新宿西教会の1階には「デイリー・ヤマザキ」というコンビニがあります。「山崎パン」は、現在の社長さんご夫妻が熱心なクリスチャン。「山崎製パン」の素敵な香りを受けつつ「命のパン」という主題です。
ヨハネ福音書には、「わたしは・・・である」と言う宣言が7回なされています。これは英語で言えば “ I am a boy “ というような言葉で、「エゴー・エイミ・・・」という形式で、イエスキリストこそが終末的な神から遣わされた救い主であることを示しています。この表現は以下の7つの表現があり、とても印象的な表現となっています。
- 「わたしは命のパンである」(6章)、
- 「わたしは世の光である」(8章)、
- 「わたしは羊の門である」(10章)
- 「わたしはよい羊飼いである」(10章)
- 「わたしは甦りであり、命である」(11章)、
- 「わたしは道であり、真理であり、命である」(14章)
- 「わたしはまことのぶどうの木である」(15章)
この二つ表象の中には、「良い」と「まことの」という言葉が加えられ、「排他的かつ挑戦的な主張がなされている」(シュルツ)と言われています。今日は、この言葉の第一の「わたしは命のパンである」というみ言葉から、共に聞いてみたいと思います。
【 今日の聖書箇所の概説 】
ヨハネ福音書6章は以下のような内容となっています。特に、主イエスが天から下った命のパンであることが強調されています。
1~15節 5千人に食べ物を与える。
16~21節 湖の上を歩く
22~59節 イエスは命のパン
22~33節 わたしは命のパン
34~40節 神の御心は、命のパンを食べて永遠の命を得ること。
41~51節 命のパンを食べる者は、永遠の命を受ける。
52~59節 わたしの肉はまことの食物わたし血はまことの飲み物
60~71節 永遠の命の言葉
【メッセージのポイント】
1)47 よくよくあなたがたに言っておく。信じる者には永遠の命がある。 (47節)
⇒アーメンアーメンわたしは言う。「信じる者には永遠の命がある」
主を信じることは、なんと{永遠の命}を持つのです。これは素晴らしいストレートな言葉ですね!主イエスを信じるということは、永遠の命の中を歩むことです!と率直に語ります。
人生には限りがあり、全ての人に共通するのは、この地上で生まれた人は、必ず、死を経験すということです。でも、主イエスは言われました!「信じる者には永遠の命がある。」いつでも、わたしたちは、主イエスを信じて、この永遠の命の中を歩みましょう!
2)48 わたしは命のパンである。49 あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。50 しかし、天から下ってきたパンを食べる人は、決して死ぬことはない。 (48~50節)
⇒ 主イエスは言われる「わたしは命のパンである」。
48節からのところでは、主イエスは言われた。「わたしは命のパンである」と語られ、「天から下ってきた生きたパンである」と語られました。モーセに導かれた出エジプトの体験をした人々は荒野でマナを食べたが、その天から降ったパンであるマナを越えて、主イエスご自身が人生の荒野で食すべきパンなのです。なんという素晴らしいみ言葉でしょう。聖餐式で、主イエスの肉とパンをいただくことは、まさに天から降った、パンをいただくことなのだと。
3)51 わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。52 そこで、ユダヤ人らが互に論じて言った、「この人はどうして、自分の肉をわたしたちに与えて食べさせることができようか」。 (51、52節)
⇒ 主イエスは、「天から下ってきた生きたパンである」。
主イエスが、「わたしは命のパンです」と告白されました。ここでは「天から下ってきた」、「生きた」パンであると二つの言葉が使用されています。「天から、神様のもとから注がれたパンである」ということと、「生きた」パンであることが強調されています。これを聞いたユダヤ人がこの世の論理で考えたのです。主イエスの永遠の命の事は分からなかった!「どうして、天から下ったなどというのか?」などと言って,主イエスの言葉に躓いてしまいました。この個所では不信の徒となるな!と警告されていますね。
ここで、榊原康夫という先生が、説教の中で聴衆にこのように語っているの読みました。
「皆さん、主イエス様は、わたしは命のパンである」と語られたのです。「わたしは、命のたくあんだ」と語ったのではありません。
これを読んでびっくりしてしまいました。
「え?命のたくあん??」ですか?さらに読んでいったら、主イエスの「命のパン」は主食ですよ。わたしの肉は命のパンであり、「おかず」といったのではありません。主イエス様は主食です。日本人で言うなら「ご飯です」。主イエス様を頂く信仰者の姿は。主イエスを主食として食べることです。刺身のつまか、パセリのようなものではありません。」「しっかり主食を食べないと、元気な体になりません。と書いてありました。「パセリ」のような、ちょっとしたおかずのように聖餐を受けてはなりませんと教えているのですね。
4)53 イエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。54 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。(53,54節)
⇒ 主の肉を食べ血を飲むものには永遠の命がある。そして復活する!
永遠の命を頂いた者は最後は復活の命を持つのだ!この永遠の命を持ちつつ歩む。「人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。」これは何という。強烈で深いメッセージでしょうか?永遠の命の中をしっかり従って歩みましょう。
5)55 わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物である。 (55節)
⇒ 主イエスの肉はまことの食物、主イエスの血はまことの飲み物!
「まこと」が強調されている。これは先ほどの「真の」ぶどうの木と同じです。わたしたちの食べ物は主イエスの肉と血。これは永遠の、まことの食べ物なのだ!これは先ほどの「主イエスは命の沢庵じゃありません」。「おかずではなく、本当の主食なのですね。
わたしたちは、月一回の聖餐の時を持ちますが、この聖餐こそが、わたしたちの主食なのですね。ハレルヤ
6)56 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。 (56節)
⇒ 聖餐に与る者は、主イエスの臨在と共に生きる!
ここには、主の御聖餐に与る者は、主イエスの臨在と共に生きる!と教えられます。ハレルヤ
主イエスの血潮を粗末にせず、わたしのために流された血潮を、毎週礼拝の中で覚えつつ、特に聖餐式のある時はなおさらですが、主イエスの贖いの血潮に、感謝と恐れとをもって歩みたいものです。
主イエスを信じる者には「永遠の命」が与えられる。永遠の命とは、時間的な長さのみならず、絶対的な命、死をも乗り越えた命を意味する言葉です。主イエスを信じるものはこの新しい命、神の命を内に持ち、この命に生き始めるのです。「永遠の命の泉」を宿すのです。「信じる者には永遠の命がある!」
小松川教会の高山松枝牧師夫人の召天の証しに感動しました。布団の上に正座して、花を一輪持たれ、婦人会の姉妹方に最後の挨拶をされました。「わたしは近いうちに天に召されます。皆さん。しっかり信仰を持って、最後まで歩みましょう。どのような時代になっても、最後まで信仰を全うして主イエス様の前に出て、善かつ忠なる僕、よくやったと言われる、主イエスのお褒めの言葉を頂くのですよ」。
【祈祷】 天の御父!2025年、ちょうど半分の7月第一主日礼拝を感謝します。この朝、あなたの愛が良く分かりますように。その中でも、イエス様の流された十字架の血潮、裂かれた御身体を頂きます。赦しの福音、死をも越えた復活の命、永遠の命の「確信」を与えて下さい。この半年間、皆様に祝福を!主の御名によって祈ります。アーメン
