新宿西教会2025年末主日礼拝説教「荒野で叫ぶ声」ヨハネ福音書1:19~23 深谷美歌子牧師

 今年も最後の日曜日となりました。足りないものですが、主にあって、肝要と愛の一年間。お祈りとお支えをありがとうございました。

 この一年を振り返りますと、4月には深谷牧師の兄、利春兄さんが50年近くの祈りが答えられて、受洗の恵みに預かりました。今一緒に祈ると「アーメン」と和し、自身でもついて祈るようになっています。

 7月にはマノズ兄が受洗に預かりました。今、呉佳恵姉が責任者で、青年会を立ち上げ「フレッシュフルーツ」と命名し、活動しています。イブコンサートでは鈴木香穂理姉と中野夏鈴姉がラインの交換もすることができました。若い人が活動しているのは喜びです。

そして90代80代の兄姉が喜んで奉仕し、交わっておられることも喜びです。新宿西の神の家族を愛しています。ますます愛し合い、神の国の橋頭堡が新宿の街に広がって行きますように。祈っています。

さて本日は、クリスマスの直後の礼拝ですが、今年のクリスマスは、深谷牧師が、ヨハネによる福音書から取り次いでくださったので、その続きを開かせていただきました。クリスマスの出来事からはしばらく経った時の出来事ですが、前回はヨハネによる福音書の序文までの学びでしたから、ここからが本文と言えます。キリストに出会った者の姿を学びましょう。

【聖書箇所の概説】

19-20節 ユダヤ人たちがヨハネに「あなたはどなたですか」と尋ね、キリストではない」と答えた。

21節  「エリヤですか」「違う」「「あの預言者ですか」「違う」と答えた。

22-23節 「それでは誰なのですか」「荒れ野で呼ばわる声」である。

【メッセージのポイント】

1)「あなたはどなたですか」「わたしはキリストではない」

19 さて、ユダヤ人たちが、エルサレムから祭司たちやレビ人たちをヨハネのもとにつかわして、「あなたはどなたですか」と問わせたが、その時ヨハネが立てたあかしは、こうであった。

20 すなわち、彼は告白して否まず、「わたしはキリストではない」と告白した。       19-20節

 ユダヤ人がヨハネのもとに使者を遣わしたと書かれています。これは、バプテスマのヨハネの働きが、国にとって無視できない存在となったからです。

 バプテスマのヨハネの誕生については、ルカの福音書にマリヤが受胎告知を天使から受けたとき、「どうしてそんなことがありえましょう」と言った時、「あなたの叔母エリサベツも老年ながら子を宿しています。はや6か月です」と告げられ、エリサベツを尋ねたと書かれています。今年の新宿西のカレンダーはその時の絵ですね。この時のエリサベツが身ごもっていた赤ちゃんがヨハネでした。ルカ 3:2 アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。3 彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。

4 それは、預言者イザヤ40:3に書いてあるとおりである。すなわち/「荒野で呼ばわる者の声がする、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』。5 すべての谷は埋められ、すべての山と丘とは、平らにされ、曲ったところはまっすぐに、わるい道はならされ、6 人はみな神の救を見るであろう」。7 さて、ヨハネは、彼からバプテスマを受けようとして出てきた群衆にむかって言った、「まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか。8 だから、悔改めにふさわしい実を結べ。

彼は祭司ゼカリヤの息子でした。当時、祭司職は、祭司の息子でなければ

なれませんでした。信仰の指導的な立場が与えられた者でした。その彼が荒れ野で叫んでいました。当時の人々の中に「エッセネ派」と言って、聖書の言葉を忠実に守る生活ということで、普通の人々の生活を離れ、隠遁生活をしている人々がいました。その人々のように清廉潔白、荒れ野で野蜜を食し、『主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ』。と叫んでいたのでした。

このメッセージを聞いた人びとは、国中からきてバプテスマを受けました。

この働きは、国の指導者たちも無視できないものでした。それで、使者を遣わしたのでした。そして「あなたはどなたですか」と尋ねました。彼は「わたしはキリストではない」と告白した。のでした。この「告白した」という言葉は法廷で証言する時に使われる表現だそうです。これまでの序文の中でもヨハ 1:6 ここにひとりの人があって、神からつかわされていた。その名をヨハネと言った。7 この人はあかしのためにきた。光についてあかしをし、彼によってすべての人が信じるためである。8 彼は光ではなく、ただ、光についてあかしをするためにきたのである。15節も ヨハネは彼についてあかしをし、叫んで言った、「『わたしのあとに来るかたは、わたしよりもすぐれたかたである。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この人のことである」。とヨハネのことを書いています。

