新宿西教会聖書研究祈り会説教「ヤコブの7つの祈り・奇跡の力」ヤコブ書5:13~18   深谷春男牧師

8月25日(木)聖研祈祷会説教「ヤコブの7つの祈り・奇跡の力」

聖書:ヤコブ5:13~18  

説教者:深谷春男牧師

 昨日、桜ヶ丘教会で、朝位真士先生の御葬儀がありました。御葬儀の司式は御子息の朝位德義先生が執り行われました。憲義先生は現在、四国の琴平教会の牧師をしておられます。朝位真士牧師は、78才でした。多くの方々が、最後の別れの時に朝位真士先生のまっすぐな信仰について語ってくださいました。特に「祈りと愛」にすべてを注がれた先生の生涯に、深い感謝を込めた恵みのひと時となりました。救いの確信に歩まれた勝利の生涯にふさわしい,爽やかな、天国凱旋の一時でした。

【今日の聖書箇所の概略】

 今日は皆さんと、ヤコブの手紙を読んでみたいと思います。ヤコブの手紙を読んでみると、とてもユニークで、長いユダヤ教の伝統のある味わい深い祈りと具体的な、倫理的な教えに満ちた内容です。しかし、パウロの手紙などと比較しますと、少し戸惑いを覚えるようなところがあります。特に2章22~24節には「22 あなたが知っているとおり、彼においては、信仰が行いと共に働き、その行いによって信仰が全うされ、23 こうして、「アブラハムは神を信じた。それによって、彼は義と認められた」という聖書の言葉が成就し、そして、彼は「神の友」と唱えられたのである。24 これでわかるように、人が義とされるのは、行いによるのであって、信仰だけによるのではない。」とあって、宗教改革の時に強調された「信仰義認」への反論のような内容が記され、驚いてしまいます。マルチン・ルターは「ヤコブ書は藁(わら)の書簡」とまで一時は言われたそうです。しかし、この書物には、神へのまっすぐな信仰と忠実に神に従うことの大切さが歌われ、今日の箇所は、「ヤコブの7つの祈り、奇跡の力!」とという題を付けました。共に祈の姿を学びましょう。 ここには、「祈り」「祈れ」と7つ語られているので、その7つの「祈り」を、取り上げて学んでみたいと思います。

 【メッセージのポイント】

1)13 あなたがたの中に、苦しんでいる者があるか。その人は祈るがよい。喜んでいる者があるか。その人はさんびするがよい。(13節)

⇒ 苦しんでいる人よ、祈れ!

 まず第一は「苦しんでいる者よ、祈れ!」という言葉です。言うまでもなく、わたしたちの生涯には、いつでも問題課題がやってきます。生きていると言うことは「問題、課題に直面することである」と言っても過言ではありません。聖書は言います。「問題課題に出会うとき」「苦しんでいるときに祈れ!」と。しかしこれは簡単なように見えても、祈るのは、難しいですね。問題が大きすぎたり、突発的な出来事ですと、慌てふためいて、祈る事もできないときもあります。でも、愛する兄弟姉妹!「おお、主よ、助けたまえ!」と天を見上げて祈りましょう!全能の神は驚くべき業をなして下さいます。天が開いているのです。

2)14 あなたがたの中に、病んでいる者があるか。その人は、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリブ油を注いで祈ってもらうがよい。(14節)

⇒ 病んでいる人よ、教会で祈ってもらえ!

 祈りは、個人でもできますが、教会の愛する兄弟姉妹と共に祈ると大きな力になってゆきますね。使徒行伝には、祈りの奇跡が沢山出てきますが、使徒2章、使徒9章、使徒12章、使徒16章と、大事な信仰共同体である教会の出来事には必ず、祈りが出てきます。祈りなしに、教会の発展はありません。ペンテコステ、パウロの回心、ペテロの救出、ピリピの牢獄。祈りは、困難の岩をうち砕く、ダイナマイトのようなものです。教会での一致した祈りなくして、神様のすばらしい御業は起こりません。祈りが、奇跡の力なのです。

 

3)15 信仰による祈は、病んでいる人を救い、そして、主はその人を立ちあがらせて下さる。かつ、その人が罪を犯していたなら、それもゆるされる。    (15節)

⇒ 「信仰による祈り」をせよ。

 と教えています。信仰は奇跡を生みますがそのためには、「信じて」「信仰を持って」祈らねばなりません。「汝の信仰の如く汝になるべし。得たりと信ぜよ、さらば得べし。」先取りの信仰を持ちましょう。同じ内容をパウロは、エペソ6:18では「御霊によって祈れ」と表現します。全能の神への信仰をもって祈るのです。

 

4)16a だから、互に罪を告白し合い、また、いやされるようにお互のために祈りなさい。(16a節)

