新宿西教会主日礼拝説教「アンテオケ教会に学ぶ」使徒行伝13:1~3   深谷春男牧師

9月4日アンテオケ教会に学ぶアンテオケ教会に学ぶ」

聖書:使徒行伝13:1~3  

説教者:深谷春男牧師

 前回は、「マケドニア人の幻」と言う説教を致しました。8月23日に「第53回日本伝道の幻を語る会」、続いて8月29,30日に「第68回こころの友伝道全国大会」が開催され、日本伝道、世界伝道という課題を全面的に示されたので、主にある恵みを頂きました。この二つの大会を通して、多くの恵みを頂きました。

 現在、21世紀になりまして、キリスト教会は,全世界に教会を建てあげ、福音を語り、多くの方々に信仰を、救いを、愛と希望を与えています。その源を辿れば、使徒行伝2章のエルサレム教会のペンテコステの出来事、13章のアンテオケ教会から始まる世界宣教の姿を見ることになります。今日は、アンテオケ教会にその信仰を学びましょう。

 

【聖書箇所の概説】

13章にはいります。アンテオケの教会は、ディアスポラのユダヤ人がクリスチャンになった人々が多かったようです。新しいこの教会が、いよいよ外に向って宣教を始めた時の事が記されます。送り出す教会のメンバーや、そのとき教会はどうしたか、その後の伝道の様子が、目に見えるように伝えられています。

1-3節 アンテオケの教会のメンバー紹介と、聖霊のお告げによって、バルナバとサウロを宣教に送り出す。

4-12節 クプロ伝道。地方総督セルギウス・パウロの入信の出来事があった。魔術師エルマの妨害があったことも記される。

13-32節 ピシデヤのアンテオケでの伝道の様子。

  • ヨハネ(マルコ)は帰ってしまった。

14―43節 ピシデヤのアンテオケの会堂での説教。

   旧約からの預言の成就。信じたものが出たこと。

44-51節 次聖日も話してとの要請。ユダヤ人が反対。

 

今日は1-3節の部分です。

  • アンテオケ教会のメンバー紹介。
  • 主を礼拝し、断食をしていると、聖霊の導きがあった。

   バルナバとサウロを定めた仕事につかせよ。

  • それを受けて断食と祈りをし、按手のうちに出発させた。

 

【メッセージのポイント】

1)1 さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。(1節)

⇒ アンテオケ教会のユニークなメンバー

前回の所でも紹介しましたが、「アンテオケ」という町は、当時の地中海地方の代表的な町でした。第一の町のイタリアのローマ、そして第2番目の町はエジプトのアレキサンドリア。そして第3番目の町がシリアのアンテオケだったと言われます。注解書を読みますと、このアンテオケは、活発は港町で、多くの人々が行き交い、経済的は豊かに潤っていましたが、道徳的な退廃がひどくて、特に性的な不道徳な町として有名だったそうです。しかし、そこに、クリスチャンたちが集り、自然発生的に教会が形成あれ、すばらしい働きが始まっておりました。使徒行伝11:19~26にアンテオケにクリスチャンが集まっていると言うことを聞いてエルサレム教会は、慰めの器と呼ばれる、バルナバを遣わしました。「聖霊と信仰に満ちた」器であるバルナバは、教会員の中で歓迎され、教会は豊かに発展しました。そして、その数年後には、今日の13章にあるような、世界宣教の拠点教会になったのです。

このアンテオケ教会には、にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた(1節)と記されます。

アンテオケの教会はさまざまな立場の人々が集まっていたことが知らされます。

「バルナバ」はクプロ島の出身でした(使徒4:36)。多分、彼はエルサレム以外の所に住んでいたディアスポラのユダヤ人のようです。もともとエルサレム教会から派遣されて(使11:22)牧師のような働きをしたようです。12:24では、「アンテオケに帰っていった。」と記されています。彼は、アンテオケ教会が自分の教会になっていたのでしょう。

「ニゲル」と呼ばれたシメオン。ニゲルとは、ラテン語で、二グロ、の意味。あだ名かもしれないとも解説されます。もしそうなら、色黒の方だったのだと思います。でも、黒人だったのかもしれないとのことです。「クレネ人ルキオ」は、たぶん11:20以下でクプロ島から来た人々が、信仰を持った、とあるので、その時に信じた人かとも思われます。

