クリスチャンになるとは「価値観の転換」を体験することです。クリスチャンになる前にはこれがなければ生きて行けないと思っていたものが、実はたいしたものではなかったという体験です。例えば、ある人にとっては美貌が、学歴が、家系が、業績が、恋人が、家庭が、職場が「絶対」となっていることがあります。しかし、主イエスの福音に触れる時、わたしどもは、大きな語りかけに直面することになります。神の御子、イエスキリストに出会う時、その十字架や復活と言う出来事に直面する時に、人生そのものが大きく問われ、価値観が根底から揺らぐような体験をするのです。しかし、それは、本当は、わたしども、この世にどっぷりとつかり、この世の虚しいものに捕らわれているところからの解放を意味しているのです。この世の価値観が崩れ、神の前での価値観が明らかになり、自由と感謝が溢れてくるのです。
【今日の聖書箇所の概説】
2章の終りにはパウロは、テモテのこととエパフロデトのことを記
し、「皆さん、このお二人をよろしくお願いします。」「では最後に、兄弟たち、主において喜びなさい」で、ピリピ人への手紙は終わりました。ところが3章2節から、新しい主題が入って行きます。3章は以下のような内容になっています。
3:1b~2 ユダヤ主義者の異端に気を付けるように。
3~ 6 パウロの肉の誇りであった7つのもの
7~11 キリストを知ることの絶大なる価値
12~16 目標を目指して走るとの告白
17~4:1 わたしにならう者になってほしい
【メッセージのポイント】
1)、2あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。 3神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。 (2、3節)
⇒ 肉(人間的な価値観)に頼るな
パウロはまず、ここで二つのことに注意をするように語っています。
一つは、異端思想に気を付けるように。
もう一つは、霊的な傲慢に気を付けるように、ということです。
異端思想についての、激しい口調は、2節にそのまま記されます。「2あの犬どもを警戒しなさい。悪い働き人たちを警戒しなさい。肉に割礼の傷をつけている人たちを警戒しなさい。」これは、パウロの激しさが現れる文章です。異端的な教えを説いていた人たちを「犬」とまで呼んでいます。彼らは「肉に割礼の傷をつけている人たち」と言うのです。どうやら、当時、割礼を受けていたユダヤ人クリスチャンで、特に、割礼を受けねばならないと強く主張した一派の人たちへの非難のようです。
「霊的な傲慢」については、その異端的な働きをしていた者達が、自分たちの優位さを強調するために、自分たちがユダヤ人であることを利用していたようです。旧約聖書の中に表現される、神の選民イエスラエルとして、特に割礼や律法の順守を強調しせっかく救われたのに、いつの間にか、イエスの十字架の贖いの恵みから遠ざけ、福音的な理解を失い、ユダヤ教へとゆがめてしまう異端的な考えを、厳しく糾弾しています。「 3神の霊によって礼拝をし、キリスト・イエスを誇とし、肉を頼みとしないわたしたちこそ、割礼の者である。」と3節で強く主張しています。
2)、4もとより、肉の頼みなら、わたしにも無くはない。もし、だれかほかの人が肉を頼みとしていると言うなら、わたしはそれをもっと頼みとしている。 5わたしは八日目に割礼を受けた者、イスラエルの民族に属する者、ベニヤミン族の出身、ヘブル人の中のヘブル人、律法の上ではパリサイ人、 6熱心の点では教会の迫害者、律法の義については落ち度のない者である。(4、5、6節)
⇒ パウロの持っていて、捨てた7つの人間的な価値
パウロはここで、ユダヤ主義者たちが、自分たちはユダヤ人だと言う主張に対して、わたしだって旧約的な伝統は同じなのですよ、と告白しています。以下、7つの項目について一気に語ります。
- 八日目に割礼を受けた者。
- イスラエル民族に属する者。
- ベニヤミン族の出身。
- ヘブル人の中のヘブル人。
- 律法の上ではパリサイ人。
- 熱心の点では教会の迫害者。
- 律法の義については落ち度のない者。
ユダヤ主義者たちが自分の家系や伝統を誇るなら、わたしは彼ら以上にそうだと言います。
3)7しかし、わたしにとって益であったこれらのものを、キリストのゆえに損と思うようになった。 8わたしは、更に進んで、わたしの主キリスト・イエスを知る知識の絶大な価値のゆえに、いっさいのものを損と思っている。キリストのゆえに、わたしはすべてを失ったが、それらのものを、ふん土のように思っている。それは、わたしがキリストを得るためであり、 (7、8節)
