《新宿西礼拝説教》 「王のエルサレム入場」 2026・3・29
ルカ19:28-40 深谷美歌子
桜前線が東京も満開を伝えていますね。いよいよ来週はイースターです。イースターは光溢れる喜びの日ですね。でも、今週はその前の受難週です。本日の聖書箇所から受難週の出来事が始まります。心を澄まして一つ一つ聞き、何が起こったのか、私達はどこにいるのか確かめてまいりましょう。
【聖書箇所の区分】
28‐34節 ロバの子を連れてくるように弟子を遣わし、そのようになった。
35-38節 弟子たちは「主の御名によって来られた王に祝福あれ」と叫んだ。
39-40節 パリサイ人の非難を、退け、王の宣言をした。
1)「主がお入り用なのです」。
28 イエスはこれらのことを言ったのち、先頭に立ち、エルサレムへ上って行かれた。29 そしてオリブという山に沿ったベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、ふたりの弟子をつかわして言われた、30 「向こうの村へ行きなさい。そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて、引いてきなさい。31 もしだれかが『なぜ解くのか』と問うたら、『主がお入り用なのです』と、そう言いなさい」。32 そこで、つかわされた者たちが行って見ると、果して、言われたとおりであった。33 彼らが、そのろばの子を解いていると、その持ち主たちが、「なぜろばの子を解くのか」と言ったので、34 「主がお入り用なのです」と答えた。35 そしてそれをイエスのところに引いてきて、その子ろばの上に自分たちの上着をかけてイエスをお乗せした。28-35節
いよいよエルサレムに登って行こうとされた時の出来事が書かれています。エルサエムの領域として認められているところはベテパゲだから、この時遣わされた村はベテパゲと思われます。
その村にまだ誰も乗ったことのないロバが繋がれているとイエス様は言われ、それを引いて来るようにと弟子の二人を遣わされたのでした。
ここで、イエス様の予知能力、つまり、全知全能の現れた所は3つあると言えます。まず「繋がれている子ロバがいた」こと、「ほどいているとき声をかけられたら主がお入り用」と答えること。「その通り答えた時、渡してくれたこと」です。
そして今日は特に、この「主がお入り用」という意味を共に考えたいと思います。私はこれまで、この「主が」というのは、イエス様の事を弟子たちが言っていると思ってきました。主がイエス様のことには間違いありませんが、弟子たちが「主が」と自分たちの主、イエス様が必要としています。と言っていると思ってきました。
ですが、この主がという言葉は、弟子たちは「主よ」と呼びかける時はあっても、「主が」と人に言ったことはないというのです。「先生が食事の部屋を用意して欲しいと言いなさい」というのが普通だと言うのです。
そして「主がお入り用なのです」の言葉には「所有格」、「彼の」「それの」が含まれた表現だというのです。で、「子ロバの主が必要としています。」というのが自然の訳だというのです。
このことを私に当てはめてお伝えします。私は小さい時から「ロバの来何だか嬉しい」という讃美をしてきました。『私たちはロバの子です。馬のように速く走れない。ライオンのような力もない。ただの小さなロバの子です。だけどあなた知っていますか?ロバが主のお役に立ったこと。走れなくても、強くなくてもいつもイエス様がいてくれます。私たちはロバの子です。神様のために働きます。』でもこれは、小さい力ないものを必要としてくださる。というメッセージが強いですし、そう私も思ってきました。
でも、今日は、小さかろうが、人間的な考えでは大きかろうが、「ロバの主が、つまり、私たちの主が、あなたを必要としている」というのです。
赤羽で仕えていた時、優秀な兄弟がいました。大学で鉱物の研究をしていて、外国までその研究に行ったりしていた兄弟でした。成績も良かったかもしれませんが、性格も良くてハンサムでした。その大学の教授が自分の席を譲るから残れと言われました。けれども彼は自分の生涯を考えた時、一番大切なことに自分の生涯を捧げることを決意しました。牧師になる道でした。教授は、残念だけれどその仕事は最も価値あることとあきらめたそうです。彼のお父さんは赤羽で社長さんをしていました。「深谷先生に取られた」と言われましたが、ご自分で神様に応答されたのでした。
あなたの主があなたを必要としています。あなたのその力を持って行けと語られています。「主がお入り用なのです」従って、用いられて生きましょう。
2)主の御名によってきたる王に、祝福あれ。
36 そして進んで行かれると、人々は自分たちの上着を道に敷いた。
37 いよいよオリブ山の下り道あたりに近づかれると、大ぜいの弟子たちはみな喜んで、彼らが見たすべての力あるみわざについて、声高らかに神をさんびして言いはじめた、
38 「主の御名によってきたる王に、祝福あれ。天には平和、いと高きところには栄光あれ」。 36-38節
いよいよイエス様が進み始めると、人々は自分たちの上着を脱いで道に敷いて迎えました。他の福音書では、木の枝を切ってきて道に敷いたとあります。これは王を迎える時に人々がした行為でした。そしてルカの福音書では、「主の御名によってきたる王に、」ともろ言っています。他の福音書では、「ホサナ」「私たちを救いたまえ!」と迎えたとあります。当時は「バンザイ!」の意味になっていたそうです。この時、多くの人々が、「王様バンザイ」と迎えたのでした。でもルカは、異邦人に向けてこの福音書を書いているので、ヘブル語で表現しないで「主の御名によってきたる王に、」と言ったと思われます。
ところで、この言葉は、付いてきた群衆、ここでは弟子達がこの言葉を言ったのでした。それは、今まで行動を共にしイエス様を見てきた人々でした。「悲しんでいる人は幸いです」と教え、人々からのけ者にされていた税金取りや遊女を受け入れ、
足なえや目の見えない人を癒し、五千人をパンと魚で養い、嵐を鎮めたお方でした。彼らは待ち望んできたメシヤ、救い主はこの方で、王だと叫んだのでした。
ところで、この人々が求めていた王を、今も世界は求めているのではないでしょうか?トランプさんや、プーチンさん、高市早苗さんに、理想的な世界にしてくれることを期待して選んだのではないでしょうか?
