新宿西教会成人祝福礼拝説教「恵みをもて年の冠とせり」詩篇65編 深谷春男牧師 2026年1月11日

詩篇65篇の「神の川に水満ちたり」の一句は、神様の恵みの世界を表現しています。それを代表的な聖句です。昔、1978年頃、桜ヶ丘教会を訪問しましたら、礼拝堂の正面にこの聖句が掲げられておりました。

詩篇65篇は、  

個人の魂の問題としての罪の赦し、

人間社会の問題としての諸国民の平和、

被造物全体への神の恩寵充満と結実

を讃美した典型的な讃美の歌です。目を上げれば、神の川に水満ちて、その恵みの流れがあふれ出て、地上に流れくだり、主イエスの十字架となり、復活となり、ペンテコステのできごととなって現れました。2026年をすばらしい。神の恩寵に充ち満ちる恵みの1年として歩みましょう。

 【 詩篇65篇の概略 】

この詩篇65篇はしばしば新年聖会で読まれます。それは11節に文語訳ですと「恵みをもて年の冠となしたまえり」とありまして、年の冠、一年の初めに神様の恵みでいっぱいに満たされて出発しようという意味で引用されることが多いと思います。しかし、後で詳細を見てゆきますが、むしろ「年の冠」は、収穫の時の黄金の穂波を美しく表現したもので、必ずしも、一年の初めを歌ったものではないようです。旧約学者の左近淑先生の解説によりますと「詩篇65篇は賛美とは何かを教える」典型的な詩であると言われます。この詩は多くの学者によって「民族の賛美」に分類されます。ここには神を讃美するとはどういうことか、また、聖書の記す讃美にふさわしい神様とはどのようなお方かと歌われています。つまりこの詩は、聖書の中心的な問題は何かを歌いあげています。この詩の構造に、はっきりと次の三部分に分かれて記されます。

1―4節   救済の神への賛美(特に魂への集中=罪を赦す主)。

5―8節   創造の神への賛美(特に歴史を導く主)。

9―13節   祝福の神への賛美(特に自然界を導く主)。

ある人々はこの詩があまりにも明白に三つに分かれているために、元来、独立していた詩を一つに編集したのではないかとさえ主張します。しかし、神讃美という共通項で貫かれております。この詩篇は「神讃美とは何か」を教えると共に、聖書の語る神の救いの業とは何かをもわたしどもに語っています。聖書の語る神の恵みの完全縮小版のような詩篇です。

【メッセージのポイント】

1)2 ,3祈を聞かれる方よ、

すべての肉なる者は罪のゆえにあなたに来る。

われらのとががわれらに打ち勝つとき、

あなたはこれをゆるされる。

4 あなたに選ばれ、あなたに近づけられて、

あなたの大庭に住む人はさいわいである。

われらはあなたの家、あなたの聖なる宮の

恵みによって飽くことができる。(2~4節)。      

⇒ 神をたたえよ。罪の赦しのゆえに。

2―4節の第一の部分では、神こそ万民の礼拝を受けられるべきお方であることが歌われます。即ち、

「神はシオンに臨在される」(1節)、

「神は祈りを聞いてくださる」(2節)、

「神はわたしどもの罪を赦される」(3節)、

「神の大庭でその恵みにて充足を与えられる」(4節)。

特に、注意したいのは2,3節です。「罪の力の強いこと、自分の力では勝てないこと、神の赦しなくして、問題は解決しないこと」を歌っています。ここには「魂への集中」(関根正雄)があり、この詩の深さがあります。

人間は魂の深いところで、救いを求めております。神様を礼拝し、その臨在に触れ、祈りを聞いていただき、罪を赦していただいて、聖なるお方と交わりを回復し、神の大庭、礼拝の場所で、その恵みに充足を与えられると歌われます。神讃美の原点はまず、「魂の救い」ということです。魂が恵まれていなければ、どのような経済的に豊かな生活をしていても、どのような業績をあげても、魂の奥底から沸き起こるような喜び、生きている実感がわいてきません。その中でも、特に、4節には「罪の赦し」という主題がはっきりと出てきます。人間は心の奥底で罪の赦しを求めているというのです。

優れた人格者が、ある時に、神様からの信仰的な迫りを感じて、特定の休みを取り、ホテルの一室でひたすら聖書を読んだそうです。彼は、全ての寝食を忘れて、聖書に没頭したそうです。彼は数日で聖書を通読しました。祈りの心で読んだのですが、それでもよく分からなかったということです。そして、ある方に相談したところその方は「聖書は主イエス様とその十字架を中心に読むのだよ」とアドバイスしてくれました。彼がもう一度、自分自身の罪と主イエスの身代わりの十字架を見ているときに、聖書全巻の言おうとしたことがよくわかり、洗礼を受けてクリスチャンとなり、最後は献身して、牧師になったというのです。

