8月に使徒行伝を学んでからしばらく経ちました。まだパウロの説教の途中です。それで、前回までを思い出してから今日の個所を学ぶことに致しました。
ピシデヤのアンテオケに来て、ユダヤ人の会堂に入った時、何かお話しく
ださい。と依頼されたて、手を振ってパウロが語り始めました。パウロの説教が全部記されているのはここだけです。
話したのは、イスラエル人が神に導かれた歴史と、ダビデ王の子孫として生まれた、約束のキリスト(メシヤ)・イエス様でした。そして、バプテスマのヨハネのことにも言及して、彼は自分で「わたしはキリストではない」と宣言した。彼はキリストが来る前の備えをした器でしたと伝えました。
そして、この救いは全ての人、つまり、神の民と思っていたユダヤ人ばかりでなくこの会堂に集っている、異邦人から改宗した人々や、神を恐れる人々に贈られたと語り掛けたのでした。
そして、このメシヤはユダヤ人の陰謀によって十字架につけられ、死にましたが、それをも超えて、神様は朽ち果てることはないと預言されていたように、死を打ち破り復活させました。多くの証人がいいます。と語りました。この内容は使徒行伝2;24ー31でペテロが語った説教と重なっています。
本日はイエス様の救いを受け取る信仰について語ります。
【聖書箇所の概説】
38-39節 モーセの律法で義とされ得なかったが、信仰によって義とされる。
40-41節 ハバクク書1:5を引用して、不信仰に対する警告を聞かなかくて、捕囚になった轍を踏むまないようにと警告します。
42-43節 なお話を聞こうと付いてきた人々に恵みに留まるようにすすめた。
【メッセージのポイント】
1)信じる者はもれなく、イエスによって義とされる
38 だから、兄弟たちよ、この事を承知しておくがよい。すなわち、このイエスによる罪のゆるしの福音が、今やあなたがたに宣べ伝えられている。そして、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。
38-39節
パウロはそこに集まっている聴衆に。この救の言葉はわたしたちに送られ
たと語り始めました。「あなた方に」でもなく、「わたしに」でもなく「わ
たしたちに」でした。つまりそこに集う全員にでした。
15日の聖研祈祷会でも学びましたが、パウロはユダヤ人で、メシヤを待ち望んだ民の一員でした。イエス様をメシヤと認める前は、クリスチャンの迫害者でした。そのパウロがイエス様に直接語り掛けられ、アナニヤが送られ、バブテスマを受けてクリスチャンになりました。パウロの自覚は、一テモ1:13 わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。でした。そしてイエス様に出会ってから、異邦人と言われていた全ての人にも、この救いが備えられていることが分かり、いまピシデヤアンテオケまで来て伝えています。そこには、異邦人から改宗した人も、神を畏れ、聞き従おうと集まっていた人々が集まっていましたが、そこにいる全ての人々に福音を語ったのでした。
内容は、モーセの律法では義とされることができなかったすべての事についても、39 信じる者はもれなく、イエスによって義とされるのである。
と語りました。これは、パウロ自身の経験でした。彼は律法の一点一画ももれなく忠実に守っていた人でした。しかし、その彼の心はロマ書7:19口すなわち、わたしの欲している善はしないで、欲していない悪は、これを行っている。20 もし、欲しないことをしているとすれば、それをしているのは、もはやわたしではなく、わたしの内に宿っている罪である。でした。
日本人は、罪という自覚が少ないと言う方があります。罪は神様に対して犯すものだが、日本人は「恥」が行動の原因になっていることが多い。思いは「人」の目だと言うのです。思い当たります。
バケバケをできるだけ見ていますが、噓も人間関係を円滑にすることが日本の文化にあることを伝える場面がありました。人と人との関係だけで生きるとそうなりますね。しかしパウロは神様の律法が、心から神を愛し、隣人を愛する。が元だと分かっていましたが、外側は守っても、心からそうなっていない自分を「なんというみじめな人間なのだろう」と言っています。
ごまかさないで神様の前に出るなら義と認められないと彼は思っていたでしょう。しかし、律法を守れば救われると自分にいいきかせていたのではないでしょうか?
