新宿西教会聖書研究・祈り会奨励「神様の承認」マタイ17:1~8   深谷美歌子牧師

9月1日(日)聖研祈祷会奨励「神様の承認」

聖書:マタイ17:1~8  

奨励者:深谷美歌子牧師

  この頃コロナ陽性になって、皆様に迷惑おかけしました。7月31日のことです。自己診断検査で、陽性反応があったとき、「え?」と思いました。深谷牧師は陰性です。もういつもの日曜日のように、外回りも済ませて、部屋に戻った時でした。更生教会に行くので、自分は検査した。わたしもした方がいいというので、した結果でした。念のため、もう一度ということで、検査キットを購入し検査しましたら、やっぱり陽性反応でした。もうみんな来始めていましたが、急きょ対面礼拝は取りやめ、深谷も、更生教会に説教原稿を送って、朗読説教にしていただきました。その後の病院の検査結果も陽性で、8月第一聖日は、深谷だけの配信礼拝説教にさせていただきました。10日目に区の検査を受け、陰性が確認されました。ホッとしました。公の検査結果が陰性証明をしてくれたことで、皆様にも安心して対面礼拝に来ていただけるということで、安心しました。  今週は「こころの友全国大会」が当教会であり、石丸昌彦先生の「現代における不安」をテーマに講演してくださいました。「最初に結論をお伝えする時間がなくならいために言っておきますが、とマルコ6:50のイエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。このお言葉を読んで講演をしてくださいました。そこに安心があることを確認させられました。

 今日の聖書箇所にも「これはわたしの愛する子、これに聞け」とイエス様のことを、承認する言葉がかけられたことが記されています。ここから、聞いて、確信をもって立ち上がらせていただきましょう。

 

【聖書箇所の概説】

1-2節 イエス様の姿が変わり、顔が日、衣は光のようになった。

3―4節 モーセとエリヤが現れ語り合い、ペテロは小屋を建てると言う。

5―8節 神様の信任の声。顔をあげるとイエス様だけがいた。

 

【メッセージのポイント】

1)イエス様の姿が変わった。

1 六日ののち、イエスはペテロ、ヤコブ、ヤコブの兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。2 ところが、彼らの目の前でイエスの姿が変り、その顔は日のように輝き、その衣は光のように白くなった。(1―2節)

 6日の後、というのは、ピリポ・カイザリヤにおいて、ペテロが「あなたこそ、生ける神の子キリストです」と、イエス様こそ、神様で、救い主です。と告白したこと。それをイエス様が喜ばれ、「これを現したのは、血肉ではなく、天にいますわたしの父である」と言いました。それからすぐ、これから自分は必ずエルサレムに行き、殺され、三日目によみがえると語り始めました。それを聞いたペテロは、「とんでもない。そんなことがあるはずはございません」と言いました。前回は、それは、イエス様にとっても試練であった。が、それをすぐに「サタンよ、引きさがれ」としりぞけたことを学びました。このことがあったのちの6日目です。コロナになって6日目ではまだ最中ですね。いったいどういうことなのか?不安の中にあったペテロ達をイエス様は高い山に連れて行きました。

その時、彼らの目の前で、イエス様の姿が変わったのでした。顔は日のように輝き、衣は光のように白くなりました。この事を、モーセは神の光を反映させたが、イエス様は内側から光が出ていると言われている方がいて、なるほどと思いました。弟子達の目の前で、本来の神様の栄光の姿に変わられたのでした。このことは、イエス様が神様であることを確信させるできごとでした。

 

2)モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。

3 すると、見よ、モーセとエリヤが彼らに現れて、イエスと語り合っていた。4 ペテロはイエスにむかって言った、「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのために、一つはモーセのために、一つはエリヤのために」。 3-5節

姿が変わったイエス様のところに、モーセとエリヤが現れました。モーセは神の民をエジブトから導き出し、神の民が生きる律法を神様からいただき伝えた器でした。エリヤは、預言者として、神の民のあるべきところを大胆に伝えた預言者の代表でした。彼らが現れて、「語り合っていました」よもやま話ではありませんルカ9:30 にすると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリヤであったが、31 栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである。と平行記事が載せられています。彼らが話していたのは、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことでした。この「最後のこと」という言葉は「エクソドス」という言葉で、これはモーセがエジブトから民を「脱出させた」出来事でした。イエス様がこれから、全人類のために、罪の世界から脱出させるために行おうとしている出来事について語り合っていたのでした。

