新宿西教会礼拝説教「信じる者になりなさい」ヨハネ20:24~29深谷春男牧師 2026年4月15日

   

ハレルヤ!勝利の主に感謝をささげます。

過ぐる一週間は年度の初めで、恵みのあふれる一週間でした。イースター礼拝では、ネパールからの留学生ラムチャンドラ兄が洗礼の恵みに与り、神の子どもとして、新しい歩みを始めました。午後は小平霊園にての墓前礼拝の恵みの時を持ちました。月曜日から火曜日はホーリネスの群年会。埼玉県の越谷シティ・ホールで持たれました。全国から約100名の方が集いました。なつかしい牧師先生方、役員の代表者が一年間の初め、共に集い、新しく勝利の一年の計画を練り、2日目の派遣式では、新任地へと派遣されました。そして更に8日は東京聖書学校の入学式と教師会。翌日はガイダンス。家庭集会もありました。あわただしい一週間!けれども、復活の主が共に歩んでくださる復活節の一週間です。先週の説教で、「今、希望が来た!」との説教が語られ、罪と死の悲しみの世界で失意の中にある、全人類へ救いの宣言、ロマ7:24-8:2が語られました。「命の御霊の法則が、罪と死の法則からあなたを解放した!」。愛する兄弟、姉妹!この週も、エマオ途上の弟子たちのように復活の主イエスを共に進み行きましょう!今日はトマスに焦点を当てて学びましょう。

【聖書箇所の概説と区分】 トマスは「ディディモ」とも呼ばれました。これは「双子」という意味です。実際に彼は双子であったのだという説と、彼の中に二重の人格があったのだという説があります。彼は主イエスのためなら死んでもいいという熱烈な信仰者という一面と、どこまでも理性を越えた出来事を信じられないという陰欝な懐疑者の一面を持っています。しかし、福音記者のヨハネは、そのような彼がもっとも深い信仰告白に達したのだと告げます。         

【メッセージのポイント】

1)、24 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。25 そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」  (24、25節)

  ⇒ 恵みの集会を逃すな!                

 24節に「トマスはイエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった」とあります。疑い深かったトマスは多分、主イエスの復活を信じ切れなかったのでしょう。「主イエスが復活した!」と騒いでいる弟子たちと女たちの会話を聞いて、何となく馬鹿々々しくなり、そうっと弟子たちの集団から抜け出し、暗い顔でエルサレムのちまたを歩いていたのではないでしょうか。       主イエスは「二人三人わたしの名によって集まっているところにはわたしも共にいる」と仰せられました。主の名によってもたれる集会には主イエスが臨在されるのです。特にすばらしく主イエスの臨在をありありと感じられるような恵まれた集会を逃さないようにしたいものです。トマスも、もしも、最初の主イエスの復活の時にそこにいたら信じることができたのでしょう。

  わたしどもは日常生活でいろんなことを体験いたします。時には人の言葉に傷ついたり、なすべきことがうまく行かないで失敗したりと言うことがしばしばあります。そのようなマイナス要因が何回か繰り返されると、とても嫌になってしまいます。生きる力や喜びを失ってしまいます。でも、主イエスの恵みに満たされて、生きる勇気と力をいただきたいと思います。

  しばらく前ですが、ある日の祈り会でも、すばらしい証しを聞きました。ある兄弟が悪魔の誘惑に遭ったというのです。

「ある朝、きれいな花のある公園を散歩していました。ふと見ると、カメラの望遠レンズがそこに落ちていました。手にとって見るとそれは大変高価なもので、20万円ぐらいするのではないかと思われるものでした。自分の持っていたカメラにつけてみるとピッタリと合う。そのときに、悪魔がわたしにささやきました。「もらっておきなよ。ほしいと思っていたんだろう。」でも、そのときにすぐ御言葉が浮かびました。「自分にして欲しいと思うことを他人にもしてやりなさい」。これを落としてしまった人はきっと、がっかりしているに違いない。交番に届けよう!そして交番に届けました。そしたら、すぐに連絡があり、落とした方が届けを出しており、わたしの方へとお礼の電話がありました。その方は、もう、あのレンズが出てくることはないと思っていたそうです。でも話していて、心に大きな喜びが湧いてくるのを感じました。」

  この兄弟はいつも集会に出て、主イエスに出会い、御言葉に励まされて歩んでいる方です。恵みの集会を逃さないでいつも勝利の中を歩みましょう。

2)、26 さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。27 それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」(26、27節)

