新宿西教会主日礼拝説教「創造・和解・救いの完成」エペソ1:3~14深谷春男牧師

説教「創造・和解・救いの完成」

聖書:エペソ1:3~14

説教者:深谷春男牧師 

 わたしは思い起こすと、神学校に入学した22歳のころに、「キリスト教の信仰とは何か?」ということをいつも考えておりました。この世界の1枚の木の葉にも、顕微鏡で見れば、気の遠くなるような植物細胞に奇跡的極微な世界が広がる。さらに拡大すれば分子の世界、原子の世界。この世界はまさに神の神秘に満ち、一枚の木の葉にも神の奇跡的な驚きの世界が宿る。また、キリストがわたしのために罪を赦すために十字架にかかられた。さらに死を撃ち砕いて復活された!あの洗礼を受けた日の感激の日々、あれがキリスト教の中心だろうか?はたまた、ある友人は、聖霊の満たしを受けて、天国の恵みがわたしの心のうちにある、という。神学生の一年目の終わりから二年生になるころ、カルヴァンのキリスト教綱要とか、キリスト教の歴史を学んで、ああ、これだったかのか!と霊の目が開かれるような体験をしました。今日の説教の主題です。

【聖書テキストと区分】

エペソ1:3-14は、もとの言葉では実は、ほとんど一つの文章で、区切りがなく、代名詞や分詞で次々と文章がつながっているそうです。この手紙はローマの獄中で使徒パウロが口述筆記をさせて書いたものと思われますが、パウロは「ほむべきかな、わたしたちの主イエスキリストの父なる神!」と、語り出したら、神への賛美が止まらなくなってしまって、14節までを一気に語り出したような文章です。パウロらしい文章だと思います。

この箇所は、内容的には、はっきりとした区切りがあります。

3節~ 6節は 父なる神について   創造と救いの計画、選びの恩寵

7節~12節は 子なる神について 十字架の贖いによる神と人との和解

13節~14節は 聖霊なる神について  聖霊の内的確信と救いの完成

が、書かれてあり、それぞれの区切りには、6節、12節、14節に、賛美が添えられていて、父なる神、子なる神、聖霊なる神への信仰がはっきりと示されます。

【メッセージのポイント】

3 ほむべきかな、わたしたちの主イエス・キリストの父なる神。神はキリストにあって、天上で霊のもろもろの祝福をもって、わたしたちを祝福し、4 みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び、5 わたしたちに、イエス・キリストによって神の子たる身分を授けるようにと、御旨のよしとするところに従い、愛のうちにあらかじめ定めて下さったのである。(3~5節)

⇒ 父なる神の創造と救いの歴史計画

3節から6節は、父なる神様の創造と豊かなる選びの恩寵が記されています。4節に「みまえにきよく傷のない者となるようにと、天地の造られる前から、キリストにあってわたしたちを選び」と記されます。わたしたちの救いは、今から二千年前、キリストがこの世界に来てくださった時からはじまったのではなく、それ以前から、それこそアダムやエバの時からはじまつており、いや、ここでは、それよりももっと前、天地創造の前からはじまっていたとあります。人類が生まれる前、世界が始まる前から、神はわたしたちのために救いの計画を立て、その救いの中にわたしたちを選んでいてくださいました。驚きです。

これを「選び」や「予定」と言います。福音を聞き、それを信じるのです。

先月号の「シャローム」誌に、神様の創造の恵みの詩を載せて頂きました。

春:遠くの山々にはまだ雪が残っている。けれども立ち枯れのように見えた山々の木が一斉に芽を吹き、萌黄色に変わって行く。命の輝きの季節。

夏:白い入道雲。かっと照りつける強い日差し。真っ黒に焼けた青年たちが叫びながら走って行く。地平線のかなたに伸びるひまわり畑。太陽の季節。

秋:爽やかな紫色の空気の中に、黄色い木の葉や赤い彼岸花が揺れる。ぶどうやりんごなどの果物が食卓をにぎわす。実りの季節。読書の季節。

冬:木の葉がなくなった裸の木の枝が冬空に鋭いシルエット。冷たい北風。しんしんと降り積もる雪。翌朝、ねぼけまなざしで外に出ると、朝日を反射した輝くばかりの一面の銀世界。鋭い剣のようにのびたつらら。幾何学文様のような雪の結晶。冬はこたつの季節。家族の団欒の季節。