そのような大事なことを語り合っているにもかかわらず、ペテロは「「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。もし、おさしつかえなければ、わたしはここに小屋を三つ建てましょう。」とあらぬことを言っています。きっと彼は自分が従っているイエス様が神の栄光を現していることに喜び、旧約の偉大な人物が現れたことに喜んで、この状態でずっと一緒に過ごしたいと願ったのかもしれません。エルサレムで苦しめられ、死ぬことなど考えたくもなかったのかもしれません。

 

3)これに聞け

5 彼がまだ話し終えないうちに、たちまち、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。

6 弟子たちはこれを聞いて非常に恐れ、顔を地に伏せた。

 17:7 イエスは近づいてきて、手を彼らにおいて言われた、「起きなさい、恐れることはない」。

8 彼らが目をあげると、イエスのほかには、だれも見えなかった。5ー8節

 ペテロが話し終えないうちに、輝く雲が彼らをおおい、そして雲の中から声がした、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」。という声がかけられました。この言葉は、イエス様がバプテスマのヨハネからバプテスマを受けられた時、また天から声があって言った、「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である」。マタ 3:17と神様の信任の言葉がかけられたのと同じ言葉です。

モーセとエリヤという旧約の代表のような人がイエス様のこれから成し遂げようとしとぃる事を指し示したばかりでなく、父なる神様からも「これはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である。これに聞け」という信認の言葉がかけられました。

これは、イエス様にとっても、エルサレムに向かい、十字架の死を受け、復活することが、全人類の罪からの脱出の道であること。これこそが取るべき道であるとの確信を与えるものであったに違いありません。

 そして、ペテロたちには、イエス様が語られた「21 この時から、イエス・キリストは、自分が必ずエルサレムに行き、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受け、殺され、そして三日目によみがえるべきことを、弟子たちに示しはじめられた。」という言葉こそが正しく、「これに聞け」とくぎを刺されたできごとでした。

 イエス様の語られた道こそが神様の御計画の「エクソドス」人類の救出の道でした。

 しかし、このことが語られても、弟子達が真意を理解したのは、復活と、昇天、聖霊の降臨を受けてからでした。恐れに捕らわれていた弟子達のところに、主は近づいてきて、手をおいて「起きなさい、恐れることはない」と語りかけられました。

 「幻を語る会」でも、大嶋重徳先生が、エマオに向かって、ショボショボ歩いて行く弟子たちに寄り添い、耳を傾けられたイエス様のことを語られました。

この度の「こころの友全国大会」の石丸昌彦先生の講演でも、対象恒常性という言葉が語られました。小さい子供が、お母さんから離れると不安に感じる。しかし、お母さんは隣の部屋にちゃんといるよ。と理解したら、安心するように、マルコ6:50のイエスはすぐ彼らに声をかけ、「しっかりするのだ。わたしである。恐れることはない」と言われた。といつもそばにいて、全てを解決し、導いていてくださる方がいてくださる。これが平安の秘訣です、と語られました。この方は聖霊です。とも語られました。

先生は、病気から来る不安は、医者に見せる。それは、テレビが壊れたら、お祈りするより電気屋さんに電話するのと同じ。と語られました。が、「この言葉を言った先生が実はおいのりする」とチラっと言われました。

お医者様に見ていただいても良いと思いますが、全てを理解し、何よりも死に至る病を癒す道を備えてくださった、イエス様がいてくださいます。この救いの計画は、父なる神様が信認されたものでした。

改めて、聖書は旧約時代から、この救いの完成に向かって神様の導きのもとに歴史が展開してきたことを教えられます。

今わたしたちはこの証言と共に、完成された命を頂いています。

コロナの陰性証明より確かな信認の言葉に信頼し、対象恒常の聖霊様がいてくださることを瞬間、瞬間、仰いで、証言する者とさせていただきましょう。ハレルヤ!

祈り 父なる神様、神の民を導く器を起こし、歴史介入の事実を感謝いたします。イエス様をお送りくださり、十字架の贖いの道を備え、聖霊様をお送りくださり、常に共にいてくださることを感謝します。証言者として、今この世界にお遣わし下さい。主の御名によって。アーメン