ところが神様は、イエス様が罪の攻めを負って死んで、罪によって入ってきた死を打ち破って、信じるものを義とする道を備えてくださったのでした。
この義とするという言葉は「開放する」とも訳せる言葉です。何とか義とされようと一生懸命に律法を守っていたものが、行いによらず、イエス様の赦しを信じるだけで救われる道が開かれたと語ったのでした。
2)預言者の書のようなことが、起らないように気をつけなさい。
40 だから預言者たちの書にかいてある次のようなことが、あなたがたの身に起らないように気をつけなさい。
41 『見よ、侮る者たちよ。驚け、そして滅び去れ。わたしは、あなたがたの時代に一つの事をする。それは、人がどんなに説明して聞かせても、/あなたがたのとうてい信じないような事なのであ/る』」40-41節
この言葉は、旧約聖書のハバクク書1:5節の言葉の引用です。目の前に迫った外敵の侵攻による危険を、神の名において警告したが聞けなかった過去のてつを踏まないようにと警告しています。
せっかくの神様の恵みを無視することは、滅びを選ぶことですと語られています。聖書はあまり滅びのことを記しませんが、この恵みが語られている今は、確かに恵みの時です。 せっかく神様が備えてくださった救いを、心を開いていただきましょう。今はそれを頂くことができる時です。
3)神のめぐみにとどまっているように
42 ふたりが会堂を出る時、人々は次の安息日にも、これと同じ話をしてくれるようにと、しきりに願った。
43 そして集会が終ってからも、大ぜいのユダヤ人や信心深い改宗者たちが、パウロとバルナバとについてきたので、ふたりは、彼らが引きつづき神のめぐみにとどまっているようにと、説きすすめた。42-43節
パウロ達が話し終えて会堂を出ようとしたとき、人々は次の安息日にもこれと同じ話をしてくれるようにとしきりに願った。とあります。
この時は、突然訪れたパウロ達が、初めて聞くイエス様の福音を、パウロ自身がその命に生きている姿を現しながら語ったのでした。
当時は、この地域には、女性を簡単に裏切ることが当たり前常識があったようです。それで、ユダヤ教が結婚を重んじ、清潔な教えだったので、多くの婦人の改宗者があったそうです。高級な身分の人もいたそうです。それらの人々は律法を一生懸命守って生活していました。
勿論、律法は良いものですが、それを守っても心の底からの救いはありません。
パウロ自身もイエス様を信じたとき、真の義を頂きました。真の命、解放でした。これこそ、福音でした。この福音を聞いた時、人々はもっと知りたいと思いついてきました。
赤羽教会にいた頃、ゴダイゴという音楽グループがありました。そのベースで音楽エンジニアリングも担当していたステイーブフォックスという方が1988年、伝道者になって来てくれたことがありました。会堂のとなりの4畳半くらいの部屋でお茶?してた時、大勢の女の子たちが窓に押し寄せてきたことがありました。「こんなのは久しぶりだな」と語ったのを覚えています。
イエス様を信じる信仰によって義とされる福音は、ステイーブフォックスも得た命でした。その命がどれ程伝わったかお話しに感動したというよりは元人気歌手のステイーブにアクセスしたくて押し寄せた感がありましたが。人々は、感動するといつまでも。一緒にいたいと願うものですね。
大事なのは、感動の空気に浸っていたいというのではなく、与えられた恵みの命に生き続けていくことです。
毎週の礼拝で神様を礼拝することは、今も生ける神様に自分をささげ、真理のみ言葉に生かされることですね。
毎日「今日、あなたのみことばを悟らせてください」とお祈りして御言葉に聞きましょう。聖書の言葉をいただいていますか?
赤羽の早天祈祷会のある時から黙想の時間を取るようになりました。聖書通読は一年に一回はしていましたが、この黙想し、また、皆さんのお分かちを頂くようになって、本当に御言葉に聞くということが楽しみになりました。
義務的に通読していたのが、そこにある真理を聞く恵みをいただくようにされました。
毎日三度のご飯は楽しみですね?
もし、楽しみでないなら、少し体が弱っているかもしれません。全く食べなくなったら死んでしまいます。無理に食べている人もいるかもしれません。
最近断食聖会に参加しました。決して義務ではありませんが、リバイバルが起こされるために少しでもこの祈りが組み入れられるならば、と願って参加しています。それでも、二日で、足がふらつくようで、帰りの荷物が重く感じられました。立って電車に乗っているのに疲れました。
食べようと思ったら手の届くところにいくらでも食物があるのはもったいないことです。清潔な食べ物もなく、飢餓に苦しんでいる地球の多くの人々を思いやる機会かもしれません。世界人口の。8,2%6億7300万人が飢餓人口。
もう一度お勧めします。礼拝は命です。御言葉を悟らせてくださいと祈っていただいてください。引き続き神の恵みにとどまる秘訣です。
できれば早天祈禱会で、御言葉を頂いて下さい。木曜日は聖書研究祈り会をしています。御言葉を頂いた後で、皆様のお分かちを頂くと恵みが倍増します。恵みにとどまり続けましょう。
祈り
神様、イエス様を信じた者に罪の赦しと永遠の命が与えられる福音を、自分も受け取ったと証言しながら語ったパウロでした。この街にはあなたの民が大勢います。罪の赦しと、死からの解放、永遠の命を受け取って、喜びに生きる方が次々と起こされますように。御名によってアーメン