  ⇒信じる者となりなさい。   

 ここには「さて八日の後」と記されています。今日はこのところから説教題をつけさせていただきました。八日と言うのは、一週間後を意味しています。つまりイースターの朝から一週間後のことです。今年の暦で言えば、今日、4月12日、今日のことです。

主イエスはイースターの朝に復活して、弟子たちに現れました。弟子たちは主を見て驚き、また、喜びました。しかし、12弟子の中のトマスだけはそこにおりませんでした。彼はどこか別の場所にいたのです。どこであったかは解かりません。25節を読みますと、イースターの後の弟子たちの喜びと共に、その恵みの場にいなかったトマスの戸惑いと強い反感をそこに見ることができます。そこにはこう記されます。

「そこで、ほかの弟子たちが、『わたしたちは主を見た』と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。』」

ここにはトマスの不信表明と、弟子たちの困惑も記されているのではないでしょうか?

トマスとそのほかの弟子たちの間には、なんとも言えない緊張があったのではないでしょうか?弟子たちは「主は復活した!」と言い、トマスは「わたしは信じない!」と言い張ったのですから。そして、今日の聖書では、その一週間後の日曜日のできごとが記されています。やはり、日曜日の朝でした。「さて八日の後、弟子たちはまた家の中に」おりました。そしてそのときには、イースターの朝にいなかった「トマスも一緒にいた」のでした。「戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われ」ました。そして、27節を見ると、主イエスは「それから、トマスに言われた」と記されています。主イエスはこの1週間後の顕現の際には、特に不信の中にいたトマスが気になっていたに違いないのです。主イエスはトマスに静かに言われました。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい」。特に27節の言葉に心を留めましょう。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」なんとすばらしい主の御言葉!不信のトマスへの主イエスのやさしい、率直な言葉。そして、わたしたちにも、主イエスは今日、この言葉を語られるのです。    

 愛する兄弟姉妹! 主イエスの十字架と復活を信じられないで苦しんでおられる方はいらっしゃらないでしょうか?現代のトマスであるわたしたちに今、語られる。「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と。

3)、28 トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。29 イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

   ⇒ わが主よ、わが神よ。

 28節にはトマスの信仰告白が記されています。彼は主イエスが現れ、彼の前に立たれたときに、深い畏れと圧倒的な主の真実に触れて、「わが主よ、わが神よ」と告白したのでした。トマスは、主イエスご自身が彼の前に現れ、その手の傷と脇の傷を見せて、「見なさい、触ってごらんなさい」という主イエスの臨在の前に跪き「わが主よ、わが神よ」と告白したのでした。「キリスト教の2千年の歴史のなかで告白された信仰告白は、このトマスの短い驚きの叫びに源がある」と竹森満佐一は語っています。この短い言葉、「わが主よ、わが神よ」という短い言葉ですけれども、これは、われらのために十字架にかかり、われらの罪を贖い、われらのために陰府にまで降って死を砕いてよみがえりたもうたまことの主イエスへの驚きと信仰に満ちた信仰告白なのです。わたしたちは今日も使徒信条を礼拝の中で告白しました。また先週は、日本基督教団の信仰告白を告白いたしました。この告白の源泉はまさに、復活の主イエスに出会い、その手に釘跡を見、そのわき腹に槍で受けた傷を見た者の、驚きと感謝とその愛の深さへの感動を我らに伝えています。

こうして、ヨハネ福音書は「言(キリスト)は神であった」という聖句から説き起こしましたが、今この福音書を閉じるのにあたって「主イエスこそわが主、わが神!」との聖句で終わるのです。

「主イエスこそまことの神であった。人間のどうしようもない深い罪をあがない、死の支配の中でうごめいていた人間に永遠の命を与え、よみがえりの恵みを注ぐのは主イエスである。彼は神なのだ。神のふところにいる独り子なる神なのだ!」と。ハレルヤ!

【祈り】 よみがえりの主よ。今日は、トマスの信仰告白を学ばせていただきました。神の恵みの集いからはなれて、不信仰に陥り、苦しみ惑うトマスに御傷を示してやさしく「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と語られました。主イエス様の恵みに現実に触れて、「わが主よ、わが神よ」と告白する者とならせてください。この新しく迎えた一週間も、あなたへの信仰の告白と共に歩み行かせてください。われらのために傷を受け、われらの罪と死を身代わりにおいたまい、わたしどものエマオの旅路を伴いたもう、復活の主イエスの聖名によって祈ります。アーメン。