  われらの一生も命の萌え出る春があり、太陽の季節の夏がある。収穫の秋があり、やがて冷たい冬が来る。救いの主へ信仰・希望・愛が問われる時。永遠の神の住まいへと飛翔する信仰をしっかりといだくときが来る。

2) 7 わたしたちは、御子にあって、神の豊かな恵みのゆえに、その血によるあがない、すなわち、罪過のゆるしを受けたのである。   (7節)

⇒ 子なる神の和解と神の救いの計画の実現

7節から12節には、神の計画がキリストによって実行されたことが書かれています。御子キリストは、今から二千年前、この地上に生まれ、十字架で人間の罪の贖いを全うし、三日日に復活して、救いを成就してくださったのです。主イエスの救いは、その十字架を受け入れ、罪を赦され、神の子としての特権を得ることです。

ここには、明確に、主イエスの十字架の贖いと復活を、「神との和解」という言葉で表現されます。7節に「その血によって贖われ、罪を赦されました」という言葉がありますが、キリストが十字架で死なれたのは、私たちを罪から贖い出すためなのです。キリストの救いは「和解」という言葉で表現されます。神と人との和解、人と人との和解が、キリストの十字架の贖いの出来事です。主が贖いを完成してくださったのです。

わたしは洗礼を受けたのが、1969年12月21日。19歳の時のこと。その時のことは忘れられません。わたしの73年間の人生で一番大きな出来事です。聖書の中心はこの「十字架の贖い」を受けて、神の子となることです。

「終(つい)に彼を捨てる」          内村鑑三 

国のためにキリストを信じたる者は終(つい)に彼を捨てる。

社会人類のためにキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

教勢拡張を思い立ちてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

キリストの人格にあこがれてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

美(よ)き思想を得んとてキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

患難苦痛を慰められんためにキリストを信じたる者は終に彼を捨てる。

 されども、おのが罪を示され、その苦痛に耐えずして、「ああわれ、なやめる人なるかな」の声を発し、キリストの十字架において神の前に義とせらるるの唯一の道を発見し、その喜びに耐えずして彼を信じた者は、かかる者は、よし宇宙は消え失(う)するとも、永遠より永遠まで彼を捨てない。                        

(1916年(大正5年)3月『聖書之研究』)、著作集第12巻

3) 13 あなたがたもまた、キリストにあって、真理の言葉、すなわち、あなたがたの救の福音を聞き、また、彼を信じた結果、約束された聖霊の証印をおされたのである。14 この聖霊は、わたしたちが神の国をつぐことの保証であって、やがて神につける者が全くあがなわれ、神の栄光をほめたたえるに至るためである。     (13,14節)

⇒ 聖霊なる神は、天国のアラボン(保証)

父なる神は、この世界を創造し、救いの歴史を導かれ、ご自身の御子が十字架においてそれを実現しました。そして、聖霊は、御子が実現した救いをわたしどもに明確に、魂の内側から、確証を持って、与えてくださるのです。聖霊なる神様は、わたしどもの内側に内住されるお方です。聖霊がわたしどもの魂に住まわれる時、救いもわたしどもの内側に深い確信を持ってやって来るのです。13節では、「約束された聖霊で証印を押された」と表現しています。聖霊は、救いの証印なのです。さらに14節で、「聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証」と語ります。この「保証」という言葉は「アラボン」という語で、もともとアラビアの商業用語であったと注解書には解説されます。これは「手付金」とか「頭金」と言われます。そのような意味で、聖霊に満たされた体験は救いの確信へと、導く体験であり、それはあたかも小天国のようだ!という告白なのです。三越本店が日本橋にあるが、池袋にも支店があるように、天国の本店は天にありますが、天国の支店がわたしの内にあるという確信です。この地上を去って、やがて父なる神様の天国の恵みに入りますが、この聖書箇所では、この地上生涯を終えてからの天国ではなくて、この地上にあって、天国の恵みの一端に与ることを「天国の保証(アラボン)」だと言っているのです。この地上で歩む信仰の生涯の中で、神様の深い恵みの世界、祈りの中で経験する神ご自身の愛の深さや神様の歴史経綸の驚くべき祝福、その栄光の輝きに打たれてパウロは、まるで生きながら天国のような恵みと充足をいただいた!と叫んでいるのです。ジョン・ウェスレーの体験を見てみましょう。

