主日礼拝説教「信仰によってイサクは祝福した」ヘブル11:20 深谷春男牧師

説教  「信仰によってイサクは祝福した」

聖書   ヘブル11:20

説教者  深谷 春男牧師  

先週は、皆さんのお祈りを頂き、宮城県の石巻にある、石巻オアシス教会に日本キリスト伝道会の「キャラバン伝道隊7名」で奉仕をして参りました。横浜の「本郷台教会」の兄弟姉妹も25人ぐらい奉仕に来ておられ、6日の礼拝は、青年たちの元気のいい賛美、婦人方のゴスペルフラ、キリスト伝道会の証し、説教、子供会と、恵みあふれる3日間を過ごしました。

【今日の聖書箇所の位置と概略】                                                          

今日はヘブル書11章20節のイサクの記事について学びます。

しかし、イサクの記事はあまり多くありません。そこには「信仰によって、イサクは、きたるべきことについて、ヤコブとエサウとを祝福した。」とだけ記されます。それで、創世記26:23-25にイサクについての記事がありますので、こちらの方も参考にしながら、イサクの生涯の豊かな世界を学んでみたいと思っています。

ご存知のように、イスラエル民族の先祖はアブラハムです。この方から聖書の信仰が始まりました。そしてこのアブラハムの息子がイサクです。彼は高齢のアブラハムから奇跡的に誕生し、モリヤの山で神様に捧げられた人物です。今日の聖書箇所には、イサクがベエル・シェバに上ったときのことが記されています。創世記26章の初めで飢饉のためにペリシテの人の地、ゲラルに下ったことが記されています。イサクはこのゲラルの地で豊かな祝福をいただきました。その土地で種を蒔いたら100倍の祝福を得たというのです。あまりに豊かになったために、前からの住民であったペリシテの人は彼に嫌がらせをし、大切な井戸をふさいでしまったことが記されています。

100倍の収穫!それはほんとうにすばらしい出来事でした。イサクは井戸を掘るのが上手でした。荒れ野に近いベエル・シェバでは、農作物の成長に水はなくてならないものです。でもそれはすぐにペリシテの人たちによってふさがれてしまいました。しかし、イサクは、争を好みません。そこには井戸の名前が記されています。「エセク(争い)」「シテナ(敵意)」そして「レホボテ(広いところ)」と言う名前に厳しい現実の中を生き抜き、平和を求めたイサクの心が表されています。

ベエル・シェバはもともと、お父さんのアブラハムの時代からの住まいとなった土地でした。譲りに譲って、元のベエル・シェバに返ってきた時に、主なる神がイサクに顕現され、彼に祝福を語られました。この顕現は非常に大切な意味を持っています。イサクはこの新しい土地、ベエル・シェバにおいて、祭壇を築き、天幕を張り、井戸を掘りました。

23 彼はそこからベエルシバに上った。

24 その夜、主は彼に現れて言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神である。あなたは恐れてはならない。わたしはあなたと共におって、あなたを祝福し、わたしのしもべアブラハムのゆえにあなたの子孫を増すであろう」。25 それで彼はその所に祭壇を築いて、主の名を呼び、そこに天幕を張った。またイサクのしもべたちはそこに一つの井戸を掘った。」とあります。今日は特に25節に、イサクの生涯が要約されています。わたしどもはここに、信仰者の生涯の祝福された人生の3点を見ることができます。

  • 祭壇を築くこと。   - 礼拝の場を整える。
  • 天幕を張ること。   - 生活の場を整える。
  • 井戸を深く掘ること。 - 人生の深みの場を整える。

 今日はこの3点を深く学んでみたいと思います。

 

【メッセージのポイント】

1)23 イサクは更に、そこからベエル・シェバに上った。24 その夜、主が現れて言われた。「わたしは、あなたの父アブラハムの神である。恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる。わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす わが僕アブラハムのゆえに。」25 イサクは、そこに祭壇を築き・・

⇒ 祭壇を築け!                  (23,24,25a)

 「25 イサクは、そこに祭壇を築き・・」と記されています。イサクの生涯はまず、「祭壇を築くこと」から始まりました。祝福された人生のまず第一は、「礼拝の祭壇を築け」と言うことです。

 聖書は、人間を神を礼拝する存在と位置づけています。創世記の4章でも、エデンの園から追われた人間が、まず最初にしたのは礼拝だったと記しています。真実の礼拝は、天国の恵みの世界を回復する時でした。罪を犯して、神と断絶し、神から遠く離れてしまった人間が、主のもとに立ち返り、主の愛と守りを経験するのは、礼拝の時であったと記しているのです。

神様への礼拝の祭壇を築くことは、天国へのはしごをかけるようなものです。神様の恵みの世界へ引き上げられ、わたしどもは恵みの世界を体験するのです。罪深い、愚かな、間違いやすいわたしどもは、深いへりくだりと神様のへの畏れをもって礼拝せねばなりません。その時に神ご自身がわたしどもの礼拝をお受けくださるのです。礼拝は天の窓が開くときであり、お暗きわたしどもの世界に救いの光が注がれる時なのです。

