出エジプト25:10-22 ― 神の箱:蓋か中身か本体か ― 深谷牧師
今日は、新宿西教会の71回目の「創立記念礼拝」です。71年前、1955年3月13日、この日、教会設立式、岡田實牧師就任式。司式は東京教区議長・島村亀鶴牧師。続いて、献堂式は教団総会議長・武藤健牧師、祝辞は東京教区副議長・藤田昌直牧師等。出席者は約80名と「創立50周年記念誌」に記されています。なつかしい先生方のお名前を聞き、感激ひとしおです。
【今日の聖書個所の概略】
「神の箱」や「幕屋」のおもな設備とその特徴については、別図が必要となります。幕屋建造の命令の中で用いられる長さの単位は、口語訳などでは「キュビト」(ギリシャ語) で、新共同訳ではアンマ(ヘブライ語)が使用されています。これは腕のひじから中指の先までの長さをあらわす単位で、約44,5センチ。2キュビトは約90センチ、1キュビト半は約60センチの長さです。
幕屋を製作する命令は、最も神聖な「神の箱」とその上の「あがないの座」から始まります。「神の箱」は「契約のしるし」としての十戒の石版をおさめるためにつくられ、「あがないの座」は地上における主の玉座としてつくられました(21―22節、なおサムエル上4:4、サムエル下6:2、詩80〔79〕において、神の箱に関連して出る句「ケルビムの上に座す」参照)。
10~16節 契約の板を入れる箱の造り方の指示。
17~22節 あがないの座の造り方とそこで主が出会うことが語られる。
【メッセージポイント】
1)10彼らはアカシヤ材で箱を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。 11あなたは純金でこれをおおわなければならない。すなわち内外ともにこれをおおい、その上の周囲に金の飾り縁を造らなければならない。 16そしてその箱に、わたしがあなたに与えるあかしの板を納めなければならない。
⇒ 中身か? そこに十戒の板を納めよ。
まず、最初に造り方が示されるのは、「箱」でした。これは「契約の板」を入れるためのもので、実際にはまず入れ物の幕屋から造られました(36:8以下)。一番大切なものがまず指示されたことが解ります。「掟の板」が律法あるいは契約のしるしを形づくっていました。ここで用いられているヘブル語(エードゥト)は、「契約」か、それに近い意味を持っており、「契約」を意味する普通の語(ベリート)を、特にアブラハムへの神の約束に対して用いようとしているように思われます。
このように見てくると、契約の箱の重要さは、旧約聖書の礼拝の重要な信仰内容を指し示していますが、そのまず第一は、契約の箱に収められた、「十戒」の大切さを教えているように見えます。それは神のみ教え、み言葉への従順を要求しているものとして見ることができるでしょう。
へブル書9:4には以下のようにあります。
「4 そこには金の香壇と、すっかり金で覆われた契約の箱とがあって、この中には、マナの入っている金の壺、芽を出したアロンの杖、契約の石板があり・・」
ここにも契約の箱には、契約の石板が入っていたことが言及されています。神を礼拝に来た民は神の箱の中にあった、神の戒め、神の教えに心を配る事を求められていた事を思います。
「僕は聞きます。主よ、語りたまえ」とサムエルの如く御言葉に従う礼拝をしたいと思います。
2) 17また純金の贖罪所を造らなければならない。長さは二キュビト半、幅は一キュビト半、高さは一キュビト半。(17節)
⇒ 蓋か? 贖いの座を純金で作れ。
多くの英訳は「恵みの座」(mercy seat)となっていました。ヘブル語の「カッポーレト」は「おおう」を意味する動詞キッペールと関係し、「あがなう、許す」の意味となるからです。しかし、ここでは事物について記しているのであるから、より具体的な「おおい、ふた」(cover)の方が適切であるように思えます。ギリシャ語で「ヒラステ-リオン(ιλαστηριον)」。パウロはこの述語をローマ3:25でキリストに適用しました。
「神はこのキリストを立て、その血によって信じる者のために『罪を償う供え物』となさいました」。ここで使用される、『罪を償う供え物』が「ヒラステーリオン」の訳語で、フランシスコ会訳では「あがないの蓋」と翻訳しています。(ヘブル9:5も参照)。
もしも、神の箱の安置された礼拝の場に、贖罪所である「神の箱の蓋」(ヒラステーリオン)に重要性を置くなら、礼拝は、「罪の赦し」ということが非常に重要なできごととなります。罪のための贖いの業は、ローマ信徒への手紙に現されるように、主イエスの十字架の贖いと言うできごとへのつながって行くことになります。
3) 22その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。(22節)
⇒ 本体か? 主ご自身が、臨みたもう!
ここで、主は大変重要な宣言をなされました。主は「わたしは掟の箱の上の一対のケルビムの間、すなわち贖いの座の上からあなたに臨み、・・あなたに語る」と。神ご自身が、わたしどもにお会いするのは、あがないの蓋の前であることをはっきりと語っています。
「神のシェキーナー」が「贖いのふた」の上、二つのケルビムの間にあり、そこで神が人と会見されると言うことは大切な意味をもつ。なぜなら、その場所こそ、神と人とが和解する場所、人の罪が赦され、人が神の前に立つことのできる場所だからである。しかしその和解、罪の赦しは飽くまでも暫定的なものであって、真の和解と赦しはイエスキリストの贖罪において初めて確立される。」(西満)
この神の至聖所の神の箱のメッセージは、非常に興味深いと思います。重要な内容が入り組んで語られているからです。それは、わたしどもは神の箱のメッセージが、「中身か、蓋か、本体か」という内容を持っているのです。
【祈祷】 天の父よ。教会創立71周年目の礼拝を感謝します。聖書信仰の内容を、この箇所、神の箱の記述の中に現れています。それは第一に十戒に代表される「神の言葉」であり、第二に覆いの蓋(ヒラステリオン)に代表される「罪の赦し」であり、第三に神ご自身の顕現に代表される「栄光の臨在」です。キリスト教信仰は、その三つの展開の中にあります。すなわち、「聖書信仰」、「贖罪信仰」、「臨在信仰」です。この教会創立記念の時に、主の恵みの奥義を魂に刻んでください。主イエスの御名によって祈ります。アーメン!

臨在の幕屋(想像図) フランシスコ聖書注解より

契約の箱(想像図) フランシスコ聖書注解より