人間の罪と死の力に対して、最終的な勝利を与え、贖いを全うされるには、新約の主イエスの十字架と復活まで待たねばなりません。しかし、ここには、人間の深い罪性があばかれ、その罪の赦しなくして人間の平安はどこにもないことが明らかにされます。豊かな生涯を期待するなら、わたしどもはまず、魂の問題に集中するのです。そして、その本質的な、罪の問題に集中するのです。そして、罪の赦しの福音に触れて新しい人生が始まるのです。

2)7 あなたは海の響き、大波の響き、

もろもろの民の騒ぎを静められる。(7節)。

⇒神をほめたたえよ。歴史支配のゆえに。

  第二の部分(5節―8節)では神の創造の力と歴史を導く大能が歌われます。ここでは人間の歴史の支配者なるがゆえに神をほめたたえよと奨められます。 即ち、

「救いの神が、驚くべき業をなされ、地の果てに住む人々まで全人類が救いを受ける」(5節)、

「神こそ人間の歴史の山々(=背骨)を創造し、支える方」(6節)、

「神こそ人間世界の戦争を静められるお方」(7節)、

「全世界が神の救いを得て、喜び歌う」(8節)。

ここでは、人間の歴史を導かれる神が大きなテーマとなっています。この箇所にはイザヤ書40章~55章の、いわゆる「イザヤ書第二部」の影響があると言われます。それは思想面と用語法の方面から見ることができます。人間の罪の力が、大波のどよめきのように、波のどよめきのように世界を被う時があります。ロシアのウクライナ侵攻の事件!これは神が創造の時にその力を閉じ込めた「混沌」の怪物が、地の底から復活し、世界を混乱と破滅へと投げ込む様なできごとです。しかし、主は、人間のあらゆる悪しき力を砕き、混沌を秩序へと整えたもうと力強く歌われています。    

神学生の時にはじめて韓国を訪問しました。パゴダ公園のレリーフに彫られた独立万歳運動とその陰惨な弾圧の場面や水原近くの提岩里教会の虐殺場面を見学した時、日本の韓半島支配の歴史の罪の重さに軽いめまいを感じました。人間の罪の深さは驚くべきものです。神の歴史支配を信じることなくしてこの世界に希望はないと思いました。

3) 9 あなたは地に臨んで、これに水をそそぎ、

これを大いに豊かにされる。

神の川は水で満ちている。

あなたはそのように備えして、彼らに穀物を与えられる。

10 あなたはその田みぞを豊かにうるおし、

そのうねを整え、夕立をもってそれを柔らかにし、  

そのもえ出るのを祝福し、

11 またその恵みをもって年の冠とされる。

あなたの道にはあぶらがしたたる。(9~11節)。   

⇒ 主をほめたたえよ。大自然の祝福のゆえに。

この詩篇65篇の第三部分(9―13節)では、この世界をあらゆる良きもので充満させる神の祝福が歌われます。

「神の川に水満ちたり。神はそこから雨をふらせ給う」(9節)、

「畝(うね)を潤し、土をならし、雨を注いで芽生えを祝福される」(10節)、

「神の愛により、小麦は黄金の冠のように風にゆれ、オリーブは豊作で満載した荷馬車からこぼれ落ち、次々と通る荷馬車の轍(わだち)には、つぶされたオリーブの油が道路に染み渡り、夕陽に、てかてかと光ってみえる」(10節) (後藤光一郎訳参照)、

「荒れ野にさえ、その恵みは滴り落ちどの丘も喜びにあふれ」(11節)「牧場は多くの羊であふれてセーターを着ているように見え、谷は麦の豊作で黄金のスカートをはいているようだ。大自然、大宇宙が皆、歌い、喜び、踊っている!」(12、13節)。ほむべきかな!祝福に満ちたる神。

  韓国のクリスチャン・リーダーが日本に来て講演をされた時に語られました。「神の時、キリストの季節がやがて日本に訪れます。一つのストーブで山の木に花は咲かせることはできません。寒い冬のような季節も、神が太陽をめぐらし、春の季節が訪れると、山々の枯れ木のようになっている木の枝に一斉に芽が吹き出し、枯れ木は萌黄色となり、やがて青葉の茂る山となるのです。そのように、神が歴史の歯車を回されます」と。

  わたしは日本中に、罪を悔いて、十字架を仰ぎ、新しい人生に入る人々が起こされること、ここかしこの教会に人々が満ち溢れ、主をたたえる人々の起こるのを信じています。ちょうどこの詩の中でオリーブの豊作で、道がその油でてかてかに光っているというユダヤの田舎道のように、恵みで潤うその時を信じています。詩篇65篇は、聖書の信仰の粋を示しています。

 

【 祈 り 】 主よ、わたしどもは、詩篇65篇を通して「神讃美の本質」を見ました。それはわたしどもの聖書の信仰そのものです。人間の魂の問題、特に罪の赦しを与え救いたもう主、歴史を導きたもう主、全被造物を恵み祝したもう主あなたを讃えつつ、福音を告げ示す1年としてください。主よ、リバイバルの年としてください。御名によって祈ります。アーメン。