「領主ヘロデの乳兄弟のマナエン」。少し前の所に、蛆に食い荒らされて死んだヘロデ王と一緒に育った人と解説されています。当時の社会では身分ある人でったようです。名前の意味は「慰めの子」でした。

「サウロ」が最後に出てきます。彼はガママリエル門下の秀才の旧約学者。旧約聖書から、旧約聖書の主題はイザヤ53章やエレミヤ31:31から、旧約聖書の最終的な主題は、ナザレにイエスが、救い主・キリストである事を、深く語ることできる人でした。これらの人々は、バルナバが最長老で、サウロが一番歳が若かったのだろうと推測できます。

 これらの人々が集まっているのがアンテオケの教会でした。主イエスを信じて教会に集うことがなかったら、到底、一緒に行動することなどありえない人々だったと思われます。

 教会はさまざまな立場と、違った賜物を持った器が集まっています。主の贖いを受けたお互いが、神の家族となって、お互いに与えられた賜物を生かしあうのが教会です。音楽の賜物、経理の賜物、お料理の賜物、お掃除の賜物、車の運転の賜物、コンピューター操作の賜物、心の友になる賜物、等々、神様から頂いた賜物が生かされ、用いられるのです。

 

2)2 一同が主に礼拝をささげ、断食をしていると、聖霊が「さあ、バルナバとサウロとを、わたしのために聖別して、彼らに授けておいた仕事に当らせなさい」と告げた。(2節)

⇒ 教会の主は、聖霊なる神!

この箇所では、アンテオケ教会で、彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げました。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために聖別して、わたしが前もって決めておいた仕事に当たらせなさい。」

 教会は神様を礼拝するところです。日常の働きを止めて、時と場所を聖別し、神様の前に出ることです。断食と祈りは、日常性を蹴って、神様の前に出る、献身の姿だと思います。その時、聖霊なる神が語ります。

以前、赤坂教会の姫井先生が証しをされました。若い時にある集会で、講師の先生が「神様から、献身の声がかかっている人は手を挙げてください。」との招きをされた。「神様の声が聞こえる人がいるんだ!」と思ったそうですが、「自分のことかな」と思って手を上げたら、「はいこれで終わります。」姫井青年は献身して牧師となりました。神様の声というのは、肉体の耳に響く声と言うより、心に語りかけられる霊的な体験でしょう。わたしも、祈りの中で主の招きを受けました。皆さんの中にも、主からの招きがかかるときには、主の招きの声に、聞き従いましょう。すばらしい主の恵みの証し人としての働きが待っています。

 

3)3 そこで一同は、断食と祈とをして、手をふたりの上においた後、出発させた。(3節)

⇒ 祈りと断食、按手で送り出す。

アンテオケの教会は、バルナバとサウロを主の仕事に送り出すことを神様の御旨と受け止めました。そしてお祈りと按手で送り出しました。  

福音宣教は教会の最大の使命です、。そしてその時に、最も必要な業は、祈りです。バルナバとサウロが伝えていきますが、背後の祈りが彼らを支えるのです。祈りの手が上がることが勝利の秘訣です。

先日、「第53回の日本伝道の幻を語る会」と「第68回こころの友伝道全国大会」が開催されました。多くの恵みを頂きましたが、大嶋重徳先生からは、「青年の献身」、近藤勝彦先生からは「伝道の神学」をしっかり建てあげ、伝道を考えねばならないことを教えられました。

また、石丸昌彦先生からは、「現代における不安」という題のもと、すばらしい講演を頂きました。その中でも、「対象恒常性」という心理学用語を教えられました。「対象恒常性」とは、2才の子供が、絶対的な愛と信頼の対象である母親を慕う心、この母親が自分と共に、恒常的におられるという感情世界のことだそうです。この感覚は聖書の中では神御自身の臨在、罪と死を打ち破って復活され、天におられ、ふたたび来たり給う再臨の主を持つ、聖霊に満たされた魂の状態と比較して語られました。深い平安と喜びに満たされた生涯は、臨在の恩寵にあり、聖霊なる神様の導く世界にあると語られ、なんとも深い感動を頂きました。

 

【祈り】主よ、アンテオケ教会の姿を学びました。わたしどもの新宿西教会も、信仰と聖霊に満たされた教会として、御言葉によって導かれ、主イエス様の罪の贖いによって新しくされ、聖霊の豊かな御満たしにより、永遠の命の恵みに入れられ、多くの人々に、救いの福音が語れますように導いてください。主の御名によって祈ります。アーメン