5月に使徒行伝を学んでからしばらく経ちました。本日はパウロ先生の説教の途中からです。それで、少し振り返ってから、今日の個所を学ぶことにしました。
会堂に入って手を振ってパウロが語り始めたのは、イスラエルが神に導か
れた歴史と、ダビデ王の子孫として生まれた、約束のキリスト・イエス様でした。そして、バプテスマのヨハネは自分で「わたしはキリストではないと宣言した。彼はキリストが来る前の備えをした器でした、と伝えたところまででした。
本日はイエス様の救いは、どのようにしてもたらされたかを語っています。
【聖書箇所の概説】
26節 この救いの言葉は、わたしたちに送られました
27-29節 どうやって救いがもたらされたのか語る。
30-37節 復活によって旧約の成就、死が打ち破られた事実を語る。
【メッセージのポイント】
1)救いの言葉はわたしたちに送られた
26 兄弟たち、アブラハムの子孫のかたがた、ならびに皆さんの中の神を敬う人たちよ。この救の言葉はわたしたちに送られたのである。 26節
パウロはそこに集まっている聴衆に。この救の言葉はわたしたちに送られ
たと語り始めました。「あなた方に」でもなく、「わたしに」でもなく「わ
たしたちに」でした。つまりそこに集う全員にでした。
パウロはユダヤ人でした。アブラハム、モーセ、ダビデと、神の民としてメシヤ、救い主を待ち望んできた民の一員でした。しかし、イエス様をメシヤと認める前は、クリスチャンの迫害者でした。そのパウロがイエス様に直接語り掛けられ、アナニヤが送られ、バブテスマを受けてクリスチャンになりました。パウロの自覚は、一テモ1:13 わたしは以前には、神をそしる者、迫害する者、不遜な者であった。しかしわたしは、これらの事を、信仰がなかったとき、無知なためにしたのだから、あわれみをこうむったのである。でした。そしてイエス様に出会ってから、全ての人に福音を宣べ伝える使命が与えられて、派遣されていると自覚していました。それで、そこにいる皆さん全員に救いの言葉を語ったのでした。
7月29,30日と、ここで「日本伝道の幻を語る会」が持たれました。大嶋重徳先生が「この街には私の民が大勢いる」使徒18:10と語られました。パウロが恐れに捕らわれていた時に、神様がパウロに語られたお言葉でした。そして今、それぞれの置かれた地にも「私の民が大勢いる」と語られていると。ここ新宿にも神様の愛している人々が大勢いて、それは神様が導こうとしていて下さるのだと解りました。そして、それから、大嶋先生のお父様の救いの為に、お母様が47年間祈り続けたお証を伺いました。
クリスチャンが良い証し人であったらから救われた。とか言われると、「お前が良い証人でないから救われないんだ」とかしょんぼりしてしまいますね。でも解りました!神様がこの街の人々をご自分の民と見ていて下さる。私は導きに従えばいいのだと。意気消沈していたパウロはその言葉を聞いて、1年6か月にわたってコリントに滞在し、コリントの教会ができました。
2)それでも神様は勝利された
27 エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めずに刑に処し、それによって、安息日ごとに読む預言者の言葉が成就した。28 また、なんら死に当る理由が見いだせなかったのに、ピラトに強要してイエスを殺してしまった。29 そして、イエスについて書いてあることを、皆なし遂げてから、人々はイエスを木から取りおろして墓に葬った。 27-29節
パウロに説教の依頼があった時、彼はおもむろに立ち上がると、手を振って話し始めました。「イスラエルの人たち、ならびに神を敬うかたがたよ、お聞き下さい。17 この民イスラエルの神は、わたしたちの先祖を選び、エジプトの地に滞在中、この民を大いなるものとし、み腕を高くさし上げて、彼らをその地から導き出された。」と語りました。「23 神は約束にしたがって、このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られた」と。ダビデに約束した救い主がイエス様であったと語りました。ロマ1:2、3 この福音は、神が、預言者たちにより、聖書の中で、あらかじめ約束されたものであって、3 御子に関するものである。御子は、肉によればダビデの子孫から生れ、とパウロは一貫してダビデの末に約束された救い主がイエス様でしたと語ってきました。
ところがユダヤ人の望んでいたのは、ダビデの時代がそうであったように、イスラエルの国が周りの国々を平定して君臨する王を求めていたのでした。
しかし、イエス様はそのようには行動されませんでした。以前に言いましたが、「ベンハー」の映画で、十字架に向かわれるイエス様に「今でも兵が待機しています。」と語りかける場面がありましたね。
ユダヤ人の指導者ばかりでなく、エルサレムに住んでいた人々がなぜ数日前に「ダビデの子にホサナ!」と熱狂的に迎えながら「十字架に付けろ」と叫んだのか?いくらわいろをもらったとしても、と疑問でしたが、たぶん彼らの期待の行動を主イエス様はとられなかったからでしょう。
そして、直接の原因は、指導者たちの「妬み」でした。み言葉を学んでいても、日常生活とは関係なく、自分中心で行動していて、メシヤを見ることができませんでした。
ところが!全能の神様は、そうなることもご承知で、ご自分の救いの計画を完成されたのでした。
9月の「よろこびの泉」という雑誌の中で、水野源三さんの詩、「ひまわり」が紹介されています。
庭から切ってきた大きな大きなひまわりの花が
小さな小さな事にこだわるわが心に話しかける
神さまは、大きな大きな愛を、すべての人間に注いでいてくださいます。世界を導いてくださっている神様がおられます。嬉しいですね。しかも全
能の神様は私一人を特別な存在として、愛してくださるのです。夫がただ一人の配偶者として愛してくれても完全ではありませんが、神様はパーフェクトです!
