新宿西教会主日礼拝説教ビデオ「信じる者になりなさい」ヨハネ20:24~29 深谷春男牧師 2025年5月11日
新宿西教会主日礼拝説教ビデオ「われらは光の中を歩もう」イザヤ2:1~5西川穂伝道師 2025年1月19日
新宿西教会主日礼拝説教ビデオ「新たなる力を得る」イザヤ40:27~31深谷春男牧師 2025年1月12日
新宿西教会2025年初主日礼拝説教ビデオ「救いの確信、赦しの心、そして愛」コロサイ3:12~14 深谷春男牧師 2025年1月5日
新宿西教会 オープンチャーチ第四週主日礼拝(永眠者記念礼拝)
新宿西教会主日礼拝説教ビデオ「神のために働く」1コリント3:10~13深谷美歌子牧師 2024年9月29日
新宿西教会主日礼拝説教ビデオ「神のために働く」1コリント3:10~13深谷美歌子牧師 2024年9月29日
新宿西教会主日礼拝説教ビデオ「神のために働く」コリント3:10~13 深谷美歌子牧師 2024年9月29日
新宿西教会主日礼拝説教ビデオ「それは今、創造された」イザヤ48:1~11西川穂伝道師 2024年9月22日
《新宿西礼拝説教》 「それは今、創造された」 2024,9,22
イザヤ48:1―11,16 伝道師 西川穂
アパルームという聖書のみ言葉を黙想して分かち合う、小冊子があります。8月30日の証では、次のような文章がありました。私たちの願いが必ずしも、「神様の御心と一致しているわけではないことに気がつきます。そうして、私は意識的に神様に『質問する』ようになりました。いつも助けや祝福を求めるのではなく、『質問』という形式で自分の関心事を述べると、私の一日を見る目が変わるのです。『質問』は、私の祈りに制限を設けず『質問する』という習慣は、聖霊が私の一日に流れる窓を開いておいてくれるのです」。
【本日の個所の区分】
1) 48:1―5 イスラエルの信仰の形骸化
2) 48:6―8 神様が新しい事を創造された
3) 48:9―11,16 イスラエルの民の信仰の再形成
【メッセージのポイント】
1)第一に、「神様が新しい事を創造された」です。
6節「あなたはすでに聞いた、すべてこれが成ったことを見よ。あなたがたはこれを宣べ伝えないのか。わたしは今から新しい事、あなたがまだ知らない隠れた事をあなたに聞かせよう」。7節「これらの事はいま創造された」とあります。
この「新しい事」というのは、この章では、キュロス王によるバビロンからのイスラエルの民の解放の福音が告げられています。イザヤ40章~55章の中心主題は、イザヤ53章の「苦難のしもべの贖い」というテーマになります。
「苦難のしもべ」が我らの贖いになるというテーマは、新約のイエス・キリストの十字架の贖いの御業、罪の解決につながっていきます。この流れは新約聖書においてはっきりとした形で示されました。すなわち主イエス・キリストの十字架の死による贖いの御業です。主イエスは十字架と復活において、人間の罪と死、呪いのすべてを贖い取り、罪の赦しと永遠の命に至る新しい世界へと私達を導いいたのです。
「新しい事」とは、イエス様の十字架の死の贖いによって全世界の人々が救われる、という意味があります。つまり、異教徒が救われて外国人が救われるという新しい世界が創造されるという意味です。日本人も含めて外国人が救われるという御業は、現代においても、神様によって日々創造され続けておられます。
今週木曜日祈祷会では、詩篇50編が開かれました。詩編50:13~15節では、「預言者たちの関心は、神の御前における深い罪の悔い改めであり、真実をもって神に立ち返ることであった。…大切なのは、真実をもってなす神への『信仰告白』なので」あり、それが真の礼拝者になることにつながるということを聞いて心に留めました。また、詩篇50編では外面的な形式ばかりで、心を込めて、神様を礼拝していないという罪が指摘されていました。神様を心より愛して礼拝していない私たちの為に、イエス様は、私達の罪と人生の苦しみの全て引き受けてくださったのです。
そうして、私たちは、罪が赦されて回心の経験を頂いて、具体的な神様との交わりに入れられ、生涯を通して神様との豊かな交わりの恵みを経験させて頂くようになったのです。そのような神様との交わりは、日々の霊的な成長とともに深められていかないといけません。やがて、神様とお会いすることが許されるまで、神様を知る恵みを豊かにすることが約束されて、その生きた親しい交わりを神様はまさに、私達一人一人に求めておられるのです。
イザヤ48章6節、「新しい事」というのは、イザヤ53章の「苦難のしもべの贖いの死」、究極的には、「主イエス・キリストの十字架の贖いの御業」を指し示しています。
2)第二に、「主の御言葉に聞いて答える・呼応」、という関係の中で生きるということを共に分かち合いたいと思います。
イザヤ書48章4 節には、「わたしはあなたが、かたくなで、その首は鉄の筋、その額は青銅であることを知るゆえに」、と記されています。
ここで、イスラエルの民の無反応、頑なさが描かれています。イスラエルは、主の御言葉に従わない、立ち返ろうといないというのです。その罪深さを、「その首は鉄の筋、その額は青銅である」、と例えで表現しています。悔い改めようとしない、頑なさが記されています。「主の民」であるということの誇りと栄誉がかえって主に対するしなやかな応答をさせないでいるのです。
