アドベント第三主日礼拝説教「命・光・勝利」ヨハネ福音書1:3~8 深谷春男牧師

12月11日「命・光・勝利」

聖書:ヨハネ福音書1:3~8

説教者:深谷春男牧師 

今週は早、アドベント第3週を迎えました。アドベントは、もともと adventus というラテン語(「到着」の意味)です。キリストの到来、出現を待つ時期という意味です。これからクリスマスまでの時、わたしどもは主イエスに会う備えの時といたします。王の王、主の主なる恵みのお方が来られる。第3週のろうそくは、「喜びのろうそく」です。この一週間、心の中に主イエスの与えられた「感謝と喜びの一週間」を歩みましょう。 

【この聖書箇所の概略】

さて、ヨハネ福音書は「はじめに言があった」と有名な書き出しで始まります。「ことば」とはギリシャ語でlogos。宇宙の法則、道理の意味で、天地宇宙を貫く「真理」としてのキリストを指し示します。ここは「ロゴス賛歌」と呼ばれる箇所です。

  賛歌1( 1ー 5節) 創造者であるロゴスを讃える

  賛歌2(10ー14節) 人となったロゴスを讃える

  賛歌3(16ー18節) 啓示と恵みの与え主であるロゴスを讃える

更にヨハネ福音書は「しるしの書」(主イエスの7つの奇跡1:19ー12章)と「栄光の書」 (特に主イエスの十字架と復活 13ー20章)とで構成されています。

 

【メッセージのポイント】

1)3 すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。4 この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。(3~4節)

⇒ キリストは永遠の命!   

マタイの福音書は旧約で預言されたメシヤ(油注がれた方=救い主)としてのキリスト、マルコ福音書は僕として仕えるキリスト、ルカ福音書は全人類の救い主としてのキリスト、ヨハネ福音書は全宇宙的な広がりの中で神の子としてのキリストが描かれています。ヨハネはここでキリストの姿を「肉体を取った神」という姿でわたしたちに伝えています。ヨハネはイエスキリストを受肉前と受肉後に分けて説明しています。受肉前の主イエスは神の「言」(=ロゴス)であり、「独り子なる神」と語っています。

 このことは、27日の礼拝説教で、美歌子先生が、大変、詳細に語ってくださいました。この箇所は神の天地創造の記事(創世記1:1ー2)とよく似ています。その箇所と照らしあわせて福音書記者は書き始めています。その第一は天地創造の初めに、ロゴスなるお方がおられたという内容です。

ロゴスは「論理」「道理」「知恵」「真理」「理性」等様々な言葉に訳されます。ロゴスとは一言で言えば「混沌」の反対で、神の秩序、神の論理を意味します。この世は空虚な混沌ではありません。この世は美しい秩序あふれる神の恵みの最高傑作なのです。クリスマスとは、キリストはこの混沌のカオスから救う神の真理なのです。

   さらにヨハネはこのロゴス(=キリスト)のうちに「命」があった、と語っています。「生命」は「死」の反対語です。命の世界、すなわち、摂取や排泄を繰り返し、成長し完成をめざし、喜びや感動、切れば暖かい血潮が流れてくるような存在として、生命は存在します。そして最後は高度な知的、霊的能力をもって、創造者なるお方を認識し、霊的な交流を持ちつつ、本来の創造者の意志すなわち創造の完成をめざして共に働く存在として命が創造されたのです。命の最高形態は愛です。この生命の根源はキリストの内にあります!

この間、早天祈祷会で、ヨハネ6章を読みました。初めの記事、1~15節は、荒野での5000人給食の奇跡の出来事が書いてありました。そして、後半は22節から71節までの長い記事は主イエスが「永遠の命なる御方」であるとの記事でした。驚くべき御言葉の数々でした!

「わたしが命のパンである。わたし来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない。」(35節)

「よくよくあなた方に言っておく。信じる者には永遠の命がある。」(47節)

「わたしは命のパンである。」(48節)

 「あなたがたの先祖は荒野でマナを食べたが、死んでしまった。しかし天から下ってきたパンを食べる人は決して死ぬことはない。」(49,50節)

「わたしは天から下ってきた生きたパンである。それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、世の命のために与えるわたしの肉である」。(51節)

「よくよく言っておく。人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内に命はない。(53節)

 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者には、永遠の命があり、わたしはその人を終りの日によみがえらせるであろう。」(54節)

 「わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物。」(55節)

「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者はわたしにおり、わたしもまたその人におる。」(56節)

「生ける父がわたしをつかわされ、また、わたしが父によって生きているように、わたしを食べる者もわたしによって生きるであろう。(57節)

 「天から下ってきたパンは、先祖たちが食べたが死んでしまったようなものではない。このパンを食べる者はいつまでも生きるであろう」(58節)

クリスマスの主イエスこそまさに永遠の生命なのです。我らは主にあがなわれ、死を超えた永遠の生命を食べ、飲んで、永遠に生きる。ハレルヤ。

 