 時は1738年。5月24日(水)。夕方、35歳のジョン・ウェスレーはロンドン郊外のアルダスゲートにあったモラビア兄弟団の人々が多く集まる集会に出席していました。そこで自分の心があやしく燃えるのを経験したのでした。それが有名なアルダスゲ―トの回心です。信仰の苦闘のどん底の彼自身の叫びを聞くようでもありました。米国ジョージア州での宣教師としての働きも失敗し、失意の最中にあったのです。彼が生涯書き続けた日記にはこう記してあります。

「夕刻、私はひどく気が進まなかったけれども、アルダスゲイト街でのソサエティーの集会に行ったところ、そこである人がルターの『ローマ人への手紙』の序文を読んでいた。9時15分前ごろであった。彼がキリストを信じる信仰を通して神が心の内に働いてくださる変化について説明していたとき、私は自分の心が不思議に熱くなるのを覚えた。私は、救われるためにキリストに、ただキリストのみに信頼した、と感じた。神がこの私の罪を、このわたしの罪さえも取り去ってくださり、罪と死の律法から救ってくださったという確証が、私に与えられた。」(藤本満訳)   彼はようやくこの時、「キリストに、キリストのみに信頼し、私の罪を、このわたしの罪さえ取り去りたもうと信じることができた」のでした。ここで彼は「救いの確証」を得たのです。集会が終ると彼は弟チャールズのもとに行き、輝いた顔で『わたしは信じる』と叫びました。この聖霊の体験が、英国、米国、全世界に大きなリバイバルを起こしたアルダスゲートの体験です。

【 祈 祷 】 天の御父。今日は、「父なる神の創造、主イエス様の和解、聖霊なる神様の救いの完成」について学びました!特に今日は、先週のペンテコステを迎えて「三位一体主日」と銘打っての礼拝です。あなたの御働きにわたしどもの生涯を整え、どうか、わたしどもの鈍い霊の目を開き、この聖書信仰の原点に立つ者として導いて下さい。主の御名によって祈ります。アーメン

新宿西教会ペンテコステ礼拝説教「ひとつからだとなるために」Ⅰコリント12:12,13 深谷美歌子牧師

説教「一つからだとなるために」

聖書:Ⅰコリント12:12,13

説教者:深谷美歌子牧師 

本日はペンテコステ礼拝です。毎年この日はワクワクするような期待感を持って祈って迎えます。初代教会のような聖霊様の注ぎが、現代にも起こされて、喜びに溢れた教会、リバイバルが起こることを期待してです。

 今年のペンテコステはどこから取り次がせていただいたらいいですかとお祈りしてきました。ヨハネによる福音書を読んでいた時、わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。ヨハ 15:26

父よ、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになる為であります。ヨハ17:21の み言葉が心に響きました。

この言葉から聖霊様の目的は、信仰者の確信のためと言うよりは、聖霊様から頂いた命によって互いに結ばれて「神様と神の家族とが一つになる天国のため」だったと気付かされました。

聖霊によって一つになることは、Ⅰコリントの12章に書かれています。今年のペンテコステはこの恵みをいただきましょう!

【今日の聖書箇所の概説】  

12節 身体と肢体は繋がって一つのようにキリストの身体も同様。

13a節 クリスチャンは人種も身分の違いもない、御霊によってバプテスマを受け一つの身体とされたものである。

13b節 一つの御霊を飲んだものである。

【メッセージのポイント】

  • 聖霊のバプテスマ

なぜなら、わたしたちは皆、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つの御霊によって、一つのからだとなるようにバプテスマを受け、                12:13a

本日はペンテコステ礼拝です。聖書の順番を少し変えて聖霊のバプテスマのことをまず見て教えていただきましょう。聖霊様については、ヨハネ15:26に、わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主、すなわち、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。16:8それがきたら、罪と義とさばきとについて、世の人の目を開くであろう。と書かれています。聖霊様が遣わされると、イエス様が与えて下さった、罪赦される新しい命が解るよとイエス様は十字架に付かれる前に弟子達に語られていました。もう一か所あげます。マタイによる福音書20:18 「見よ、わたしたちはエルサレムへ上って行くが、人の子は祭司長、律法学者たちの手に渡されるであろう。彼らは彼に死刑を宣告し、19 そして彼をあざけり、むち打ち、十字架につけさせるために、異邦人に引きわたすであろう。そして彼は三日目によみがえるであろう」。と、イエス様がエルサレムで苦難を受けること、十字架のことを話しました。苦難を受けることを話したのは、3回目でしたが、弟子達はイエス様によって自分たちユダヤ人の王国がもたらされる。その時は右と左に座らせてください、などと願い出るこの世のバージョンしか考えられませんでした。イエス様は聖霊が送られる以外にイエス様がもたらすの命のことは分らないのを御存じで、父のみもとから来る真理の御霊が下る時、それはわたしについてあかしをするであろう。と語られたのでした。