御言葉を蓄えても、主への従順とはならないという罪が指摘されているのです。
48章5節には、「いにしえから、かの事をあなたに告げ、その成らないさきに、これをあなたに聞かせた。そうでなければ、あなたは言うだろう、『わが偶像がこれをしたのだ、わが刻んだ像と、鋳た像がこれを命じたのだ』と。」記されています。神様を信頼すると言いながら本当は信頼していない民を現しています。つまり、まことの神様に真実をもって応答していない民の姿が描写されているのです。
ジャン・カルヴァンは、『キリスト教綱要第1巻』で、人間の心は「偶像の製造工場」であると語っています。私たちは自分たちの周りの偶像だけでなく、自分たちの中の偶像を認識し、それを排除しないといけません。偶像は、それ自体が偽りであり、まことの神様の御業から人間を遠ざけるものだからです。そして、それは、主なる神様の御業を自分勝手に制限して決めつけるということにおいても、同じことがいえます。神はこういうことを言うはずだ。神はこうなさるはずだ。そういう自分勝手な信仰がここで指摘されているのです。
マルコ6章35節では、「パンは幾つあるか。見てきなさい」とあり、弟子たちは確かめて、「『五つあります。それに魚が二ひき』と言った。」とあり、シンプルに報告します。しかし、マタイ14章16節には、「わたしたちはここに、パン五つと魚二ひきしか持っていません」とあります。また。ヨハネによる福音書6章9節では、「ここに、大麦のパン五つと、さかな二ひきとを持っている子供がいます。しかし、こんなに大ぜいの人では、それが何になりましょう」、という諦めにも似た否定的な表現になっているのです。マルコによる福音書がはじめに書かれたのですが、時間を経て教会に困難が迫ると、「しかし」と神様の御業に制限を設けて、「しかし、それが何になりましょう」と諦めに変わっていくのです。イエスは答えて言われた、「あなたがたの手で食物をやりなさい」と教会に語っている以上は、教会において神様は宣教の御業を新しく創造されていきたいのです。
証)→EHCにおけるオイコス計画のトラクトを配布の例
自分勝手に限界を設け、神様を小さく理解するようでは、私達は本当に大きな戦いを乗り越えることができないのです。神様を大きく、深く理解しなければならないのです。
マルコ6章42には、 「みんなの者は食べて満腹した。」とあります。ネパール人留学生がはじめての教会の礼拝でメッセージを聞いて、更、聖書を開いて読んでいたのは、神様がネパール人二人を教会に連れてきたという他言いようがありません。
私達は、持っているものを神様に捧げる時に、その魚とパンを与えられる人が霊的・身体的・知的にも満足して帰るのみならず、そこで奉仕をする人たちも満足して、共に、喜んで神様に栄光を帰すことにつながるのだと思います。
3)第三に、神様の呼びかけに答えて、信仰が再形成されるということです。
48章7節では、 「これらの事はいま創造された」と記されています。決して、人間の出来上がった考え方には、はまらない、知らなかった秘められたことを神様は語って実現する、とおっしゃっております。御言葉を聞く人が、心の中に、その御言葉を聴く前にから、できあがっている型にはめようとすることを主は拒絶なさるのです。だから、次のように怒りを込めて語ります。
8節では、「あなたはこれを聞くこともなく、知ることもな」い事を主は語ります。真実も正義もない 聞き手に対して、主との生きた関係をつくるために、主は、今、聞いたことがないことをおっしゃるのです。それは、主は、どんなにか御言葉に聞いて答える事を望んでおられるか、ということです。主は、聖書を通した、生きた語りかけに、そのおっしゃった意味を精一杯に聴き取って、あなたは、今、こうおっしゃった、と答える中に、私たちを生きることをお望みになられます。
9節、「わが名のために、わたしは怒りをおそくする。わが誉のために、
わたしはこれをおさえて、あなたを断ち滅ぼすことをしない」。
自らのためにとおっしゃっています。言い換えると、主は、御自分の御心のみに従って、つまり、聞き手が求めていることや聞き手の予想には当てはまらないのです。神様は御自分の御心のみに従うというのです。そんたくもなく、相手の空気を読むということもしないのです。主は御自分がこの人の為に告げようと思うことを告げるし、主はなさろうと思うことをなさろう、とおっしゃるのです。
証)→列王下5章14節、ナアマンの例、ベトナム人留学生の例
私達は、過去の神様の御業に満足するのではなく、神様がなさる新しい御業を受け入れる用意をするということが大切なのだと思います。
過去の私たちが神様を知っていた理解、今、私達が知っている神様の理解、これから私たちが神様を知る理解が同じであるということがあってはならないのです。
再形成された信仰、そこで、新しいかたちに作り直される信仰によって生きる。
イスラエルの神様は今、それを求めておられるのです。
祈り: 世界を設けて、神様を理解するようでは私達の戦いを乗り越えることができません。神様の大きな愛に包まれている事実を認めることができますようにお導きください。主イエス様の聖名によって祈ります。 アーメン