 ⇒ 互いに罪を告白し、互いのためにとりなし祈れ。

 わたしたちは、一緒に祈る時も、一人で祈る時も、いつも他者を覚えて執り成しの祈りをします。「執り成しの祈りは、人生で最も貴重な奉仕です。」 更に「罪を告白し合い」という言葉も付いています。時には「罪を告白しあい」ながら、祈り合うことができますように。

 

5)16b 義人の祈は、大いに力があり、効果のあるものである。(16b節)

   ⇒ 「義人の祈り」は力がある。 

 「義人の祈り」は大きな力があると言われています。「義人はいない、一人もいない」と言われておりますので、正確には、「主の贖いによって義とされた者」という意味で読むのが良いかと思います。わたしたちも主の血潮のゆえに「義とされた者」、「罪のしがらみの中に生きる愚かな罪人として義人」ですので、「主よ、御血潮で贖われたものです。お願いがあります。うちの父を救ってください。母を救ってください。うちの子どもたち、孫たちを救って下さい」と祈りましょう。「主よ、また、あなたの教会を建てあげるために、皆で祈ります。あわれんで下さい」主の憐れみを求めて祈りましょう。十字架の血潮で贖い取られた僕たちの祈りに、主は聞いて下さいます。 

 

6)17 エリヤは、わたしたちと同じ人間であったが、雨が降らないようにと祈をささげたところ、三年六か月のあいだ、地上に雨が降らなかった。(17節)

⇒ エリヤの如く祈れ 内なる偶像を除き、祭壇を立て直す

  ここからは、主の僕、エリヤの祈りが記されます。列王記18章の信仰の人エリヤは祈りの人でした。当時、北イスラエルは、バアルとアシタロテの偶像礼拝に満ちており、真の神を信じるものはいなくなるほどに圧迫されてしまいました。神の民と言っても、偶像礼拝を、恐ろしい罪の中に落ちて、神の民はまったくその神の民の実質を失いました。エリヤはその時、バアルの預言者450人とアシタロテの預言者400人、合計して850人を敵に回して霊的な戦いを挑むこととなりました。主はエリヤの祈りに対して火を下して御自身が神であると示されました。

 

7)18 それから、ふたたび祈ったところ、天は雨を降らせ、地はその実をみのらせた。(18節)

 ⇒ ふたたび祈れ!恵みの雨のため、大きな実りを信じて祈れ!

 ヤコブの祈りについての教えは、エリヤの時代と同じ主題、全世界に福音が満ちあふれ、偶像礼拝や不信仰が処分され、約束のリバイバルが全世界を覆う、大雨となって降って来ることへと続いています。エリヤは、霊的戦いの後に、膝のなかに顔をうずめるようにして、主にリバイバルの大雨を祈りました。恵みの雨と大きな実りへの期待の祈りです。

 エリヤは従者に「海のほうをよく見なさい」と言いました。従者は海のほう、すなわち地中海の方に走って行き、目をこらして見ました。何も見えません。戻ってくると「もう一度見て来なさい」と言われます。何度行っても何も見えません。そして七度目!ようやく地中海の彼方に小さな人の手ほどの雲を認めたのでした。

 神様の大いなる業を期待するときに大切なのは、根気強く祈ることです。エリヤは7度繰り返したと言われます。あきらめないで祈り続けることです。「7度」が2回繰り返されて強調されています。

ついに「手のひらほどの小さい雲」が見えました。地中海の青く澄んだ空に小さな雲がぽつんと浮かんだのでしょう。エリヤにはその雲のことを聞くと、神が起そうとしている大きな黒雲、そしてやがて起こる大雨の兆しであることがよくわかりました。そしてアハブ王に「激しい雨に閉じ込められないように急いで山を下りなさい」と告げました。

 わたしどももやがて主のなしてくださる日本のリバイバルの兆しを見てまいりましょう。今日、リバイバルのための前兆、「手のひらほどの小さい雲」を見ましょう。主イエスの十字架の贖いを深く体験し、聖霊なる神様に満たされて、熱き思いで仕える、リバイバルの「手ほどの雲」の一つとして、そのように生きて行きましょう。ハレルヤ。

 

【祈り】 主よ、ヤコブ書5章「祈り」のメッセージを感謝します。

1)苦しむ者祈れ。 2)病気の人よ、教会で祈ってもらえ、

3)信仰を持って祈れ、4)お互いのために祈れ! 

5)「義とされた者」として祈れ、 6)エリヤの如く祈れ、 

7)再び祈れ、恵みの雨、大収穫のため、リバイバルを求めて、祈れ!主よ、にぶい愚かなわたしどもを導き、自分の魂のうちにリバイバルを、自分の家族親族にリバイバルを、新宿西教会にリバイバルを、全日本に、全世界に、主の救いと神の栄光の満ち満つるリバイバルの業をなしたまえ。わたしどもを「人の手ほどの小さい雲」となしたまえ。御名によって、祈ります。アーメン