⇒ キリストイエスを知る絶大な価値を知れ
パウロの8節の言葉は大きな励ましを持っています。パウロにとってこの地上のすべてのものは「損」であると言います。パウロにとって唯一絶対なる出来事は主イエスの十字架と復活のできごとであり、それ以外は「ふん土のように思っている」にすぎないとまで宣言いたします。新共同訳では「塵あくた」と訳しております。高価な真珠を探す真珠商のように、唯一絶対なるキリストの価値のゆえにこの世のすべては価値を失ったのです。パウロは全人類を導く真理そのものを発見したのです。キリストにおける神の愛!これが人類を導く真理そのものなのです。この神の救いと愛が、わたしたちの生涯を新しくし、生きる命と希望を与えるのです。それ故に、今まで求めていた人間的な価値はすべて崩壊し、すべてが「ふん土」と感じるまでになったのでした。
以下は、瀬尾要蔵先生の「パウロの回心」の文章です。
時は正午でした。道の両側には岩山があり、灰色の丘の裾に見える遥かな緑は果樹園であります。目的地のダマスコの町が遠くに見えます。杖を呈した役人の一隊を指揮しているサウロ(のちのパウロ)は、さながら軍隊を指揮するところのシーザーのように、彼はダマスコの町を急いでゆくのです。彼は今やダマスコに住むところのナザレ宗(クリスチャンのこと)の異端の一味を一網打尽に検挙してエルサレムに連行し、そこで拷問にかけ、処罰してやろうと、憤怒と快感を交えた気持ちで馬を走らせて行くのです。
彼は当時の大祭司カヤパの証印を押したところの逮捕状を手にして6日前にエルサレムを出発しました。このエルサレムからダマスコまでの北東約240キロの長い苦しい旅行です。その6日間の旅行の間、クリスチャンたち、ことに自分がけしかけて石打ちの刑にしたステパノという信徒の見事な、気高い、平和な最期の姿を思い出すごとにサウロの心は痛むのです。
さて、目的地に達するには後、1,2時間という時に、1点の雲のない晴れ渡った空から突然、電光のような光が彼をめぐり照らし、彼は落馬し、地に倒れました。その時彼は、アラム語で「シャウル、シャウル・マ・アット・ラデフィンニー(訳しますと、サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか)」という声を聞きます。彼はその声に向かって「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねます。すると「わたしはお前が迫害するイエスだ」という声を聞きます。その瞬間、形容できない力がサウロを改変します。彼は全く新しい人と変えられるのであります。そして彼は、言われたとおりダマスコの町に入り、「直すぐ」という名の路地にあるユダという人の家で三日三晩断食して祈り続けます。そしてダマスコにいるところのアナニヤという無名のクリスチャンの祈りを通してキリストの霊に満たされます。そして迫害者パウロは変じて偉大なるキリストの伝道者パウロと変えられます。
パウロの体験は「価値観の大逆転」の体験だったのです。先週も学びましたように、ピシデアのアンテオケのパウロとバルナの説教で、ピシデアのアンテオケの町全体にリバイバルが起こりました。わたしたちのこの町、新宿・歌舞伎町の町にも、主の御業、信仰のリバイバルが起こるのです。この世の相対的なものに縛られて生きて行くのではなく、キリストの恵みに応答して生きて行くのです。この受難節の時期に、礼拝の中で、聖書を深く読みゆく中で、人間の義とされるのは律法の行いによるのではなく、イエスキリストの十字架の贖いと復活の信仰によること、それを聖霊様の導きの確信の中にわたしたちが生き始めるところから始まるのです!わたしたちの教会から、救われる者が次々と起こされ、献身者が次々と起こされル、リバイバルの業を期待しましょう!
【祈祷】 恵みの主よ。今日は「価値観の大逆転」という聖書の中心的な内容を学ばせて頂きました。主イエスの愛と救いの福音をしっかりと理解し、この世の価値観に惑わされることなく、キリストイエスを知る絶大なる価値のゆえに、全てのものを「ふんどの如く」思えるまでの、深い信仰理解の中に、2026年度の新しい年度へ、信仰の歩みを全うさせてください。主よ、あなたの十字架と復活を深く魂に刻み、聖霊に満たされた、感謝と喜びの日々を与え給え!主の御名によって。アーメン
