12月4日「生ける希望」
聖書:ペテロの第一の手紙1:3,4
説教者:ベアンテ・ボーマン師
クリスマスになると町中に、イルミネーションが飾られ、楽しい歌が流れ、クリスマスパーテイーなどで町は賑わいますが、その一方で「ホリデー デプレッション」と、呼ばれる休日になると憂鬱になる方がおられます。
旧約聖書の預言者イザヤは、創造者なる神を認めない世界の状況を「やみ」と表現し、このように語っています。
「地を見ると、見よ、苦難とやみ、苦悩と暗やみ、
暗黒、追放された者。」(イザヤ8:22)
また、ソロモン王は「人の子が短い一生の間、天の下でする事について、何が良いかを見るまでは、愚かさを身につけていよう」と考えました。(伝道者の書2:3)
「愚かさ」とは、神を認めない世の人々と同じ観点から、わたしたちの世の中のさまざまな世界を探索してみようと言ったのです。そしてその結論は、
「わたしは再び、日の下で行われる一切のしえたげを見た。
見よ。しいたげられている者の涙を。
彼らには慰める者がいない。
しいたげる者が権力をふるう。
しかし、彼らには慰める者がいない。」(伝道者の書4:1)」と、彼はこの世の中の現状を語っています。
人間の世界は、苦難や闇や、しいたげや、暴力で満ちています。
しかし、イザヤは、9章2節、6節で、こう語りました。
「やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。」と。
真っ暗闇の中に歩み、死の陰の地に住んでいた人々に光が差したと語ったのでした。それは、
「ひとりのみどり子(すなわちイエス様のこと)が生まれた。
この方は、不思議な助言者(英訳では「すばらしい助言者」)であり、力ある神であり、平和の君と呼ばれる。
この方によって、光がもたらされた」と預言したのです。
イエス・キリストがお生まれになったことで、憂鬱な、暗黒に閉ざされた日々が、喜びと平安とに、変わると預言したのです。
新約聖書ではイエス様はこのような御方であると語られました。
イエス様は、しいたげられている人々を自由にされる方でした(ルカ4:18)。
人と同じように試みにあわれ(ヘブル書4:15)、
人々の拒絶に会い、悲しみ、苦しみをよく知っておられた方です。どのような苦しみの時にも慰めてくださる慰めに満ちた神で(イザヤ53:3~8)、(コリント人への第二の手紙1:4)ありました。
ペテロは、ペテロの第一の手紙1章3節でこう語りました。
「私たちの主、イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」
皆さん!わたしたちに与えられている希望は、
「かなえられるかどうかわからないような希望」でもなく、
「死によって消滅してしまうような希望」でもなく、
永遠に生きることのできる、生ける希望なのです。
この「生ける希望」は、「わたしたちが、新しく生まれることによって与えられるもの」であることをも語っています。
このことは非常に大切なことです。
わたしが、新宿西教会の兄弟姉妹に語るように示された中心はこのペテロ第一の手紙1:3からの「生ける希望」があると言うことです。それで説教題も、この聖句から取りました。
皆さん、このような暗い、問題だらけの時代ですが、「キリストにある、この「生ける希望」をご自分のものとしてください。
更に、ヨハネの第一の手紙5章1節にはこのようにあります。
「イエスがキリストであると信じる者はだれでも、神によって生まれたのです」と。
主イエス様は、わたしたちが、聖霊によって新しく生まれ変わる必要があることを、強く語られました。これらは、ヨハネの福音書3章3節―5 節に、はっきり書かれております。
聖霊はイエス様が与えてくださいますから、イエス様に祈ることによって、御霊によって、わたしたちは新しく生まれることができるのです。
皆さん。今日はクリスマスを前にしたアドベントの礼拝です。今日は、午後にはクリスマス・コンサートが持たれます。すばらしい恵みの時ですね。
このクリスマスの時に、今、どうぞ、まことの神様にこのように祈ってください。
「イエス様、今、私の心にお入りください。
今までの罪や過ちをお赦しください。
そして、永遠のいのちをお与えください。
これからの人生をお導きください。
救い主、主イエス様のお名前によって祈ります。アーメン 」
神様は、あなたの祈りに答え、あなたにすばらしい、生ける希望をもって歩む人生を必ず与えてくださいます。わたしたちも皆様の祝福をお祈りしております。