そして、私達も目の前の必要を満たし、楽しい生活をイエス様に求めていないでしょうか?この世の理想的な王国を築いてくれる王と思っていないでしょうか?
弟子たちでさえそう思っていた証拠に、弟子たちの間で誰が一番偉いかとか、王様になった時右左に私の子を座らせてとか言っていたのです。「十字架にかかる。三日目によみがえる」と何度も言っていたのに「そんなことがあってはなりません」といさめたのです。でも、イエス様がもたらす国はもっと素晴らしい国でした。
3)もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」
39 ところが、群衆の中にいたあるパリサイ人たちがイエスに言った、「先生、あなたの弟子たちをおしかり下さい」。
40 答えて言われた、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう」。 6-7節
今王として人々が迎えようとしていたが、イエス様の思いは、もっと理想的な国であったとお伝えしました。
ですが、当時の人々の中で、誰もそのことを理解している人はありませんでした。弟子たちでさえです。
パリサイ人もこの群衆を見て、「「先生、あなたの弟子たちをおしかり下さい」。と言っています。他の福音書ではヨハネ12:19 そこで、パリサイ人たちは互に言った、「何をしてもむだだった。世をあげて彼のあとを追って行ったではないか」。と人々がイエス様についていくことを嘆いています。彼らは指導者としての地位を失うことを恐れていたのです。人々も自分たちの生活を良くしてくれる王様を求めていましたし、パリサイ人達も自分たちが人々から指導者として受け入れられることを望んでいました。騒ぎを静めるよう求められたとき、イエス様は「王」と呼ばれたことを否定しないで、「あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫びだす」と言われました。石は世界中にありますね。それが騒ぎ出す。と言われたのでした。聞いた人々で理解できた人は一人も居なかったと思いますが、イエス様の国は、全世界を救う国の王でした。
私達もこの国に生かされていることをしっかり自覚しましょう。この国は永遠の国です。全ての人は罪を犯して神の国に入ることはできない者でした。
先日瑠香ちゃん、紫乃ちゃんと入門コースをした時、「聖なる神様」のことを学び「瑠香ちゃん紫乃ちゃんはきよいですか?」と聞くと二人とも顔をぶんぶんふりました。可愛い素直な二人です。でも聖い神様の前ではちゃんとわかるんだな、と感動しました。
その国の王となるために、イエス様は十字架の待っているエルサレムに、誰にも理解されないまま(一人マリアだけはこの方は、私たちの為に死に向かわれることを察知していたかもしれません)向かわれたのでした。
この命を頂いた私達に「お入り用なのです」と呼びかけられています。
置かれた所で「感謝せよ。喜べ。常に祈れ。」と命じられています。それはもう命が与えられたものへの恵みに生きる姿ですね。
おまけですが、衣食住、生きていくうえで必要なことは、目的ではなく添えて与えられる恵みです。
来週は息子がこの教会に、家族で礼拝に来るそうです。一年間の猶予期間を頂いて、勉強にもするつもりの様です。
牧師三代目です。彼は孫の様子を良くライン動画で送ってくれます。忙しくて運動会など行くつもりはありませんが、成長の姿、展示会の作品などや、家族旅行の様子を送ってくれるのを見ながら、添えて与えられる恵みを見る思いです。奥さんのことを「世界一」と申しております。
この命を生きるために、まず神様を礼拝して歩みましょう。早天や一人でも御言葉をいただきましょう。御言葉は霊のご飯です。毎日3度のご飯は楽しみですね?生かされて心から「ホサナ、王様バンザイ」と叫ぶものでありますように。
祈り
父なる神様、今朝は十字架に向かわれるイエス様が、主のものであるロバに「主の用なり」と声をかけてくださっていることを学びました。光栄な事です。
人々は真の意味を知らないで「王様バンザイ」と叫びました。彼らの考えていた王様は目前の必要を満たしてくれる王様でした。
しかし、イエス様は永遠の命をもたらす為に、王として入場されました。
その国に入れられていることを感謝します。
添えて与えられる恵みも、世の人に見える証です。求めよと言ってくださり、毎日小さな奇跡を味わう恵みも感謝します。 主の御名によって。