その弟子達に、ペンテコステの日が突入しました!

「聖霊を送るから祈って待っていよ」。と復活のイエス様が昇天される前に言い残された時、弟子達とイエス様の兄弟たちと、付いてきた女達は、心を一つにして祈って待ちました。10日目に 使2:1 五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、2 突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。3 また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。4 すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。のでした。その時、イエス様の語っていた聖霊様が来て下さったと弟子達も解かりました。この命を注がれた弟子達はイエス様が下さった命の大胆な証人になりました。 

ところで、Ⅰコリントの手紙が書かれた時は、最初のペンテコステからしばらくたってからのことです。イエス様を、罪からの救い主と告白し、バプテスマを受けたということは、御霊によってバプテスマを受けたのだと書かれています。最初のペンテコステの時のような激しい風や、舌のようなものが炎のように現れる現象はなくてもよいのですね。パウロの場合もそうでした。

現代も「イエス様からの罪の赦しと永遠の命を信じます」、と告白し父と子と聖霊の名によって洗礼を受けたものは、聖霊によるバプテスマを受けたのです。赦されて神の子とされているのです。

改めて学んで、初代教会のような劇的な聖霊の注ぎが現代にも起こされて、満たされた教会になるといいなと思っていましたが、現象はなくてよいのだと教えられました。

2)御霊を飲む

そして皆一つの御霊を飲んだからである。13b

けれども弟子達のようにイエス様の命が、今、内にあって喜びで溢れていますか?と言われると自信がないということがあるのではないでしょうか?  ここに御霊を飲むと書かれています。

一つ御霊で(ひた)されたのです。 皆同じ神の霊を与えられたのです。

一つ御霊を飲むべくされたのです。 同じ神の御霊を与えられた者達である。等と訳されています。

Ⅰコリ3:1 に、兄弟たちよ。わたしはあなたがたには、霊の人に対するように話すことができず、むしろ、肉に属する者、すなわち、キリストにある幼な子に話すように話した。2 あなたがたに乳を飲ませて、堅い食物は与えなかった。食べる力が、まだあなたがたになかったからである。今になってもその力がない。3 あなたがたはまだ、肉の人だからである。あなたがたの間に、ねたみや争いがあるのは、あなたがたが肉の人であって、普通の人間のように歩いているためではないか。とあります。父と子と聖霊によってバプテスマを受けた人でも、霊の人として歩かないで普通の人のように歩いている人があるとパウロは言っています。 

御霊を飲むとは、聖霊様に心を開いて「どうぞ私を浸してください」。「自分の(肉の)思いではなく、聖霊様の思いに満たしてください」。と祈ることが飲むことではないでしょうか?お互いがそうする時、聖霊様の思いに導かれて、愛し合う神の命の一致、喜びが溢れ、教会が一つになるでしょう。

3)キリストのからだ、教会は一つ

からだが一つであっても肢体は多くあり、また、からだのすべての肢体が多くあっても、からだは一つであるように、キリストの場合も同様である。      Ⅰコリ12:12

 聖霊のバプテスマを受けた時、キリストの体に繋がり一つの身体になって神の命がかよったのです。ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由な身分だった人も、神の子の命に変えられたのです。

口語訳聖書は、キリストの場合も同様である。となっていますが、尾山令二先生訳では「キリストの身体である教会も」と訳されています。教会は、イエス様の身体で、教会の仲間はイエス様の身体の部分です。お互いは肢体で、一人が欠けても身体が成り立たない大切なお互いです。あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように、みんなの者が一つとなるためであります。ヨハネ17:⒗とあるように、父なる神様とイエス様が愛と信頼で結ばれている天国の様に、教会も愛と信頼で結ばれた一つの身体、神の家族の教会、これがイエス様がもたらそうと目指していた世界です。

