるキリスト教会の宣教師でした。その青年は、その宣教師のやさしさに心を開きました。そして、宣教師の教会で、「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」と言われ、今も、全世界で、多くの人々が信じているイエス・キリストを救い主として信じたのです。

 しかし、新宿にいればまた、罪の世界に入っていくかもしれません。宣教師は、その青年を軽井沢にあるリトリートセンターに連れて行き、一か月にわたり、その青年を信仰の深みに導いたのです。

 ところが、青年は、自分の罪を告白する中で、自分が山口組のやくざであることをあかし、そのやくざから足を洗うといいます。宣教師は驚きましたが、青年の意志はかたく、どのような制裁をうけようと山口組からの離脱をすると新宿へもどっていったのです。

それから一年後、青年は新宿西教会を訪ねてきました。そして、山口組から脱退する時、全身が血だらけのリンチを受けたこと、しかし、心は平安だったこと、今は、クリスチャンの女性と結婚したことなどを話してくれました。

 当時、新宿の歌舞伎町界隈の喫茶店で、金曜日の夜、伝道を続けていたクリスチャングループが、喫茶店を借り切って伝道集会をしていました。新宿西教会の青年有志もその働きに加わっていたので、山口組から脱退したその青年に、証しをお願いしたのです。彼は語りました。

 「私の人生は、荒れ狂う海の中で、今にも溺れ死んでしまうという状態でした。助けを求めても、他の人々も、みんな海に溺れてもがいており誰も助けてはくれませんでした。その時、岸から、ロープについた救命用の浮き輪が投げられてきたのです。わたしはその浮き輪に、必死になってすがみつき救出されたのです。救命用の浮き輪はイエス様です。 今も、生きておられるイエス様を信じ、 そのお方にすべてをゆだねた時、私の人生は死から命へと変わりました」。

 

 今日、与えられている聖書の言葉を、読んでみます。

「わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主イエス・キリストによって、神は感謝すべきかな」

この聖書の言葉は、あの山口組から命がけで脱退し、イエス・キリストに出会うことによって、はじめて、喜びと平安を体験した青年に語られた言葉であると同時に、わたしたちにとっても語られている言葉ではないでしょうか。

自分が良い事と思うことができず、してはいけないことをしてしまうのがわたしたちです。私たちの心の中には闇があります。しかし、「主よ、弱いわたしたちを助けてください」と祈った時、闇のなかに光が来たのです。

かつて、新宿東口で、「イエス様は、あなたの人生を変えることができます」と、迷いの中にある若者たちに叫び続けたクリスチャンの姉妹方がいました。今、その叫びを、わたしたちが、迷いの中にいる人々に向かってする時ではないでしょうか。