今年も、アドベントの時季を迎えました。教会暦で行くと、このアドベントから一年が始まります。アドベントは、もともと adventus というラテン語で「到着」の意味だそうです。キリストの到来、出現を待つ時期という意味です。これからクリスマスまでの時、わたしどもは主イエスに会う備えの時といたします。王の王、主の主なる恵みのお方が来られる。教会暦にはひとつの教えがあります。人生が真実に始まるのは、主イエスを心に迎えるための「備え」から始まるのです。また、このアドベントという言葉から adventure(冒険)という言葉が出たと言われます。神様が御子イエスをこの世に送って冒険をしてくださった。そして、主イエスを心に迎えるクリスチャン生涯は、素晴らしい可能性に満ちた愛と信仰の冒険であることを語っているのです。
さあ、今日から素晴らしい冒険の旅に出かけましょう。
【この聖書箇所の概略】
さて、ヨハネ福音書は「はじめに言があった」と有名な書き出しで始まります。「ことば」とはギリシャ語でlogos。宇宙の法則、道理の意味で、天地宇宙を貫く「真理」としてのキリストを指し示します。ここは「ロゴス賛歌」と呼ばれる箇所です。
賛歌1( 1ー 5節)創造者であるロゴス=キリストを讃える
賛歌2(10ー14節)人となったロゴス=キリストを讃える
賛歌3(16ー18節)恵みとまことの主であるロゴス=キリストを讃える
更にヨハネ福音書は「しるしの書」(主イエスの7つの奇跡1:19ー12章)と「栄光の書」 (特に主イエスの十字架と復活 13ー20章)とで構成されています。
【メッセージのポイント】
1)1 初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2 この言は初めに神と共にあった。3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。(1~3節)
⇒ キリストは神の言(ロゴス)
マタイの福音書は旧約で預言されたメシヤ(油注がれた方=救い主)としてのキリスト、マルコ福音書は僕として仕えるキリスト、ルカ福音書は全人類の救い主としてのキリスト、ヨハネ福音書は全宇宙的な広がりの中で神の子としてのキリストが描かれています。ヨハネはここでキリストの姿を「肉体を取った神」という姿でわたしたちに伝えています。ヨハネはイエスキリストを受肉前と受肉後に分けて説明しています。受肉前の主イエスは神の「言」(=ロゴス)であり、「独り子なる神」と語っています。
この箇所は天地創造の記事(創世記1:1ー2)とよく似ています。その箇所と照らしあわせて福音書記者は書き始めています。その第一は天地創造の初めにロゴスなるお方=キリストがおられたという内容です。
ロゴスは「論理」「道理」「知恵」「真理」「理性」等様々な言葉に訳されます。ロゴスとは一言で言えば「混沌」の反対で、神の秩序、神の論理を意味します。この世は空虚な混沌ではありません。この世は美しい秩序あふれる神の恵みの最高傑作なのです。世界は神の理性の壮大な創造物であり、醜悪なる空虚な世界とは違うのです。その原点はキリストの愛と恵みの秩序ある世界。ここに深い神への信仰告白とこの世に生かされて行くことの意味を見ることができるのです。キリストはこの混沌のカオスから救う神の真理なのです。
皆様の同じではないかと思うのですが、主イエスに出会うまでのわたしどもの生涯を考えると、わたしどもは「混沌の嵐」の中を歩んでいました。わたしも自分の青春時代を思い起こすと、実に、神の救いを受ける前の、混沌の世界を思い出します。どのようにして自分の人生を生きてゆくのか?当時、若者をひきつけた共産主義思想にひかれたり、仏教にひかれたり、自分の欲望に振り回されたり、高ぶったり、醜さに絶望したり、激流に翻弄される枯れ葉のような、混沌そのものの人生でした。主イエスに出会わなかったら、自分の醜さと様々な重荷で人生そのものを棄権していたかもしれないと思います。実に主イエスはわたしにとって混沌の怪物から救ってくださった真理の君なのです。神のロゴス、これは「神の真理」という意味です。主をたたえよ。
2)4 この言に命があった。
⇒ キリストは永遠の命! (4節a)
さらにヨハネはこのロゴス(=キリスト)のうちに「命」があった、と語っています。「生命」は「死」の反対語です。命の世界、すなわち、摂取や排泄を繰り返し、成長し完成をめざし、喜びや感動、切れば、暖かい血潮が流れてくるような存在として、生命は存在します。そして最後は高度な知的、霊的能力をもって、創造者なるお方を認識し、霊的な交流を持ちつつ、本来の創造者の意志すなわち創造の完成をめざして共に働く存在として命が創造されたのです。命の最高形態は愛です。この生命の根源は神のロゴスなるキリストの内にあると聖書は語っています。
今年は、礼拝説教で、ヨハネ福音書の「わたしは~である」という言葉を7つ全部を読むことができました。これはとても大きな恵みの体験でした。
以前、週報に書きました。
《歌舞伎町の牧師館から》 2025.8.10
「最近、示される聖句」 谷春男
ヨハネ福音書に「わたしは・・・である」と言う主イエス様の宣言が7つ出てきます。この「エゴー エイミ・・・」というところを学んでいてとても啓発されています。これはイエス様の自己紹介、救いの宣言ですね。
「わたしは命のパンである」(6:48)、
「わたしは世の光である」(8:12)、
「わたしは門である」(10:9)、
「わたしは羊飼いである」10:11)、
「わたしはよみがえりであり、命である」 (11:25)、
「わたしは道であり、真理であり命である」(14:6)、
「わたしはまことのぶどうの木である」(15:1)。
これらの言葉は暗唱しましょう!