これは時々、語られますが、わたしどもは聖日を礼拝の日と定め、この日を「喜びの日、栄光の日」と呼んで、これを尊び、魂の深みから、この日を祝うべきなのです。

24節にはイサクの礼拝の基本的な内容が記されています。

*「その夜、主が現れて言われた」。 これは、「主の顕現」です。

*「恐れてはならない。わたしはあなたと共にいる」。 これは「主の臨在の約束」です。

*「わたしはあなたを祝福し、子孫を増やす」  これは「未来を開く命の力の付与」です。

ここで、神の顕現と約束とが語られます。この神様の豊かな祝福なくして人生に本当の祝福と喜びはありません。それゆえに、彼は「祭壇を築き」「主の御名を呼ん」で礼拝したのでした。

クリスチャンは今、礼拝の喜びと栄光を回復すべきです。聖日は家族でそろって礼拝し、主の名を呼び、主にある礼拝の喜びを回復すべきです。日本は中学生になるとすぐに塾だ、予備校だ、部活だ、と礼拝することよりも、この世のことを優先させてしまうことが多くあります。でも、そのような選択は、後になって、大きな悔いを残すことになります。

人生の第一は、祭壇を築くこと、礼拝の場を確保することです。

 

2)25 彼はそこに天幕を張り、イサクの僕たちは井戸を掘った。(25節b)

⇒ しっかりと天幕を張れ!

第二に、ここには「彼はそこに天幕を張った」と記されています。第一に礼拝の祭壇を築くこと。そして、第二に天幕をしっかりと張ることです。

天幕とは何を意味しているのでしょうか?天幕とはテントです。地上での住まいを意味しています。それは「この世の生活」を象徴した言葉です。

わたしどもは、具体的な生活をしてゆかねばなりません。毎日の生活には食べること、飲むこと、着ることや、住まうところが必要になります。また、生活に必要なものがたくさん出てまいります。食べるための茶碗や調理器具類,そしてそれを入れる食器戸棚。様々な衣類やそれを整理する箪笥が必要になります。とにかく「天幕を張る」という内容にここでは生活万般を意味しています。

その中でも、地上で生活してゆくための基礎には、人間関係が大切であると思います。特に身近な人間関係は、しっかりとした地上生活の中で基礎的な要素となります。その一番小さな単位は、夫婦の関係です。一人の人格と一人の人格が、深い信頼と愛情なくして夫婦の関係は成り立ちません。夫婦が共に生涯、すばらしい歩みをなしうるのは、神様への信仰と背後の祈りなくしてほとんど不可能だと思います。そして、夫婦の祈りの中で命が与えられ、家族が形成されてゆきます。親子の関係においても、子供たちのお互いの関係、兄弟や姉妹の関係においても、主にある祈りと寛容なくして平和は成り立ちません。

さらに、生活を成り立たせるための能力や技術。職場での人間関係や社会での交わり。これは、主イエスにある十字架のあがないの体験と神を愛し人を愛する御教えによらないではなし得ません。

 

3)25 ・・・イサクの僕たちは井戸を掘った。(25節c)

⇒ 井戸を深く掘れ!

 第3は「井戸を深く掘れ!」と言うことです。わたしはこれは、人生を深く恵みにと知恵に満ちて歩むことを教えていると思います。これは

①御言葉に整えられること。      聖書を深く読むこと。

②聖霊に満たされること。       霊的充実、祈りの生活の充実。

を語っていると思います。

 命のみ言葉が滾々とわき出る泉のようにわれらを潤す様。また聖霊なる神様がわたしども内側から川々となってあふれ出る様を表現していると思います。ヨハネ7:38,39に記されるごとくです。

 しかし、われらの敵である悪魔は、この恵みに井戸をふさごうと必死です。ある説教者は、「この恵みに井戸の湧き上がるのをふさぐ悪魔の常套手段は、『過去の傷ついた経験』とか『赦さない心』です!」と語られました。

昨年の東京聖書学校の授業で、「旧約聖書特別講義B」を託され、ホーリネスの伝統に立つ先生方が、旧約聖書から具体的にどのように説教をされたかを学生諸君と学びました。その中で、のちにイムマヌエル綜合伝道団を形成された蔦田二雄(つただつぎお)先生の説教をも学びました。蔦田二雄先生は昭和17年6月26日のホーリネス弾圧のときに不当にも投獄された先生ですが、投獄の苦難の中で、主に祈って深く恵まれ、「この世のいかなる力であっても主の臨在と同行は妨げることはできない」と確信して、イムマヌエル綜合伝道団を形成する幻を与えられました。心の深みより湧いて来る恵みの泉は、どのような困難や試練にも勝利する力の源なのです。「臨在不動」の生涯を!!

 

【 祈 り 】 天の御父。恵みの朝を感謝します。今日はヘブル11:20と創世記26:23~25から、平和の人イサクの信仰を学びました。どのような時にも、「まず、祭壇を築き」「天幕をしっかり建て」「井戸を深く掘る」者とならせてください。信仰の道を大胆に歩ませてくださり、イサクを100倍にも祝してくださったように、愛する兄弟姉妹の魂を、家庭を、あらゆる地上での営みを祝してください。主イエスの聖名によって祈ります。アーメン