 ヨハネの福音書は、エペソの町で書かれたと言われています。聖研祈禱会で、エペソ書を学び始めましたが、当時、教会に異端が入り込もうとしていることに手紙で注意をするように書かれたと言われています。ですから、同じ危険を感じてヨハネの福音書も書かれたと思われます。当時ヨハネをキリストと信じる人々がいたようです。

 18:24 さて、アレキサンデリヤ生れで、聖書に精通し、しかも、雄弁なアポロというユダヤ人が、エペソにきた。

 18:25 この人は主の道に通じており、また、霊に燃えてイエスのことを詳しく語ったり教えたりしていたが、ただヨハネのバプテスマしか知っていなかった。アポロという伝道者が「「ヨハネのバプテスマしか知らなかった」ので、アクㇻとプリスキラが詳しく教えたという記事がありますね。

 これらの人々に対しハッキリ、ヨハネは「キリストではない」とヨハネ自身が証言したのでした。

2)エリヤですか」「そうではない」「あの預言者ですか」。「いいえ」

21 そこで、彼らは問うた、「それでは、どなたなのですか、あなたはエリヤですか」。彼は「いや、そうではない」と言った。「では、あの預言者ですか」。彼は「いいえ」と答えた。      21節

 ここからの質問は、当時キリスト、メシヤが現れる前にはエリヤが現れると信じられていました。マラキ4:5。申命記18:15 ではあなたの神、主はあなたのうちから、あなたの同胞のうちから、わたしのようなひとりの預言者をあなたのために起されるであろう。あなたがたは彼に聞き従わなければならない。とモーセのような卓越した指導者が現れるのを待ち望んでいたユダヤ人の思いです。権威をもってバプテスマを授けているのなら、そのような方なのですかという質問です。

 ここでお知らせしておきますが、ユダヤ人の待ち望んでいた「メシヤ」は神様のご計画とは程遠いものでした。彼らが待ち望んでいたのはユダヤ人を世界に君臨する国にしてくれる王でした。

 しかし、ヨハネの答えはどちらに対しても「いいえ」でした。彼はイエス様の言葉によれば、マタ 11:11 あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。12 バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。13 すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。

 14 そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、たるべきエリヤなのである。と語られた方でした。人間として最高の力を持ったヨハネを、イエス様は本とうの意味で道備えをするエリヤだった。ユダヤ人が望んだものではなかったが。というものでした。ヨハネは、自分はあなたたちが待ち望んでいるものではない。とハッキリ宣言したのでした。

3)『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』

22 そこで、彼らは言った、「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答えを持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。

23 彼は言った、「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」。    22-23節 

 とうとうユダヤ人の使者たちは「あなたはどなたですか。わたしたちをつかわした人々に、答えを持って行けるようにしていただきたい。あなた自身をだれだと考えるのですか」。と質問しました。ヨハネ自身に何者と考えているのですか?と言ったのです。

 ヨハネの答えは 「わたしは、預言者イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声』である」でした。彼は自分の立場をこう表現しました。神様の業は、確かに旧約時代から着々と進んでいる。「私はイザヤの預言の成就である」でした。

今回教えられたのは、イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者の声という内要でした「イザヤが言ったように、『主の道をまっすぐにせよと荒野で呼ばわる者』でもなく「」だというのです。声というのは、見えませんね。

イエス様も言われたように本当の意味でのエリヤだったのでした。彼は人間的に力があった方でした。しかし、彼は自分の役割は本当のメシヤ「キリスト」を指し示すだけのものだということを心から自覚していました。この世界では偉業を残した人を記念しますが、彼は何も残そうとしていません。やがて首を切られて死んで行きました。

本日私たちが御言葉で聞き取りたいのは、このことです。天国で一番偉いのは、幼子の様に自分を低くするものだとイエス様は語ってくださいました。

今年の幻を語る会で得たものは、「この街には私の民が大勢いる」でした。

私はただ、イエス様に赦された者、そのことだけを自覚し、証して生きればいいのだということでした。それにしても教会は天国の前味のところですねお互い祈り合い、愛し合って神の家族が整えられて参りましょう。

祈り 神様、今日はバプテスマのヨハネがイエス様を指し示す声とのみ自覚していたことを学びました。今生かされている私たちも、そのような「声」としてこの世界におらせてください。天国の前味の教会としてください。