霊的な飢えや人生の空しさの時・・
⇒ キリストこそ命のパン!
人生の真っ暗な試練の時・・・
⇒ キリストこそ世の光!
荒野で迷い、道が見えない時・・
⇒ キリストこそ人生の門!
孤独や愛の欠如、救いの切望の時・・
⇒ 牧者なるキリストを呼べ!
愛する人の死に出会ったら・・・
⇒ キリストこそ復活の命!
道に迷い、真理、命の不明の時・・
⇒ キリストこそ道、真理、命!
自分を潤し、霊的命の渇望の時・・・
⇒キリストこそ真の葡萄の木!
いつも良き牧者なる主イエスと共に。ハレルヤ。
わたしどものうちに頂いているキリストはまさに永遠の生命なのです。我らは主にあがなわれ、死を超えた永遠の生命の中に歩んでいるのですから。クリスマスの主がまさに命であることを語り告げてゆきましょう。ハレルヤ。
3)そしてこの命は人の光であった。5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。
⇒ キリストはまことの光(4b、5節)
最後にヨハネはこの先在のロゴス(=キリスト)こそ人間の暗黒を照らし出すまことの光であると語っています。光は闇の反対の言葉です。人間は暗闇を恐れます。現在の日本で本当の暗闇を経験することは難しいものです。
あるところで事故に巻き込まれ、地下で閉じ込められたという事があったそうです。その時に、閉じ込められた人々は真っ暗闇の中で恐れを感じました。その時、誰かが携帯をつけました。淡い、青白いその光であっても、その光で多くの人は慰めを感じたと言います。真っ暗闇は、本能的な恐怖や不安を感じさせるものです。聖書は神から遠く離れた人間は、本質的にこの暗闇を心の奥底に持っていると告げます。それは霊的な暗さです。しかし、クリスマスのメッセージはすばらしい。どんなに人間の罪や死や絶望的な暗黒の深淵にあろうとも、神は光であり、命であり、愛であり、世界の暗黒を打ち破る力なのだと語っています。クリスマスはまさにこの光の到来なのです。
今日はアドベント第二聖日です。「アパルーム」誌によれば、アドベントの備えの第1週目は「希望」、第2週目は「平和」、第3週目は「喜び」、第4週目は「愛」と記されています。まず、深い悔い改めを持って御前に立ちましょう。
主イエスこそ「まことの希望」です。絶望的な罪と死の支配の中から、キリストの永遠の命の中に歩み始めましょう。
また、主イエスこそ「まことの平和」なるお方です。暗闇の中で手さぐりし、絶望と悲しみの中に歩んだ生涯から、平安の源なる主イエス様をこころにお迎えいたしましょう。ヨハネ14:27。
そして主イエスこそ「まことの喜び」です。人間の「混沌」「死」「暗黒」そのものであるがゆえに、それらを打ち破る、キリストの救いを迎えましょう!ここから本当に神の恵みの「愛」が輝くのです。この一週間、冒険に満ちた、アドベンチュアな、勝利に満ちた喜びの日々が始まるのです。ハレルヤ
【祈り】 天のお父様!今日はアドベント第二主日を感謝します。今週は「平和のろうそく」の火を灯しました。新しい一年の歩み、主イエスよ、愛する兄弟、姉妹と共に祈ります。わたしどもの心に来て住んでください。神の言なるキリストよ。わたしのうちに来て、魂の内側から滾々と湧く永遠の命を与えてください。神の光なる主イエスよ、今来たりて、わたしどもの暗黒を照らし出し、恵みの光と平安で満たしてください。まことの勝利者なる主よ。十字架の血潮の贖いにより、聖霊なる神様の愛と救いの計画への確信により、圧倒的勝利者として下さい。「キリストの平和、ここにあり!」ハレルヤ!クリスマスの主である、主イエスの御名によって祈ります。アーメン
