今週は、週報のコラムに書きましたように、ホーリネスの群の機関誌から、「有馬歳弘先生を天に送る」と言う、文章を依頼されて、書き上げました。有馬先生は、ホーリネスの群の天門教会の伝道師でしたので、同じグループに属しておりました。しかし、先生は昭和16年生まれの方で、わたしより10歳近くも年上でしたので、親しくお交わりするチャンスを持つに至りませんでした。とても残念に思っております。しかし、教会の「50年記念誌」や、教会月報「シャローム」を、夜が更けるまで読ませていただきとても感銘受けました。特に先生が教会に足を向けたのは、高校2年生の時に、五味川純平さんの「人間の条件」を読んで感動し、激動の昭和史の中で、中国や韓国の方々を軍事政権のもと、恐ろしい罪を犯さざるを得なかった主人公の苦悩が描かれており、この小説は仲代達也さん主演の映画にもなりまして、わたしは友人と共に、5,6時間にわたるこの映画を見に行ったのを覚えています。わたしの20歳のころのことです。この小説を読んで、教会に行って、自分の罪や日本の犯した罪などを考え、自分の罪に気づき、洗礼を受けてクリスチャンになり、卒業の時には、自分は献身して牧師になろう!と考えた有馬先生の体験と自分の体験が重なってとても熱い思いを新たに示されました。
【さて今日の聖書の概略】
さて、本日与えられている詩篇67篇は、「収穫感謝の詩篇」として読み
継がれて参りました。6節で「地はその産物を出しました。神、われらの神はわれらを祝福されました。」という言葉のゆえに「秋の収穫感謝の詩篇」と呼ばれたわけです。66篇は「春の感謝祭」とも言われます。
しかし、丁寧に学んでゆきますと、本詩篇には豊かな実りに対する感謝が
ありますが、それ以上のものがあります。つまり、この詩篇は収穫感謝の際に歌われたかもしれないが、その主題が「収穫への感謝」という以上に、「神の臨在への感謝」を歌っている詩篇だと言われています。
この詩の構造は、ケンブリッジバイブル注解を書いたロジャーソン&マッケイによれば、良くバランスのとれたものになっていると解説されています。
また、黒木安師の解説によりますと以下のように語られます。
この詩篇の祝福は「アロンの祝福」(民数6:24~26)を継承する。
「神からの祝福」こそは生きとし生けるものにとって不可欠のもの。何を手に入れたとしても「神の祝福」を失うならすべてが潰えてします。「神の祝福」とは神から与えられる何かでなく、神ご自身との生きた関係、神ご自身との豊かな関係である。その関係はアダムとエバの原罪の出来事で失われ、カインのアベル殺害の記事で、悲劇へと転化した。しかし、主イエスの「十字架の贖いはもう一度人間を「祝福を受け継ぐ(1ペテロ3:9)へと新しく造りかえたのである。主イエスキリスト信じる信仰が、信仰の人アブラハムと共に、祝福の人生を受け継ぐのである。
いまひとつ重要なことは「御顔の輝き」ということが2節で語られます。「神の御顔」という言葉は詩篇全体で43回、旧約聖書全体では65回語られ、神体験を語る直接的な表現となっている。いつも、主の御顔を仰ぐという「臨在の体験」に生かされたいものである。やがて、「顔と顔をあわせて見ることになる」(Ⅰコリント13:12)と約束された恵みの事である。
【メッセージ・ポイント】
1)、聖歌隊の指揮者によって琴にあわせてうたわせた歌、さんび
1 どうか、神がわれらをあわれみ、われらを祝福し、
そのみ顔をわれらの上に照されるように。〔セラ
2 これはあなたの道があまねく地に知られ、
あなたの救の力がもろもろの国民のうちに
知られるためです。 (1、2節)
⇒ 万物は神の祝福に依存する。(神の臨在なき人生は空虚である。)
「礼拝者の顔は、収穫物からその与え主なる神へと向かう」(バイザー)。
この詩は「収穫の感謝の歌」でもありますが、詩人の思いは収穫物ではな
く、世界の造り主であり、歴史の審判者なる神に向かっています。ここで
詩人は「神の憐み」「神の祝福」「神のみ顔」の輝きを照らしたまえと祈っ
ています。この詩は収穫感謝、自然の実りへの感謝の祭りの際に歌われた
と一般に考えられていますが、実は、収穫感謝や大地の作物への言及は、7
節でようやく現われます。主題は「収穫物の豊かさ」ではなく、「創造主の
御顔」です。「自然を祝福する神」ではなくて「歴史を導く神」です。この
箇所はアロンの祝福(民数6:24‐26)の投影でもあります。それは「神の
命あふれる人格的な臨在」としての「神のみ顔」への祈りとなっています。
神の臨在こそ計り知れない祝福の源なのです。それは人格的出来事、救い、道、公正、裁きといった神の義への信仰です。カナン宗教の農耕民的な