3)神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかった
30 しかし、神はイエスを死人の中から、よみがえらせたのである。31 イエスは、ガリラヤからエルサレムへ一緒に上った人たちに、幾日ものあいだ現れ、そして、彼らは今や、人々に対してイエスの証人となっている。32 わたしたちは、神が先祖たちに対してなされた約束を、ここに宣べ伝えているのである。33 神は、イエスをよみがえらせて、わたしたち子孫にこの約束を、お果しになった。それは詩篇の第二篇にも、『あなたこそは、わたしの子。きょう、わたしはあなたを生んだ』と書いてあるとおりである。34 また、神がイエスを死人の中からよみがえらせて、いつまでも朽ち果てることのないものとされたことについては、『わたしは、ダビデに約束した確かな聖なる祝福を、あなたがたに授けよう』と言われた。35 だから、ほかの箇所でもこう言っておられる、『あなたの聖者が朽ち果てるようなことは、お許しにならないであろう』。36 事実、ダビデは、その時代の人々に神のみ旨にしたがって仕えたが、やがて眠りにつき、先祖たちの中に加えられて、ついに朽ち果ててしまった。37 しかし、神がよみがえらせたかたは、朽ち果てることがなかったのである。 30-37節
ユダヤ人が殺したイエス様を、神がよみがえらせたと語ります。
キリスト教は宗教と言っても、単に生き方を伝えるものではありません。
事実起こった救いを伝えています。それも、旧約から待ち望まれた出来事だったと。 詩篇16:8~11節
8 わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。9 このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。10 あなたはわたしを陰府に捨ておかれず、あなたの聖者に墓を見させられないからである。―この句が引用されています。11 あなたはいのちの道をわたしに示される。あなたの前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。 この詩篇は、その時代に生きながら、神様が共に歩んでいて下さる経験に生き、やがて来るメシヤが救いを完成される日を先取りして歌っている詩です。パウロは今それが現実となったと伝えます。本当に甦って弟子たちに40日にわたって現れ、昇天され、聖霊様を送ってくださった時代ですと。
手塚治虫さんの「火の鳥」という漫画がありますね。中国の始皇帝?が不老不死の薬を探させたとか聞きます。死は百戦百勝のものでした。人類の希望は永遠の命ですね。でも、それはあり得ないと思っているのが多くの人々ではないでしょうか?
教会で伝える福音は、神の民の歴史に働き、救い主を送ると語られ続け、確かに来られたイエス様が、人間の思い及ばなかった救いを与えてくださったことを伝えるものです。信じた者に現実に与えられる罪の赦しと永遠のいのちです。
先週25,26日と赤羽教会で、「こころの友伝道全国大会」が持たれました。主講師は島隆三先生でした。先生はロマ書をどの教会に遣わされても取り次いでこられました。先生自身の信仰の確信を与えられたのもロマ書でした。信仰を失ったお兄さんに、自分の状態を書き始めて、ロマ書を読みながら書くうちに、信仰の確信が与えられ、信仰を促すような手紙になったそうです。ロマ書の中心は?との問いに即座に「8章1,2節」と返事が帰ってきました。
8:1 こういうわけで、今やキリスト・イエスにある者は罪に定められることがない。2 なぜなら、キリスト・イエスにあるいのちの御霊の法則は、罪と死との法則からあなたを解放したからである。この命を伝えましょう。
一コリ15:20 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。21 それは、死がひとりの人によってきたのだから、死人の復活もまた、ひとりの人によってこなければならない。22 アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じように、キリストにあってすべての人が生かされるのである。
祈り 神様、宣教の為に立ち上がり、復活の事実と、信じた者に罪の赦しと永遠の命を与えられる福音を語ったパウロでした。この街にはあなたの民が大勢います。これを受け取る方が起こされますように。