2)5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

⇒ キリストこそ、われらの光、(5節a)

 最後にヨハネはこの先在のロゴス(=キリスト)こそ人間の暗黒を照らし出すまことの光であると語っています。光は闇の反対の言葉です。人間は暗闇を恐れます。現在の日本で本当の暗闇を経験することは難しいものです。

あるところで事故に巻き込まれ、地下で閉じ込められたという事があったそうです。その時に、閉じ込められた人々は真っ暗闇の中で恐れを感じました。その時、誰かが携帯をつけました。淡い、青白いその光であっても、その光で多くの人は慰めを感じたと言います。真っ暗闇は、本能的な恐怖や不安を感じさせるものです。聖書は神から遠く離れた人間は、本質的にこの暗闇を心の奥底に持っていると告げます。それは霊的な暗さです。しかし、クリスマスのメッセージはすばらしい。どんなに人間の罪や死や絶望的な暗黒の深淵にあろうとも、神は光であり、命であり、愛であり、世界の暗黒を打ち破る力なのだと語っています。クリスマスはまさにこの光の到来なのです。

 

3) 5 光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

⇒ キリストこそ、われらの世界、罪と死に対する勝利、(5節b)

ここには、光と闇の戦いがするされます。光の世界と闇の世界。クリスマスには、暗い世界に、光のシンボルなる大きな星が、キラキラと輝いているのが象徴的ですね。

わたしが神学生の時に、一学年先輩の二宮幸雄神学生が、日曜日の夜にわたし話しかけました。「深谷君。僕は今日一つの発見をしたよ。クリスマスのこの時期に、教会での説教に出てくる、光と闇。そう、クリスマスの象徴は、この光と闇のメッセージだね。人間の罪と死の暗黒の世界に、イエス様は光としてきてくださった。クリスマスは、闇の世界に対する光の勝利という希望のメッセージを語っているんだね~!クリスマスの内容がクリアに分かった。」

感動を込めて語ってくださる二宮神学生の顔が、今も浮かびますね・・。聖書は人間の世界を支配する暗黒の力は、「罪と死」であると語りますね。これは創世記3章から11章までは、人間の世界の暗やみ。この暗やみ、暗黒の世界に、「罪の赦しと死を砕く勝利の福音」が、語られるのですね。

 

創世記12章から始まるアブラハムの物語は、呪いの世界を祝福の世界に。

出エジプト記1章から始まるモーセの物語は、古代の大帝国に400年間も奴隷とされたイスラエル民族の、苦難の歴史から奴隷解放の栄光への脱出物語。

古代バビロニア帝国の侵略とイスラエル国家の消滅。バビロン捕囚の悲しみと絶望の中からの民族復興と神の救済のメッセージ。第ニイザヤ。

全人類の罪と死の世界からの、神の救済の新しい世界への解放のメッセージ、これは主イエスの受肉、十字架と復活による、罪と死に対する栄光の輝きの福音として語られる。

今や、わたしたちの生涯は、主の豊かな救いと恵みの到来の世界を生きている。完全な勝利は、主イエスの再臨と天国の到来となる!

 

教会員の名島啓太郎兄は、12月8日(木)午前2:35分に、入院先の浴風会病院で主の御許に召されました。99歳でした。「お別れ会」(お葬儀)は、10日(土)11:30から、新宿西教会の礼拝堂で深谷牧師司式のもとに執り行われました。喪主は名島日出雄兄でした。コロナの時ですので、家族葬と考えてのお別れの時でした。名島啓太郎兄の99年の歩みはすばらしい証しです。

名島啓太郎兄の後に続き、わたしどもも、永遠の命の証し人となりましょう!

 

主イエスこそ「まことの命」です。絶望的な罪と死の支配の中から、キリストの永遠の命の中に歩み始めましょう。

また、主イエスこそ「まことの光」なるお方です。暗闇の中で手さぐりし、絶望と悲しみの中に歩んだ生涯から、まことの光に憩うときがきています。

そして主イエスこそ「まことの勝利」です。人間の「混沌」「死」「暗黒」そのものであるがゆえに、それらを打ち破る、キリストの救いを迎えましょう!ここから本当に神の恵みの「喜び」が輝くのです。ハレルヤ

 

【祈り】  天のお父様!今日はアドベント第3主日を感謝します。今週は「喜びのろうそく」に火を灯しました。神の言葉なる主イエスよ、まことの命よ。わたしのうちに来て、魂の内側から滾々と湧く永遠の命となってください。神の光なる主イエスよ、今来たりて、わたしどもの暗黒を照らし、光で満たして下さい。「世に勝つ勝利は我らの信仰なり!」アーメン。十字架の血潮の贖いにより、聖霊なる神様の愛と救いの計画への確信により、圧倒的勝利者として下さい。クリスマスの主である、イエスの御名によって祈ります。アーメン