聖霊様に全部を満たされると、喜びが溢れます。赦された互いが愛し合い、補い合って教会が建ち上がっていきます。

昨日の早天は、エペソ4章でした。本日の聖書箇所の内容と、ほとんど重なった内容でした。ここを通して寄稿された方が、高校生の時、霊的成長を求める仲間より、一緒に遊びに出かける人を求める生活になった。が、卒業と同時にその関係は崩れ去った。大学でキリスト中心の生活を求める仲間になり、数多くの方法で自分の信仰を成長させていただき、神様の愛を思い出させてくれる人々と居ることの力が解っているというものでした。聖霊様を飲んで(心を聖霊に聞くと決めて)満たされ、互いに愛し合う主の命の教会を!

祈り 父なる神様、イエス様が、十字架で私達の罪を負って死に、罪の結果であった、死を打ち破って復活し、昇天して、聖霊様をお送りくださったことを感謝致します。父と子と聖霊によるバプテスマで、罪の赦しと永遠の命の新しい命を頂くことができますように。赦された喜びで、お互いに聖霊様の導きに聞いて、それぞれが生かされ、教会が一つになって、天国の出張所、リバイバルの源泉とされますように。主の御名によって。アーメン

新宿西教会主日礼拝説教「大宣教命令」マタイ28:16~20 深谷春男牧師

説教「大宣教命令」

聖書:マタイ28:16~20

説教者:深谷春男牧師 

今日は「復活節第七主日礼拝」です。今年は4月9日にイースター礼拝でした。そして5月18日(木)が主イエスの召天日。主イエスがオリブ山から、弟子たちに見守られつつ召天した日でした。弟子たちは、召天の日からペンテコステまでの10日間、ひたすら祈り、約束の聖霊を受けます。来週の5月28日(日)がペンテコステです。ですから、18日から28日は、120名の弟子たちが、エルサレムの2階座敷で聖霊なる神様を待望して祈った、10日間の祈りの時です。今日は、復活の主イエスから使命を受けて、出て行った弟子たちの原点、「大宣教命令」を共に読んで、教会の使命を再確認する時といたしましょう。 続きを読む 新宿西教会主日礼拝説教「大宣教命令」マタイ28:16~20 深谷春男牧師

新宿西教会母の日主日礼拝説教「祖母ロイスと母ユニケ」Ⅱテモテ1:3~7深谷春男牧師

説教「祖母ロイスと母ユニケ」

聖書:Ⅱテモテ1:3~7

説教者:深谷春男牧師 

母の日の由来 

 1905年5月9日、米国マサチューセッツ州でアンナ・ジャービスさんの母親、クララ・ジャービスさん(彼女は教会のサンデースクールの教師として26年間奉仕しました)が亡くなりました。1908年5月10日、自分を苦労して育ててくれた母親の命日に近い日曜日に追悼の意を表し、教会で「亡き母をしのぶ」という花言葉の白いカーネーションをたくさんたむけ、母親を偲びました。彼女の行為に感動した、デパート王ジョン・ワナメーカー氏が自分のデパートで母の日を展開したことから全世界に広まったのでした。やがて1914年のアメリカ議会で、5月の第2日曜を「母の日」と定め、お母さんに感謝を現す日となりました。

続きを読む 新宿西教会母の日主日礼拝説教「祖母ロイスと母ユニケ」Ⅱテモテ1:3~7深谷春男牧師

新宿西教会主日礼拝説教「大勇士よ、主があなたと共におられます。」士師記6:12 深谷春男牧師

説教「大勇士よ、主があなたと共におられる。」

聖書:士師記6:12

説教者:深谷春男牧師 

「国際ギデオン協会」という世界組織があります。聖書を配布する恵まれた信仰の勇者たちです。うちの教会にも何度か、訪問してくださり、その活動報告をしてくださり、共に宣教を担うという意味で聖書配布の使命の達成のために自由献金をアッピールして行かれます。

【聖書箇所の概略】

 イスラエルの民はモーセに率いられてエジプトを脱出し、40年の年月を経てようやくヨシュアに導かれて約束の地、カナンに住むことができました。

続きを読む 新宿西教会主日礼拝説教「大勇士よ、主があなたと共におられます。」士師記6:12 深谷春男牧師