豊穣信仰、それから来る性的混乱の世界とは正反対の世界を形成しています。 ここでは、神様の祝福の姿を、10の言葉で鮮やかに表現します。
収穫のお祝い・神様の臨在のお祝いを表わす、万国旗のようです。
- あわれみ(ヘーン):これは神様の恵みを表わす。神の豊かな恩寵。
- 祝福し(バラカー):ここでは3回(1,6,7節)。神の命の充満。
- 御顔を照らし(オール):光を放つ。神様ご自身の臨在の恵み。
- あなたの道(デレク):神様に従って歩む生活の仕方。主の道を歩む。
- あなたの救い(イシュア):神様の備えられた救い。主イエスの名前も。
- 地は産物(イブラハ)を: 神様の与えられた大地の恵み。豊かな実り。
- 公平(ミショール):貧しい者にも、豊かな者にも公平な裁判を。
- 裁き(シャファート):これは神の裁き。被圧迫者にとっては解放の恵み。
- 導かれる(ナーハム):神様が、正しい導きをする姿。
⑩ あなたに感謝する(ヨドゥーカー):感謝すべき対象。4回(3、3、5,5節)
2)、 3 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、
もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
4 もろもろの国民を楽しませ、また喜び歌わせてください。
あなたは公平をもってもろもろの民をさばき、
地の上なるもろもろの国民を導かれるからです。〔セラ
5 神よ、民らにあなたをほめたたえさせ、
もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。
6 地はその産物を出しました。
神、われらの神はわれらを祝福されました。(3~6節)
⇒ すべての民よ、主に感謝をささげよ!(義と祝福のゆえに)
ここでは、3節と5節で、畳句として「もろもろの民にあなたをほめたたえさせてください。」と4回も繰り返されます。
「感謝をささげること」が、人間のなし得る最高の神への応答です。まず、「神の道」、「救い」(2節)、「公正」、「裁き」、「導き」(4節)のゆえに神に感謝を捧げる。これは新約聖書では、十字架、復活、再臨という神の歴史を貫く御経綸、神の歴史支配、義の業の貫徹を意味することになります。そし
て、2番目に「大地の作物」(6節)への感謝ということになります。
義のもたらす祝福として感謝がささげられます。「十字架と復活」への信仰を経て、それから「聖霊の満たし」へと進む、聖書の指し示す霊的な成長の順序がここにも見うけられると感じます。詩篇65篇も同じです。
山室軍平先生は、この詩篇の表題を「世界はわが教区」というジョン・ウェスレーの言葉をもって飾りました。確かに、この詩篇には、イスラエルの民だけでなく、全世界の人々民族が、主に感謝を捧げると歌われております。
- あまねく地に知られ ②もろもろの国民のなかに
- 民らに ④もろもろの民に
➄ もろもろの国民に ⑥もろもろの民を
⑦ 民らに ⑧もろもろの民に
⑨ 地のもろもろの果てに ⑩ことごとく
3)、 6 地はその産物を出しました。
神、われらの神はわれらを祝福されました。
7 神はわれらを祝福されました。
地のもろもろのはてにことごとく
神を恐れさせてください。(6~7節)
⇒ 神を畏れる者となれ!
ここには神の祝福を願う民族的な祈りがあります。
神が、祝福してくださるように!魂の問題に解決を与え、主イエスの十字架を仰ぎ、救いを朝ごとに明確に示してください!そこから聖霊の著しい油注ぎとリバイバルの業がなされます。それは「神を畏れ敬う」(新共同訳)魂の状態から来るのです。 最後の締めくくりは、「主を恐れることは知恵のはじめ」(箴言1:7)の通り、神を畏れる者(新約で言えば、「神を信じる者」という意味。)として、新しい人生を歩みましょう。
歴史を導く主、祝福の主を見上げ、感謝して一年を締めくくりましょう。
主の御名は讃美すべきです。ハレルヤ
【祈祷】 全能の父なる御神。11月30日から、アドベント礼拝が始まります。教会暦の1年の始めはアドベントからです。そのような意味で、この一年を終わろうとしています。何よりも今は収穫の時です。あなたの豊かな祝福を心から感謝します。豊かな収穫に目を注ぐ前に、主よ、あなたの臨在に感謝するよう導いてください。そして迎える新年に、あなたの豊かな救い、御臨在、豊かな祝福の実を受ける一年となりますように。ハレルヤ、あなたの御祝福を感謝します。主イエスの御名によって祈ります。アーメン
